KANA-BOON presents Honey & Darling 「Tokyo Honey, Osaka Darling」 @LINE CUBE SHIBUYA 4/15
- 2022/04/16
- 18:19
コロナ禍になってからの谷口鮪(ボーカル&ギター)の精神の不調から昨年に復活して、今年初頭にかけて久しぶりのワンマンツアーも行った、KANA-BOON。
そのツアーのファイナルであったZepp DiverCityで発表されたアルバム「Honey & Darling」がリリースされたばかりのタイミングでツアーがスタート。
この日の東京のLINE CUBE SHIBUYAはツアー初日でありながら「Tokyo Honey」というタイトルも付いているために特別感もあるし、それは先日発表されたバンドにとっての嬉しいニュースがそう感じさせてくれるところもあるのだろう。
大嫌いな雨の降る中で動員数が100%になったLINE CUBE SHIBUYAに到着し、検温と消毒を経て席に座っていると、開演時間の19時を少し過ぎた頃に、まるで渋谷の街の喧騒を思わせるような環境音的なBGMが流れながら、場内がゆっくり暗転していき、メンバーがステージに現れる。その瞬間に起こった、あまりにも長く大きな観客からの拍手。それは声が出せない状況が続く中でもなんとかして自分たちの「KANA-BOONのライブを待っていた」という思いを伝えるかのような長さと大きさであり、メンバーがそれぞれ楽器を手にして演奏を始めようとするのがわかるまで止むことがなかった。
そうして4人が楽器を手にしてマイクに向かう。ステージ背面にはライブタイトルの文字が書かれたフラッグのみという、ホールであっても簡素なステージの上手に、いつものように黒シャツに黒パンツという黒ずくめの格好で立つ古賀隼斗(ギター)にスポットライトが当たってイントロが鳴らされると、そのライトは次の瞬間には鮪に移り、その鮪がギターを弾きながら歌い始めたのは「Honey & Darling」の1曲目に収録された「Re:Pray」。この曲がライブでも新しいKANA-BOONの始まりを告げるように鳴らされる。
「いつまでも いつまでも君に
さよならは涙のその向こう
それならば潤んだままでいいから
昨日まで生きていた命だって連れていくよ
どこまでも行こう
終えるのはまだ今じゃない」
という、鮪が再び音楽に向かっていく心情をそのまま描いた歌詞とともに、先日アルバムリリースとともに正式メンバーとして加入したことが発表された、マーシーこと遠藤昌巳のうねりまくるベースのグルーヴが「この4人での新しいKANA-BOON」の始まりを感じさせる。それはやはり「メンバー3人とサポート1人」という状態とは全く違う。そんな新しい始まりの瞬間をこの日我々は確かに目の当たりにすることができたのである。
緑色の照明が神秘的に光る「21g」と「Honey & Darlin」の曲順通りに曲が演奏されていくのだが、
「魂の重さって結局何グラム
生きてきた重さは比例する?」
という歌詞の通りに、「21g」とは人間の魂の重さと言われている。この、歌う鮪と演奏するメンバーの姿にしっかりと向き合わざるを得ないようなシリアスさからしてこのアルバムは今までのKANA-BOONのアルバムとは全く違う喪失感を強く感じさせるものになっている。それでも
「それなら君はきっと誰より重いような気がするから
半分を僕が支えるよ」
と、そんなシリアスな歌詞を綴り歌い、鳴らす理由が確かにある。髪がかなり長くなった鮪のボーカルは今でも少年のような幼さを宿しているし、それがシリアスな言葉すらもポップかつキャッチーに響くようにも作用しているのだが、そこには背負うことを決めた人間としての力強さのようなものを確かに感じることができる。鮪が背負うことにしたのは我々のようにKANA-BOONの音楽を聴いてライブに来る人や、自分と同じように精神がどん底まで行ってしまった人の人生だから。生半可な強さではそれを背負うことはできないからこそ、背負ったものとしての強さをその声から感じられるのだ。
そんなシリアスなムードが少し変わるのは、小泉貴裕(ドラム)によるキックの四つ打ちの導入部分とともに鮪が
「踊ろうぜー!」
と煽る「Dance to beat」。鮪が少し歌詞を飛ばしてしまうところもあったけれど、これまでにもファンをライブで踊らせまくってきたKANA-BOONのダンスビートとは少し違う。かつてのKANA-BOONの代名詞的な高速四つ打ちというリズムで性急に踊らせるのではなく、どっしりとしたリズムで体を揺らせる。それは小泉のドラマーとしての成長はもちろん、やはりこの曲をはじめとしてコーラスをメインで担いながらKANA-BOONに新たなダンスグルーヴをもたらした遠藤の存在が大きいだろう。
「今日はお足元の大変悪い中でお越しいただき、本当にありがとうございます。アルバムリリースの初日のライブで雨っていうのが俺たちらしいなと(笑)」
と鮪が雨が降る中でもこの日会場に来てくれた観客に挨拶すると、早くもメンバー紹介に。15kgくらい痩せたという小泉(そう言われるとめちゃくちゃスラッとして見える)は
「やればできるっていうことを証明してるけど、なんでもっと早くやらんかったん(笑)」
といじられ、古賀は早くも物販の紹介をしようとして鮪に制されるという3人の関係性はKANA-BOONそのものであるが、その3人の中に新たに加わった遠藤が紹介されると一際大きな拍手が起こる。もちろんかつてのベーシストである飯田の存在を忘れることのできない人だってたくさんいると思う。それくらいにあの4人のKANA-BOONには、あの4人でしか出せない、選ばれたロックバンドだけが持つ魔法のようなものが確かにあったから。
でもそんな魔法を持っていたバンドに新しく入ってくれた、10代の頃からの付き合いという、これまでの人生や物語を共有してくれた上で、これから一緒にその人生や物語を描いてくれる人がいる。そうした人じゃなければきっとこの3人の中には入れなかっただろうし、そんな遠藤の決断への心からの感謝がその拍手の音からは確かに感じられた。なんだかその拍手の音の大きさを聞いているだけで泣けてきてしまった。KANA-BOONのファンの人たちの温かさがその音から感じられたからであり、そこにはKANA-BOONのメンバーたちが温かい人たちだからファンもそうあれるんだよな、と思えたからである。
そんなメンバー紹介だけですでに感動してしまっていると、その遠藤と古賀がステージ前に出てきて観客の近くまで寄って音を鳴らして始まったのはまさにこの場所、この瞬間を歌ったかのような「マイステージ」であり、鮪はこの曲でも誰よりも自由に、このステージこそが自分を最も解放させてくれる場所であるとばかりに踊るようにしてギターを弾きながら歌うのだが、サビでの「ヘイ!」という掛け声に合わせるようにして客席ではたくさんの腕が上がっていた。まだリリースされてから1週間ちょっと、ライブで聴くのは誰もが初めての曲であっても、すでに完全に「Honey & Darling」の曲が観客の体に染み込んでいる。新しいモードになったこと、新生KANA-BOONの音楽を響かせるようにアルバムの曲を連発しているけれど、新しいモードになったのはバンドだけではなく観客もそうだ。みんなこの瞬間が来るのを、新しいKANA-BOONの曲が聴けるのを楽しみにしていたのだ。
そんな新しいKANA-BOONのアルバムの中にあって、最もこれまでのKANA-BOON的なサウンドを感じさせる「Torch of Liberty」はまだ鮪が離脱する前に生み出された曲であるだけにそうしたサウンドに感じるのは当たり前なのであるが、解放の灯火を燃やすというテーマも、そこで描かれた歌詞も、まるでこのアルバムに収録されるのが決まっていたかのようですらある。道標的な曲だったこの曲自身がどこかKANA-BOONというバンドの物語に導かれたかのような。文字通り燃えるような真っ赤な照明に照らされながら、燃えるような音を鳴らす4人の姿を見ていてそんなことを思っていた。
KANA-BOONの最大のストロングポイントがキャッチーなメロディであるということを決してアッパーではないサウンドだからこそより強く感じられる、
「僕らは痛みも音に乗せてゆく
逃げはしないよ 置き去りにしないよ
目を伏せたくなるくらい世界は暗い
それなら僕らは灯台」
という「夜が明ける」の歌詞もこの「Torch of Liberty」に続く流れ(アルバム収録順とは少し違う)だからこそどこか連なるテーマのようなものを感じるのだが、
「ひとりじゃないなんて思えないなら
僕らが魔法をかけよう ひとりにはしないよ」
「悲しくたって 切なくたって
僕らは生きていくんだろう
暗闇で引き合う運命線を握って
悲しくたって 切なくたって
僕らは生きていくんだよ
掌で燃えてる生命線を辿って
いつかの未来 また出会える時
笑っていてほしいんだよ
夜明けは君とともに」
というこの曲の歌詞が、最も孤独を感じる時間帯である夜明け前ですらも、この音楽があればそうは感じないんじゃないかと思わせてくれる。
かつてKANA-BOONは「オレンジ」という、少年の頃に見た夕暮れの帰り道の情景を思い描かせてくれるような名曲を生み出しているのだが(「ハグルマ」のカップリング)、今回のアルバムには「橙」という、「オレンジ」を日本語にしたタイトルの曲が収録されている。
もちろんステージを照らす照明の色はオレンジに染まるのだが、イントロで鮪はステージに膝をつくように、見様によっては倒れ込みながらというような姿でギターを弾く。それはこの「橙」は
「この世界は幸せな人のために回る
永遠に変わらない論理の中で生きていく」
「TVショーから 窓の外から聞こえる
笑い声がうるさく鳴り続ける」
という「オレンジ」とは全く違う、おそらくはどん底の状態にいた時の鮪の心境や感じたことが描かれているからである。この曲から、アルバムでもライブでも今までのKANA-BOONの作品では感じることのなかったような流れへと向かっていく。
それは夕暮れを思わせるような照明だった「オレンジ」からは一転して、この日の天気のように雨を想起させるような青い照明に包まれて始まる「イコール」で明らかに重さを増していく。それはバンドがそれを音で鳴らす、表現することができるようになったからであり、隙間が多いように感じられるが、やはり遠藤のベースはその隙間を縫うかのようにうねりまくると、
「このままふたりなら
優しい心でいれただろう
涙も綺麗な虹をかけてくれる為のもの」
というサビのフレーズに合わせるように照明が青から鮮やかに色をつけていく。
「ひとつとひとつでいくつにもなれそうな
理屈じゃない愛の計式」
「生きていくことも恐れなかった
さよならなんて言わないでよ
足し算のままでいさせて」
という「イコール」のタイトルの由来の描き方は鮪の作家性の強さを改めて感じざるを得ないが、そこにはどうしても「喪失」という感情も強く感じざるを得ない。
その喪失感は鮪が珍しいエレアコのギターに変えて、
「曲は手紙のようなものだと思っている。届く手紙もあるし、届かない手紙もある」
という言葉とともに「大事な曲」と言って演奏された「alone」で極まる。鮪による弾き語りのように始まり、そこに古賀のギターが、小泉のキックが、遠藤のベースが順番に寄り添うように加わっていき、2コーラス目からはメンバーが鮪に「1人にしないからな」と言っているかのようにバンドサウンドとして演奏される。
「ねぇ ハローマイフレンド
手紙は届かないけど
積み上がるくらい
書き溜めているよ」
というフレーズからも分かる通り、鮪が言うように曲が手紙だとするならば、この曲は届かなった手紙だ。その届かなかった理由は
「ねぇ ハローマイフレンド
夢みたいだったね
ねぇ ハローマイフレンド
声を聴かせてよ」
という歌詞にもある通りに、手紙を届けたい人が居なくなってしまったから。その喪失感がこれまでのKANA-BOONの曲からは想像できないくらいにリアルに描かれている。それは鮪の経験した喪失がそのまま歌詞になっているからだ。
だからこそ、自分は「Honey & Darling」を一回目に聴いた時に「重いな…」と思った。それは特にこの中盤の曲たちから感じられる喪失感からそう思ったのであるが、これを初期のKANA-BOONが演奏してもここまで重さを感じることはなかっただろう。つまりは重い歌詞をちゃんと重いものとして届けることができる技術や経験を今のKANA-BOONは持っているということだ。だからこそ重いという感想は決してネガティブなものじゃない。むしろ、KANA-BOONの音楽から感じることができる感情が増えたというポジティブなものとして捉えることができるものだ。
「alone alone...
君はどこにいる
alone alone...
what i lost」
というサビのフレーズにこんなに聴いていて心が震わされるのは鮪のボーカルに演じる技術ではなく自身の胸の内を曝け出すようなリアリティが溢れているからだ。
「このアコギ、新しく買ったんですよ。エレキみたいな音も出せるし、アコギの音も出せる。珍しいと思うだろうけど、気に入ってるんで、せっかくだから本当はアコギじゃない曲をアコギで弾きます。人生は楽しいことばかりじゃない、最低な日々もあるけど、こうして最高に楽しい時間だってある」
と言って鮪がアコギを弾くアレンジで演奏されたのは「Re:Pray」のシングルのカップリングに収録されていた「LIFE」。間奏では古賀がステージ前に出てきてギターソロを弾くと、その古賀の真後ろに重なるかのように鮪と遠藤が立って演奏するという微笑ましい姿を見せてくれると、さらにQueen「We Will Rock You」のように足踏みと手拍子で観客にリズムを委ねる。声が出せない状況だからこその、バンドと観客が一緒に音を鳴らす楽しみ方であるが、それがそのままこの「LIFE」という曲がこんなに楽しい曲だったのか、というポテンシャルの高さを改めて示してくれるものになっている。
その観客からのリズムを受けてさらに力強さを増したかのような小泉のドラムの連打から始まった「天国地獄」はサビの「天国」の鮪のリズミカルな歌唱が実に聴き心地が良い、今までのKANA-BOONの要素を感じさせる軽快な四つ打ちの曲であるが、
「天国のような地獄
夢見てなんぼの人生ゲーム」
という韻を踏んだフレーズも含めてやはり鮪の書く歌詞は本当に素晴らしいし、その表現力がより豊かになってきている感すらある。「LIFE」以外は全て「Honey & Darling」の曲をほとんどアルバムの流れのままで演奏しているという内容であるが、
「ひとつ進んで少し休んで
また歩き出す
現実なんてくだらない
それでもやっぱり生きていたい
そんなような気持ちになってほしいものです
涙を流し合おう
それから笑い合おう いつまででも」
という歌詞が続くことによって、喪失感を強く感じさせた中盤から抜け出して、光の方へと歩き始めたことがわかる。そうしたコンセプチュアルな流れはライブで聴くとメンバーの演奏時の挙動や込めた感情からより強く感じることができるものだ。
「Honey & Darling」の収録曲は年明けのZepp DiverCityでのアルバム発売告知の際にタイトルが全て読み上げられたのだが、その際に観客からクスッとした笑いが起きたのは「いないいないばあ」という子供らしさを感じるタイトルだったのだが、そうした無邪気なポップさを感じるようなメロディではあるけれども、歌詞は
「いないいないばあで探して
いないよいないよいないよ
見渡したって
あなたの優しい瞳にはもう映らない
わかってはいるけれど
いないいないばあで探して
いないよいないよいないよ
もうどこにも
忘れられない毎日が
ほらねまた まつ毛からひとしずく」
というやはり喪失感を感じるものになっている。それを重く鳴らせる表現力と技術も得ながらも、それをポップに響かせることもできるというのはKANA-BOONらしさと言えるだろうし、ポップに響かせることができるというのは喪失を乗り越えて前に進むことができているからだ。
そんな喪失を感じさせるアルバムであるが故に鮪は
「ずっと聴いてきてくれた人もそうだけど、人生が苦しかったりするような、このアルバムが必要な人に届いて欲しい」
と口にした。その必要な人とは鮪同様に人生を終わらせるギリギリのところまで行ってしまっている人ということだろう。そうした人の気持ちが今ならわかるし、そうした経験をしてそれを乗り越えたことによって、今そうした状態にいる人に光を照らすことができる。そのためのアルバムであるから。
自分は正直言ってそうした人生を終わらせたいと思ったことが特に近年はほぼ全くない。もちろん生きていて嫌なことや絶望してしまうようなことはあるけれど、それでもそう思わないのはこうして音楽やライブという自分にとって大事なものがある生活を送れているからだ。それをもっと享受したいから、まだまだ死にたくないと思う。もちろんその中にはKANA-BOONの音楽やライブも含まれている。だからこそこうして新しいアルバムがリリースされて、その曲たちをライブで鳴らしているのを観れている今日この日だってやっぱり改めてまだまだ生きてKANA-BOONの音楽を聴いてライブを観たいと思わせてくれるのだ。
それは自分にとって音楽が生きていくための光であることに他ならないのだが、
「俺にとってメンバーは光です。俺たちにとってあなたは光です」
と、自分にとっての光という存在であるメンバーたちが我々を光だと言ってくれた上で鳴らされたのはタイトル通りに「ひかり」。天井からたくさんの電球が降ってきて、その無数の電球がまさに光のように輝くという演出も鮮やかであるが、KANA-BOONの憧れであるアジカンの同名曲がそうだったように、「ひかり」というタイトルの曲はどうしても重くなりがちだ。暗闇の中にいたからこそ、「ひかり」を見つける、「ひかり」について歌えるようになったのだから。(アジカンの時はそれは震災だった)
もちろんKANA-BOONの「ひかり」にもそうした生きることの重さは
「夢は他人に優しくなること
それは人に愛されたいだけ?
なんて卑しいんだろう
自分は誰かをちゃんと愛せているの?」
という歌詞にも含まれているのだが、それでも
「夢は大きな声で叫ぶこと
恥も捨てて走り出すこと
汗も涙もキラリ光らせて
人波を逆走する」
というバンドの音が抑えられた中でのフレーズを歌う鮪のボーカルはまさにその歌詞そのもののごとくに光を放っていた。それくらいに力強かったのだ。鮪は元からいろんなバンドから褒められ、驚かれるくらいに歌が上手いボーカリストであったが、上手さだけではない表現力がまた1段階上に行っていると思うとともに、こうして「ひかり」というタイトルの曲がこんなにも光を放っているのは、アルバムの流れの通りに演奏されたことによって、この曲をはじめとした後半の曲は鮪自身が暗闇から光に向かっていくドキュメントそのものであると感じられる。だからこそこのライブでもアルバムの流れ通りに、過去の曲を挟むことなく演奏する必要があったのだろう。というかこうして実際にライブを観ていると、過去の曲を挟む余地がないなということがわかる。
そんな鮪の精神が再浮上していくドキュメントのような流れのアルバム、ライブだからこそこの最終盤で演奏された「スターマーカー」は電球に変わってステージに現れたミラーボールがそのまま生命力の煌めきであるかのように光り、何よりもこうしてライブに来ていること、生きていることの楽しさを感じさせてくれる。小泉もキックを踏みながらスティックを左右に振り、遠藤も開放弦でベースを弾きながら片手を左右に振る。その動きに合わせるように腕を左右に振る観客の姿がそのライブの楽しさを強く感じさせてくれる。この曲はフジファブリックの金澤ダイスケが共同制作した曲であり、シングルリリース時から新たなKANA-BOONの名曲としてファンに受け止められていたが、こうして鮪の、KANA-BOONの生命力の輝きをアルバムの流れで聴くことによって感じられるという意味では、この曲を授けてくれた金澤に本当に心から感謝したい。
そして
「最後に100%出します!」
と言って演奏されたのは、アルバムの最後に収録された、メガネをかけた鮪が踊るMVも印象的な「メリーゴーランド」。前回のツアーのアンコールで一足先に演奏されていたことからもこの曲がバンドにとって大事な曲であることがわかるのだが、遠藤がステージに膝をつくようにして演奏している姿は彼がサポートから本当に3人と同じ意思を共有している、同じ立ち位置のメンバーになったことを示しているし、
「生きることはつらいものです
死ぬことすら眩しく見える
それでも日々にしがみついて生きよう
光れ 光れ」
という、乗り越えたことを示す歌詞が最後に綴られている。それがそのままアルバム自体の最後のフレーズになることによって、やはりこのアルバムが再生の物語であることがわかるのだが、そのフレーズを鳴らした後に鮪、古賀、遠藤がドラムセットに向かい合って顔を合わせてキメを打つ姿からは間違いなく光のようなオーラが発されていた。その瞬間、本当にKANA-BOONは生まれ変わって、蛹から成虫に進化したんだと思えた。そんなこの4人での新しいKANA-BOONの始まりの瞬間に立ち会うことができている。ずっと観てきたからこそ辛く感じるような出来事だって何回もあったけれど、それら全てがこの瞬間のためにあったかのようだった。それくらいに新しいKANA-BOONは強くなったのだ。
アンコールではTシャツ姿になった鮪がバッグを肩にかけてステージに登場。それによっておなじみの物販紹介コーナーが始まることがわかるのだが、その際に観客にいったん席に座らせることを促すと、古賀と遠藤もステージ上で体育座りをするのについつい笑ってしまうのだが、グッズのポーチにそれぞれ何を入れて使うかという問いに
遠藤「リップクリーム」
小泉「おにぎり」
というのもまた面白いのだが、
鮪「レターセットもあるんで、友達とかにLINEするだけじゃなくて、手紙を送ってみるのもいいんじゃないかと。LINE CUBEで言うのもなんですけど(笑)」
という間の悪さもありつつ、今回の目玉はついに販売された古賀の黒シャツだろう。古賀本人は客席にいるすでに買って着てくれている人の姿を見つけて喜んでいたが、鮪には
「これは買わなくていい(笑)」
と言われてしまっていた。
そんなやり取りを経てから、
「本編でアルバムの曲ばっかりだったから、アルバムに入ってない曲をやります!」
と言って演奏されたのは渾身の「シルエット」。やはり古賀も遠藤もステージ前に出てきて演奏するという姿に、今までもこれからもずっとこの曲はKANA-BOONにとっても我々ファンにとっても大事な曲であり続けていくことを感じられるが、この日自分の後ろの席には外国人の方が座っていて、この曲が演奏された瞬間にめちゃくちゃ喜んでいた。きっとこの曲がタイアップに起用された「NARUTO」をきっかけにしてKANA-BOONに出会ったのかもしれない。鮪も人生において最も大事な漫画に「NARUTO」を挙げているし、そんな漫画のタイアップに使ってもらえたというのは我々の想像を超えるくらいにたくさんの人にとって大きな出来事であり、そうした人たちを幸せにしてきたのかもしれない、とその後ろにいた人の感動と喜びのリアクションを見ていて思っていた。KANA-BOONの曲がアニメのタイアップに起用されてきたことにちゃんと意味があったということも。
「覚えてないこともたくさんあったけど
きっとずっと変わらないものがあることを
教えてくれたあなたは消えぬ消えぬシルエット
大事にしたいもの持って大人になるんだ
どんな時も離さずに守り続けよう
そしたらいつの日にか
なにもかもを笑えるさ」
という歌詞が今まで以上に響くのは、忘れてしまうこともあったけれど、この日のライブもこれからのKANA-BOONのライブも我々はきっと覚えているだろうと思うからだ。
そして、
「「メリーゴーランド」の前に「100%出します」って言ったけど、まだいける。まだ声が出る。だからもう1曲やります!」
と、自分たちの曲が喉をかなり消耗させることをわかっているかのような(カラオケで歌うとよくわかる)言葉の後に最後に「まっさら」が演奏されると、その瞬間に客電も含めた場内の照明が全て灯って会場が一気に明るくなる。それはまるでKANA-BOONもかつて確かに立った(そして古賀は空を飛んだ)日本武道館のライブのアンコールの最後の曲の光景を思わせるものであったのだが、気付いたらステージのライブタイトルのロゴも、幕さえもなくなり、LINE CUBEのステージ全貌ってあんな風になってるのか、とついついメンバーが立っている場所よりもさらに奥の方に目が行ってしまいがちになるのだが(普段絶対見えない部分だから)、明るくなったことでメンバーはみんな演奏しながら先ほどまで以上に観客のことを隅々まで見ているようだった。鮪の顔が紅潮していたのも含めて、目の前にいてくれる、自分たちの音楽を必要としてくれている人に届けるために歌い鳴らしている。その思いがあるからこそ、おそらくは1番歌うのがキツいキーの高さと声量を求められるこの曲が、最後にしてこの日最高のパフォーマンスになっていた。それは
「まっさらな想いを伝えに
ひた走っていく
現在 過去 未来
君と繋いでいたいよ
感情を 心の奥を」
という歌詞に込められたものそのものだった。鮪が一時離脱してから、「Honey & Darling」から変わったように思えたKANA-BOONの音楽やメッセージは今までをリセットして始まった新章ではなくて、これまでの延長線上にあるものだった。アンコールの2曲はそう思わせてくれる選曲であったのと同時に、次に会える時はこの曲のコーラスを一緒に歌うことができているだろうかと微かな希望を胸に抱かせるものだった。
演奏が終わると、メンバー4人がステージ前に出てきて並んで肩を組んで観客に一礼。もちろんそこには新たにメンバーになった遠藤も3人と同じ存在として肩を組んでいる。鮪が離脱していた時にはバンドの広報としてメディアに2人で出ていた小泉と古賀に挟まれるように鮪が肩を組んでいる。そんな4人を称え、見送る拍手はやはり観客の思いを感じさせるように大きく、メンバーがステージから去っていって終演のアナウンスが流れるまで止まないくらいに長かった。
ライブが良いのは間違いないけれど、それだけじゃない、この場が本当に幸せと生きていることを実感できる場所になっている。そんなライブを今のKANA-BOONとファンは一緒になって作り上げている。いや、そうしようとしてそうなっているのではなくて、そこにいる人たちの意思が自然にそうした場所にしている。
そんなライブをこれからバンドは久しぶりに全国に届けに行く。きっと、会いたくても全然会えなかった人だってたくさんいるはず。そんないろんな場所にいる人たちにも、今のこのKANA-BOONのライブを見て欲しいと思うようなライブだった。
これは前回のツアーファイナルの時にも書いたことでもあるけれど、今の鮪は自分のように潰れてしまった人や、我々ファンの思いを全て背負っている。そうした経験をした自分だから背負えるものがあるというように。
正直、最初はもうそうならないように、売り上げや動員なんか気にしなくていいから、自分がやりたいことだけを自由に楽しくやって欲しいとも思っていた。
でもこの日のライブは、その背負った思いを持って歌い鳴らす鮪自身が誰よりも解放されているようで、楽しんでいるかのようだった。それはこの重いとすら感じる部分もある「Honey & Darling」の曲を演奏することが、鮪にとって本当に今自分がやりたいことなんだろう。そのやりたいことを、さらに豊かな表現力でできるようなメンバーも加わった。間違いなく、今のKANA-BOONは過去最高のバンドになった。それを確かに刻んだ、新生一発目のライブだった。今までよりも長い時間を、この4人とこれから過ごしていけますように。
1.Re:Pray
2.21g
3.Dance to beat
4.マイステージ
5.Torch of Liberty
6.夜が明ける
7.橙
8.イコール
9.alone
10.LIFE
11.天国地獄
12.いないいないばあ
13.ひかり
14.スターマーカー
15.メリーゴーランド
encore
16.シルエット
17.まっさら
そのツアーのファイナルであったZepp DiverCityで発表されたアルバム「Honey & Darling」がリリースされたばかりのタイミングでツアーがスタート。
この日の東京のLINE CUBE SHIBUYAはツアー初日でありながら「Tokyo Honey」というタイトルも付いているために特別感もあるし、それは先日発表されたバンドにとっての嬉しいニュースがそう感じさせてくれるところもあるのだろう。
大嫌いな雨の降る中で動員数が100%になったLINE CUBE SHIBUYAに到着し、検温と消毒を経て席に座っていると、開演時間の19時を少し過ぎた頃に、まるで渋谷の街の喧騒を思わせるような環境音的なBGMが流れながら、場内がゆっくり暗転していき、メンバーがステージに現れる。その瞬間に起こった、あまりにも長く大きな観客からの拍手。それは声が出せない状況が続く中でもなんとかして自分たちの「KANA-BOONのライブを待っていた」という思いを伝えるかのような長さと大きさであり、メンバーがそれぞれ楽器を手にして演奏を始めようとするのがわかるまで止むことがなかった。
そうして4人が楽器を手にしてマイクに向かう。ステージ背面にはライブタイトルの文字が書かれたフラッグのみという、ホールであっても簡素なステージの上手に、いつものように黒シャツに黒パンツという黒ずくめの格好で立つ古賀隼斗(ギター)にスポットライトが当たってイントロが鳴らされると、そのライトは次の瞬間には鮪に移り、その鮪がギターを弾きながら歌い始めたのは「Honey & Darling」の1曲目に収録された「Re:Pray」。この曲がライブでも新しいKANA-BOONの始まりを告げるように鳴らされる。
「いつまでも いつまでも君に
さよならは涙のその向こう
それならば潤んだままでいいから
昨日まで生きていた命だって連れていくよ
どこまでも行こう
終えるのはまだ今じゃない」
という、鮪が再び音楽に向かっていく心情をそのまま描いた歌詞とともに、先日アルバムリリースとともに正式メンバーとして加入したことが発表された、マーシーこと遠藤昌巳のうねりまくるベースのグルーヴが「この4人での新しいKANA-BOON」の始まりを感じさせる。それはやはり「メンバー3人とサポート1人」という状態とは全く違う。そんな新しい始まりの瞬間をこの日我々は確かに目の当たりにすることができたのである。
緑色の照明が神秘的に光る「21g」と「Honey & Darlin」の曲順通りに曲が演奏されていくのだが、
「魂の重さって結局何グラム
生きてきた重さは比例する?」
という歌詞の通りに、「21g」とは人間の魂の重さと言われている。この、歌う鮪と演奏するメンバーの姿にしっかりと向き合わざるを得ないようなシリアスさからしてこのアルバムは今までのKANA-BOONのアルバムとは全く違う喪失感を強く感じさせるものになっている。それでも
「それなら君はきっと誰より重いような気がするから
半分を僕が支えるよ」
と、そんなシリアスな歌詞を綴り歌い、鳴らす理由が確かにある。髪がかなり長くなった鮪のボーカルは今でも少年のような幼さを宿しているし、それがシリアスな言葉すらもポップかつキャッチーに響くようにも作用しているのだが、そこには背負うことを決めた人間としての力強さのようなものを確かに感じることができる。鮪が背負うことにしたのは我々のようにKANA-BOONの音楽を聴いてライブに来る人や、自分と同じように精神がどん底まで行ってしまった人の人生だから。生半可な強さではそれを背負うことはできないからこそ、背負ったものとしての強さをその声から感じられるのだ。
そんなシリアスなムードが少し変わるのは、小泉貴裕(ドラム)によるキックの四つ打ちの導入部分とともに鮪が
「踊ろうぜー!」
と煽る「Dance to beat」。鮪が少し歌詞を飛ばしてしまうところもあったけれど、これまでにもファンをライブで踊らせまくってきたKANA-BOONのダンスビートとは少し違う。かつてのKANA-BOONの代名詞的な高速四つ打ちというリズムで性急に踊らせるのではなく、どっしりとしたリズムで体を揺らせる。それは小泉のドラマーとしての成長はもちろん、やはりこの曲をはじめとしてコーラスをメインで担いながらKANA-BOONに新たなダンスグルーヴをもたらした遠藤の存在が大きいだろう。
「今日はお足元の大変悪い中でお越しいただき、本当にありがとうございます。アルバムリリースの初日のライブで雨っていうのが俺たちらしいなと(笑)」
と鮪が雨が降る中でもこの日会場に来てくれた観客に挨拶すると、早くもメンバー紹介に。15kgくらい痩せたという小泉(そう言われるとめちゃくちゃスラッとして見える)は
「やればできるっていうことを証明してるけど、なんでもっと早くやらんかったん(笑)」
といじられ、古賀は早くも物販の紹介をしようとして鮪に制されるという3人の関係性はKANA-BOONそのものであるが、その3人の中に新たに加わった遠藤が紹介されると一際大きな拍手が起こる。もちろんかつてのベーシストである飯田の存在を忘れることのできない人だってたくさんいると思う。それくらいにあの4人のKANA-BOONには、あの4人でしか出せない、選ばれたロックバンドだけが持つ魔法のようなものが確かにあったから。
でもそんな魔法を持っていたバンドに新しく入ってくれた、10代の頃からの付き合いという、これまでの人生や物語を共有してくれた上で、これから一緒にその人生や物語を描いてくれる人がいる。そうした人じゃなければきっとこの3人の中には入れなかっただろうし、そんな遠藤の決断への心からの感謝がその拍手の音からは確かに感じられた。なんだかその拍手の音の大きさを聞いているだけで泣けてきてしまった。KANA-BOONのファンの人たちの温かさがその音から感じられたからであり、そこにはKANA-BOONのメンバーたちが温かい人たちだからファンもそうあれるんだよな、と思えたからである。
そんなメンバー紹介だけですでに感動してしまっていると、その遠藤と古賀がステージ前に出てきて観客の近くまで寄って音を鳴らして始まったのはまさにこの場所、この瞬間を歌ったかのような「マイステージ」であり、鮪はこの曲でも誰よりも自由に、このステージこそが自分を最も解放させてくれる場所であるとばかりに踊るようにしてギターを弾きながら歌うのだが、サビでの「ヘイ!」という掛け声に合わせるようにして客席ではたくさんの腕が上がっていた。まだリリースされてから1週間ちょっと、ライブで聴くのは誰もが初めての曲であっても、すでに完全に「Honey & Darling」の曲が観客の体に染み込んでいる。新しいモードになったこと、新生KANA-BOONの音楽を響かせるようにアルバムの曲を連発しているけれど、新しいモードになったのはバンドだけではなく観客もそうだ。みんなこの瞬間が来るのを、新しいKANA-BOONの曲が聴けるのを楽しみにしていたのだ。
そんな新しいKANA-BOONのアルバムの中にあって、最もこれまでのKANA-BOON的なサウンドを感じさせる「Torch of Liberty」はまだ鮪が離脱する前に生み出された曲であるだけにそうしたサウンドに感じるのは当たり前なのであるが、解放の灯火を燃やすというテーマも、そこで描かれた歌詞も、まるでこのアルバムに収録されるのが決まっていたかのようですらある。道標的な曲だったこの曲自身がどこかKANA-BOONというバンドの物語に導かれたかのような。文字通り燃えるような真っ赤な照明に照らされながら、燃えるような音を鳴らす4人の姿を見ていてそんなことを思っていた。
KANA-BOONの最大のストロングポイントがキャッチーなメロディであるということを決してアッパーではないサウンドだからこそより強く感じられる、
「僕らは痛みも音に乗せてゆく
逃げはしないよ 置き去りにしないよ
目を伏せたくなるくらい世界は暗い
それなら僕らは灯台」
という「夜が明ける」の歌詞もこの「Torch of Liberty」に続く流れ(アルバム収録順とは少し違う)だからこそどこか連なるテーマのようなものを感じるのだが、
「ひとりじゃないなんて思えないなら
僕らが魔法をかけよう ひとりにはしないよ」
「悲しくたって 切なくたって
僕らは生きていくんだろう
暗闇で引き合う運命線を握って
悲しくたって 切なくたって
僕らは生きていくんだよ
掌で燃えてる生命線を辿って
いつかの未来 また出会える時
笑っていてほしいんだよ
夜明けは君とともに」
というこの曲の歌詞が、最も孤独を感じる時間帯である夜明け前ですらも、この音楽があればそうは感じないんじゃないかと思わせてくれる。
かつてKANA-BOONは「オレンジ」という、少年の頃に見た夕暮れの帰り道の情景を思い描かせてくれるような名曲を生み出しているのだが(「ハグルマ」のカップリング)、今回のアルバムには「橙」という、「オレンジ」を日本語にしたタイトルの曲が収録されている。
もちろんステージを照らす照明の色はオレンジに染まるのだが、イントロで鮪はステージに膝をつくように、見様によっては倒れ込みながらというような姿でギターを弾く。それはこの「橙」は
「この世界は幸せな人のために回る
永遠に変わらない論理の中で生きていく」
「TVショーから 窓の外から聞こえる
笑い声がうるさく鳴り続ける」
という「オレンジ」とは全く違う、おそらくはどん底の状態にいた時の鮪の心境や感じたことが描かれているからである。この曲から、アルバムでもライブでも今までのKANA-BOONの作品では感じることのなかったような流れへと向かっていく。
それは夕暮れを思わせるような照明だった「オレンジ」からは一転して、この日の天気のように雨を想起させるような青い照明に包まれて始まる「イコール」で明らかに重さを増していく。それはバンドがそれを音で鳴らす、表現することができるようになったからであり、隙間が多いように感じられるが、やはり遠藤のベースはその隙間を縫うかのようにうねりまくると、
「このままふたりなら
優しい心でいれただろう
涙も綺麗な虹をかけてくれる為のもの」
というサビのフレーズに合わせるように照明が青から鮮やかに色をつけていく。
「ひとつとひとつでいくつにもなれそうな
理屈じゃない愛の計式」
「生きていくことも恐れなかった
さよならなんて言わないでよ
足し算のままでいさせて」
という「イコール」のタイトルの由来の描き方は鮪の作家性の強さを改めて感じざるを得ないが、そこにはどうしても「喪失」という感情も強く感じざるを得ない。
その喪失感は鮪が珍しいエレアコのギターに変えて、
「曲は手紙のようなものだと思っている。届く手紙もあるし、届かない手紙もある」
という言葉とともに「大事な曲」と言って演奏された「alone」で極まる。鮪による弾き語りのように始まり、そこに古賀のギターが、小泉のキックが、遠藤のベースが順番に寄り添うように加わっていき、2コーラス目からはメンバーが鮪に「1人にしないからな」と言っているかのようにバンドサウンドとして演奏される。
「ねぇ ハローマイフレンド
手紙は届かないけど
積み上がるくらい
書き溜めているよ」
というフレーズからも分かる通り、鮪が言うように曲が手紙だとするならば、この曲は届かなった手紙だ。その届かなかった理由は
「ねぇ ハローマイフレンド
夢みたいだったね
ねぇ ハローマイフレンド
声を聴かせてよ」
という歌詞にもある通りに、手紙を届けたい人が居なくなってしまったから。その喪失感がこれまでのKANA-BOONの曲からは想像できないくらいにリアルに描かれている。それは鮪の経験した喪失がそのまま歌詞になっているからだ。
だからこそ、自分は「Honey & Darling」を一回目に聴いた時に「重いな…」と思った。それは特にこの中盤の曲たちから感じられる喪失感からそう思ったのであるが、これを初期のKANA-BOONが演奏してもここまで重さを感じることはなかっただろう。つまりは重い歌詞をちゃんと重いものとして届けることができる技術や経験を今のKANA-BOONは持っているということだ。だからこそ重いという感想は決してネガティブなものじゃない。むしろ、KANA-BOONの音楽から感じることができる感情が増えたというポジティブなものとして捉えることができるものだ。
「alone alone...
君はどこにいる
alone alone...
what i lost」
というサビのフレーズにこんなに聴いていて心が震わされるのは鮪のボーカルに演じる技術ではなく自身の胸の内を曝け出すようなリアリティが溢れているからだ。
「このアコギ、新しく買ったんですよ。エレキみたいな音も出せるし、アコギの音も出せる。珍しいと思うだろうけど、気に入ってるんで、せっかくだから本当はアコギじゃない曲をアコギで弾きます。人生は楽しいことばかりじゃない、最低な日々もあるけど、こうして最高に楽しい時間だってある」
と言って鮪がアコギを弾くアレンジで演奏されたのは「Re:Pray」のシングルのカップリングに収録されていた「LIFE」。間奏では古賀がステージ前に出てきてギターソロを弾くと、その古賀の真後ろに重なるかのように鮪と遠藤が立って演奏するという微笑ましい姿を見せてくれると、さらにQueen「We Will Rock You」のように足踏みと手拍子で観客にリズムを委ねる。声が出せない状況だからこその、バンドと観客が一緒に音を鳴らす楽しみ方であるが、それがそのままこの「LIFE」という曲がこんなに楽しい曲だったのか、というポテンシャルの高さを改めて示してくれるものになっている。
その観客からのリズムを受けてさらに力強さを増したかのような小泉のドラムの連打から始まった「天国地獄」はサビの「天国」の鮪のリズミカルな歌唱が実に聴き心地が良い、今までのKANA-BOONの要素を感じさせる軽快な四つ打ちの曲であるが、
「天国のような地獄
夢見てなんぼの人生ゲーム」
という韻を踏んだフレーズも含めてやはり鮪の書く歌詞は本当に素晴らしいし、その表現力がより豊かになってきている感すらある。「LIFE」以外は全て「Honey & Darling」の曲をほとんどアルバムの流れのままで演奏しているという内容であるが、
「ひとつ進んで少し休んで
また歩き出す
現実なんてくだらない
それでもやっぱり生きていたい
そんなような気持ちになってほしいものです
涙を流し合おう
それから笑い合おう いつまででも」
という歌詞が続くことによって、喪失感を強く感じさせた中盤から抜け出して、光の方へと歩き始めたことがわかる。そうしたコンセプチュアルな流れはライブで聴くとメンバーの演奏時の挙動や込めた感情からより強く感じることができるものだ。
「Honey & Darling」の収録曲は年明けのZepp DiverCityでのアルバム発売告知の際にタイトルが全て読み上げられたのだが、その際に観客からクスッとした笑いが起きたのは「いないいないばあ」という子供らしさを感じるタイトルだったのだが、そうした無邪気なポップさを感じるようなメロディではあるけれども、歌詞は
「いないいないばあで探して
いないよいないよいないよ
見渡したって
あなたの優しい瞳にはもう映らない
わかってはいるけれど
いないいないばあで探して
いないよいないよいないよ
もうどこにも
忘れられない毎日が
ほらねまた まつ毛からひとしずく」
というやはり喪失感を感じるものになっている。それを重く鳴らせる表現力と技術も得ながらも、それをポップに響かせることもできるというのはKANA-BOONらしさと言えるだろうし、ポップに響かせることができるというのは喪失を乗り越えて前に進むことができているからだ。
そんな喪失を感じさせるアルバムであるが故に鮪は
「ずっと聴いてきてくれた人もそうだけど、人生が苦しかったりするような、このアルバムが必要な人に届いて欲しい」
と口にした。その必要な人とは鮪同様に人生を終わらせるギリギリのところまで行ってしまっている人ということだろう。そうした人の気持ちが今ならわかるし、そうした経験をしてそれを乗り越えたことによって、今そうした状態にいる人に光を照らすことができる。そのためのアルバムであるから。
自分は正直言ってそうした人生を終わらせたいと思ったことが特に近年はほぼ全くない。もちろん生きていて嫌なことや絶望してしまうようなことはあるけれど、それでもそう思わないのはこうして音楽やライブという自分にとって大事なものがある生活を送れているからだ。それをもっと享受したいから、まだまだ死にたくないと思う。もちろんその中にはKANA-BOONの音楽やライブも含まれている。だからこそこうして新しいアルバムがリリースされて、その曲たちをライブで鳴らしているのを観れている今日この日だってやっぱり改めてまだまだ生きてKANA-BOONの音楽を聴いてライブを観たいと思わせてくれるのだ。
それは自分にとって音楽が生きていくための光であることに他ならないのだが、
「俺にとってメンバーは光です。俺たちにとってあなたは光です」
と、自分にとっての光という存在であるメンバーたちが我々を光だと言ってくれた上で鳴らされたのはタイトル通りに「ひかり」。天井からたくさんの電球が降ってきて、その無数の電球がまさに光のように輝くという演出も鮮やかであるが、KANA-BOONの憧れであるアジカンの同名曲がそうだったように、「ひかり」というタイトルの曲はどうしても重くなりがちだ。暗闇の中にいたからこそ、「ひかり」を見つける、「ひかり」について歌えるようになったのだから。(アジカンの時はそれは震災だった)
もちろんKANA-BOONの「ひかり」にもそうした生きることの重さは
「夢は他人に優しくなること
それは人に愛されたいだけ?
なんて卑しいんだろう
自分は誰かをちゃんと愛せているの?」
という歌詞にも含まれているのだが、それでも
「夢は大きな声で叫ぶこと
恥も捨てて走り出すこと
汗も涙もキラリ光らせて
人波を逆走する」
というバンドの音が抑えられた中でのフレーズを歌う鮪のボーカルはまさにその歌詞そのもののごとくに光を放っていた。それくらいに力強かったのだ。鮪は元からいろんなバンドから褒められ、驚かれるくらいに歌が上手いボーカリストであったが、上手さだけではない表現力がまた1段階上に行っていると思うとともに、こうして「ひかり」というタイトルの曲がこんなにも光を放っているのは、アルバムの流れの通りに演奏されたことによって、この曲をはじめとした後半の曲は鮪自身が暗闇から光に向かっていくドキュメントそのものであると感じられる。だからこそこのライブでもアルバムの流れ通りに、過去の曲を挟むことなく演奏する必要があったのだろう。というかこうして実際にライブを観ていると、過去の曲を挟む余地がないなということがわかる。
そんな鮪の精神が再浮上していくドキュメントのような流れのアルバム、ライブだからこそこの最終盤で演奏された「スターマーカー」は電球に変わってステージに現れたミラーボールがそのまま生命力の煌めきであるかのように光り、何よりもこうしてライブに来ていること、生きていることの楽しさを感じさせてくれる。小泉もキックを踏みながらスティックを左右に振り、遠藤も開放弦でベースを弾きながら片手を左右に振る。その動きに合わせるように腕を左右に振る観客の姿がそのライブの楽しさを強く感じさせてくれる。この曲はフジファブリックの金澤ダイスケが共同制作した曲であり、シングルリリース時から新たなKANA-BOONの名曲としてファンに受け止められていたが、こうして鮪の、KANA-BOONの生命力の輝きをアルバムの流れで聴くことによって感じられるという意味では、この曲を授けてくれた金澤に本当に心から感謝したい。
そして
「最後に100%出します!」
と言って演奏されたのは、アルバムの最後に収録された、メガネをかけた鮪が踊るMVも印象的な「メリーゴーランド」。前回のツアーのアンコールで一足先に演奏されていたことからもこの曲がバンドにとって大事な曲であることがわかるのだが、遠藤がステージに膝をつくようにして演奏している姿は彼がサポートから本当に3人と同じ意思を共有している、同じ立ち位置のメンバーになったことを示しているし、
「生きることはつらいものです
死ぬことすら眩しく見える
それでも日々にしがみついて生きよう
光れ 光れ」
という、乗り越えたことを示す歌詞が最後に綴られている。それがそのままアルバム自体の最後のフレーズになることによって、やはりこのアルバムが再生の物語であることがわかるのだが、そのフレーズを鳴らした後に鮪、古賀、遠藤がドラムセットに向かい合って顔を合わせてキメを打つ姿からは間違いなく光のようなオーラが発されていた。その瞬間、本当にKANA-BOONは生まれ変わって、蛹から成虫に進化したんだと思えた。そんなこの4人での新しいKANA-BOONの始まりの瞬間に立ち会うことができている。ずっと観てきたからこそ辛く感じるような出来事だって何回もあったけれど、それら全てがこの瞬間のためにあったかのようだった。それくらいに新しいKANA-BOONは強くなったのだ。
アンコールではTシャツ姿になった鮪がバッグを肩にかけてステージに登場。それによっておなじみの物販紹介コーナーが始まることがわかるのだが、その際に観客にいったん席に座らせることを促すと、古賀と遠藤もステージ上で体育座りをするのについつい笑ってしまうのだが、グッズのポーチにそれぞれ何を入れて使うかという問いに
遠藤「リップクリーム」
小泉「おにぎり」
というのもまた面白いのだが、
鮪「レターセットもあるんで、友達とかにLINEするだけじゃなくて、手紙を送ってみるのもいいんじゃないかと。LINE CUBEで言うのもなんですけど(笑)」
という間の悪さもありつつ、今回の目玉はついに販売された古賀の黒シャツだろう。古賀本人は客席にいるすでに買って着てくれている人の姿を見つけて喜んでいたが、鮪には
「これは買わなくていい(笑)」
と言われてしまっていた。
そんなやり取りを経てから、
「本編でアルバムの曲ばっかりだったから、アルバムに入ってない曲をやります!」
と言って演奏されたのは渾身の「シルエット」。やはり古賀も遠藤もステージ前に出てきて演奏するという姿に、今までもこれからもずっとこの曲はKANA-BOONにとっても我々ファンにとっても大事な曲であり続けていくことを感じられるが、この日自分の後ろの席には外国人の方が座っていて、この曲が演奏された瞬間にめちゃくちゃ喜んでいた。きっとこの曲がタイアップに起用された「NARUTO」をきっかけにしてKANA-BOONに出会ったのかもしれない。鮪も人生において最も大事な漫画に「NARUTO」を挙げているし、そんな漫画のタイアップに使ってもらえたというのは我々の想像を超えるくらいにたくさんの人にとって大きな出来事であり、そうした人たちを幸せにしてきたのかもしれない、とその後ろにいた人の感動と喜びのリアクションを見ていて思っていた。KANA-BOONの曲がアニメのタイアップに起用されてきたことにちゃんと意味があったということも。
「覚えてないこともたくさんあったけど
きっとずっと変わらないものがあることを
教えてくれたあなたは消えぬ消えぬシルエット
大事にしたいもの持って大人になるんだ
どんな時も離さずに守り続けよう
そしたらいつの日にか
なにもかもを笑えるさ」
という歌詞が今まで以上に響くのは、忘れてしまうこともあったけれど、この日のライブもこれからのKANA-BOONのライブも我々はきっと覚えているだろうと思うからだ。
そして、
「「メリーゴーランド」の前に「100%出します」って言ったけど、まだいける。まだ声が出る。だからもう1曲やります!」
と、自分たちの曲が喉をかなり消耗させることをわかっているかのような(カラオケで歌うとよくわかる)言葉の後に最後に「まっさら」が演奏されると、その瞬間に客電も含めた場内の照明が全て灯って会場が一気に明るくなる。それはまるでKANA-BOONもかつて確かに立った(そして古賀は空を飛んだ)日本武道館のライブのアンコールの最後の曲の光景を思わせるものであったのだが、気付いたらステージのライブタイトルのロゴも、幕さえもなくなり、LINE CUBEのステージ全貌ってあんな風になってるのか、とついついメンバーが立っている場所よりもさらに奥の方に目が行ってしまいがちになるのだが(普段絶対見えない部分だから)、明るくなったことでメンバーはみんな演奏しながら先ほどまで以上に観客のことを隅々まで見ているようだった。鮪の顔が紅潮していたのも含めて、目の前にいてくれる、自分たちの音楽を必要としてくれている人に届けるために歌い鳴らしている。その思いがあるからこそ、おそらくは1番歌うのがキツいキーの高さと声量を求められるこの曲が、最後にしてこの日最高のパフォーマンスになっていた。それは
「まっさらな想いを伝えに
ひた走っていく
現在 過去 未来
君と繋いでいたいよ
感情を 心の奥を」
という歌詞に込められたものそのものだった。鮪が一時離脱してから、「Honey & Darling」から変わったように思えたKANA-BOONの音楽やメッセージは今までをリセットして始まった新章ではなくて、これまでの延長線上にあるものだった。アンコールの2曲はそう思わせてくれる選曲であったのと同時に、次に会える時はこの曲のコーラスを一緒に歌うことができているだろうかと微かな希望を胸に抱かせるものだった。
演奏が終わると、メンバー4人がステージ前に出てきて並んで肩を組んで観客に一礼。もちろんそこには新たにメンバーになった遠藤も3人と同じ存在として肩を組んでいる。鮪が離脱していた時にはバンドの広報としてメディアに2人で出ていた小泉と古賀に挟まれるように鮪が肩を組んでいる。そんな4人を称え、見送る拍手はやはり観客の思いを感じさせるように大きく、メンバーがステージから去っていって終演のアナウンスが流れるまで止まないくらいに長かった。
ライブが良いのは間違いないけれど、それだけじゃない、この場が本当に幸せと生きていることを実感できる場所になっている。そんなライブを今のKANA-BOONとファンは一緒になって作り上げている。いや、そうしようとしてそうなっているのではなくて、そこにいる人たちの意思が自然にそうした場所にしている。
そんなライブをこれからバンドは久しぶりに全国に届けに行く。きっと、会いたくても全然会えなかった人だってたくさんいるはず。そんないろんな場所にいる人たちにも、今のこのKANA-BOONのライブを見て欲しいと思うようなライブだった。
これは前回のツアーファイナルの時にも書いたことでもあるけれど、今の鮪は自分のように潰れてしまった人や、我々ファンの思いを全て背負っている。そうした経験をした自分だから背負えるものがあるというように。
正直、最初はもうそうならないように、売り上げや動員なんか気にしなくていいから、自分がやりたいことだけを自由に楽しくやって欲しいとも思っていた。
でもこの日のライブは、その背負った思いを持って歌い鳴らす鮪自身が誰よりも解放されているようで、楽しんでいるかのようだった。それはこの重いとすら感じる部分もある「Honey & Darling」の曲を演奏することが、鮪にとって本当に今自分がやりたいことなんだろう。そのやりたいことを、さらに豊かな表現力でできるようなメンバーも加わった。間違いなく、今のKANA-BOONは過去最高のバンドになった。それを確かに刻んだ、新生一発目のライブだった。今までよりも長い時間を、この4人とこれから過ごしていけますように。
1.Re:Pray
2.21g
3.Dance to beat
4.マイステージ
5.Torch of Liberty
6.夜が明ける
7.橙
8.イコール
9.alone
10.LIFE
11.天国地獄
12.いないいないばあ
13.ひかり
14.スターマーカー
15.メリーゴーランド
encore
16.シルエット
17.まっさら
ずっと真夜中でいいのに。 Z FACTORY 「鷹は飢えても踊り忘れず」 day1 "memory_limit=-1" @さいたまスーパーアリーナ 4/16 ホーム
YON FES 2022 day2 @モリコロパーク 4/3