GRAPEVINE 「SPRING TOUR」 @中野サンプラザ 3/18
- 2022/03/19
- 20:09
昨年もアルバム「新しい果実」をリリースして全国をツアーで回っていたが、そうしたリリースとは関係なくても、あくまでひょうひょうとライブをやりまくって生きているバンド、GRAPEVINEがツアーも終わったばかりと言ってもいいようなタイミングで、やはり「SPRING TOUR」という明らかに何にも携えていないツアーを開催。
今回は前日の初日とこの日の中野サンプラザ2days、さらには翌週のNHK大阪ホールの3公演のみという短いものであるが、「SPRING」と銘打ちながらも、いきなりこの日に冬に逆戻りしたかのような寒さと雨の日になるというのが天邪鬼バンドとしても知られるGRAPEVINEらしい感じがする。
今やバンドにとっての東京のホームと言ってもいいような会場である中野サンプラザはフルキャパの動員になっており、元からコロナ禍になって変わったのは1席空けているくらいというスタンスのバンドであっただけに、マスクをしている以外はどこか今までのライブに戻ってきたかのような。
平日とはいえ早めの開演時間である18時30分をかなり過ぎたあたりで場内がゆっくり暗転すると、ステージ上のメンバーそれぞれの立ち位置がスポットライトで照らされてSEもなしにゆっくりと5人が歩いて登場するというのはいつものGRAPEVINEのライブ通りであり、ギターを弾きながら歌い始めた田中和将(ボーカル&ギター)が白シャツ姿なのもいつも通りなのであるが、そんなライブの1曲目は全くいつも通りではない、
「ここまで来たのなら覚悟はいいかい
ここを乗り越えることはできそうかい
心の奥で何を殺したのさ」
と、まるで今日このライブに足を運んだ我々の覚悟を問うかのような、2013年にリリースされた、「初回限定盤のジャケットがLPサイズなのに普通にCDが入っている」でおなじみのアルバム「愚かな者の語ること」収録の「虎を放つ」で始まるというオープニング。
亀井亨のシンプルなドラムをはじめとして徐々にメンバーの演奏が加わっていくと、我々に問いかける覚悟は「今日はこれから渋い曲を演奏しまくるからな」ということなのだろうな、ということがわかるかのようなセッション的な演奏のアウトロへと突入していくのだが、おそらくはここにいるような人たちはどんな曲が演奏されたとしても受け止められて、その曲がリリースされた時の自身の人生を思い出すことができる、というくらいのフリークばかりであるのだろう。
しかしそんな予想が鮮やかに裏切られるのは、2曲目がフェスなどでもおなじみ(実際に年始に開催されたスペシャ主催のフェスでも演奏されていた)の「Alright」だったからであり、高野勲のシンセが華やかなホーンの音を奏でながら、田中は最後のサビ前では手拍子をし、観客も完璧にそれに合わせて手拍子をするのだが、その様子を見ていると1階席の観客は立ち上がっていて、2階席の観客はほとんど座っているという構図が見えて面白い。それはテンションの違いというよりは、バンドのグルーヴに身を委ねるようにして楽しみたいという人が1階、田中のボーカルをはじめとした極上のサウンドにじっくりと浸っていたいという人が2階というくらいに上手く棲み分けされているのだろう。もしかしたら2階席は高いから立ち上がってなかっただけかもしれないけれど。
「Alright」では華やかなホーンのサウンドをカバーしていた高野が、今度はダンサブルな電子音を奏で、意外なくらいにGRAPEVINEのライブという場に「楽しい」という感覚をもたらしてくれるのは、飛び跳ねたくなるようなリズムとサウンドによる「EVIL EYE」で、田中はサビでリフレインされる
「確かめるぜ」
のフレーズ通りに、観客の姿を確かめるかのように自身の指を眼鏡のように目に当てて客席を覗き込もうとする。そんなお茶目な姿も含めてやっぱり楽しい曲だ。かなり鬼っ子というか、長いキャリアの中でも他に似たような曲が全くないという意味で異質な曲であるけれど。
「「SPRING TOUR」と題しましたが、冬に逆戻りしたかのような寒い日になりまして(笑)皆様、お足元の悪い中お越しいただいてありがとうございます(笑)」
と田中がいつものように天邪鬼に、でも確かな観客への捻くれた愛情を感じさせてくれるように挨拶すると、昨年リリースの「新しい果実」から「目覚ましはいつも鳴り止まない」へと一気に渋さを増していく。
GRAPEVINEは田中の独特の声質による、広いホールでも圧倒されるくらいに隅々まで響き渡るようなボーカルを持ちながら、そこに重なるコーラスは曲ごとに全く違う。この曲ではグルーヴマイスターの金戸覚(ベース)が低音コーラスを重ねていたりするが、曲によってはメロディメーカーの亀井、他にもあらゆるアーティストのライブのサポートでも演奏だけならずコーラスも務める高野、プロデューサー的な役割も担っているだけに最も飄々としているように見えてギターには確かな情熱が宿っている西川弘剛と、曲に応じてコーラスを務めるメンバーが変わるのもライブを見ることによって、「あ、この曲ではアニキ(西川)もコーラスするんだな」ということがわかるのだが、そのコーラスの重なりが「新しい果実」ではより強く大きな武器になっていることを実感する。
タイトル曲があまりにも名曲過ぎる、バンドとしては珍しいミニアルバムという形態の「Everyman, Everywhere」の1曲目収録の「Metamorphose」では西川がイントロから掻き鳴らすギターと、亀井の乾いたスネアのサウンドが渋くもロックなGRAPEVINEらしさを感じさせてくれると、一転して柔らかなアコギのサウンドと
「あともう少し
冬が終わるまでは」
というフレーズが期せずしてピンポイントで寒くなったこの日に合わせたものなんじゃないかとすら思えてくる「雪解け」と、サウンドとしては緩やかに、でも確実に年数を重ねてきたことによって変遷を感じさせる歴史を辿ってきたバンドであり、こうして毎回ワンマンに来る人たちはどの曲がいつの時期にリリースされた曲なのかを知っているけれども、知らない人が初めてこうしてワンマンを見たら、続けて演奏された曲同士に長い年月の隔たりがあるなんてことを全く感じないんじゃないかというくらいに流れの中で溶け合っている。それはそう感じられるように、練りに練られた上でのセトリであるということでもある。
そんな中、前半でトップクラスに意外な選曲だったのは、あまりに意外過ぎてイントロのロックなサウンドが演奏された時点で「おおっ!?」と唸ってしまいそうになってしまった「ジュブナイル」。もう15年近くも前の曲であるのだが、この曲がシングルでリリースされた時、もうこんなにわかりやすいくらいに青いロックな曲はやらないと思っていただけに本当に驚いたことを今でもよく覚えているし、それは今でも驚きを与えてくれる。この曲を今でもライブで演奏してくれるんだ、と。
「ジュブナイル」=少年期であるために、このテーマを歌う時にこのサウンドになったのは必然でもあるのだが、もはやロックバンドシーンの重鎮的な立ち位置になっている存在であっても、今もそのジュブナイル的なものを田中が抱えているんじゃないかと思うのは、田中がサビに入る前に気合いを入れるように
「オイ!」
と声を放つのを今でも続けているからである。それはロックに出会った少年が何十年もそのまま変わることなくロックバンドで歌い、鳴らしているかのよう。渋いバンドというイメージが強いだろうし、それはもしかしたら老成という意味合いと同義として捉えられるかもしれないけれど、そんなことはない。GRAPEVINEは今でも青さを抱えたロックバンドなのである。この曲をこんなに瑞々しく鳴らすことができているのだから。
かと思えば田中と亀井の方に立ち位置を寄せながら、呼吸を合わせるように鳴らす西川のクセになるギターリフと不規則なリズム、田中の不穏さを纏ったボーカルが絡み合う「BABEL」とサウンドも景色もまた一変するのだが、
「愛を植え勝つ者
立ちつ手と手を繋ぐ者は行こうか
聞け酷使した者
刺せ思想すら一端にぶら下げて行け
上げて行け」
「後遺症に泣くのも
陰謀を背負って立つのもありそう
バベルの塔はきっと
懲りず積み上げられてゆくでしょうね
ゆくのでしょうね」
というこの曲のフレーズの数々は今世界で起きている対立を皮肉っているようにも聞こえる。もちろん曲を決めたのは今のような状況になる前のことだとは思われるが、田中の描く、一聴すると難解にも思える歌詞は解釈の仕方が聴き手によっても変わるからこそ、今自分が聴くとそういう意味合いに聴こえてくる。それはコロナ禍になってから初めてバインのライブを観た2020年の秋のツアーでも過去の曲たちが確かに今のこの状況を言い当てているかのように聴こえたように。そういう意味では田中はロック界の預言者と言える存在なのかもしれない。
それはトラック的なリズムも人力で演奏される亀井の器用さを感じさせる「Neo Burlesque」の
「口に出していいならば逆に何も云わない
この世代のせいにしたってこと」
「へし折られた鼻だってほらごらんのとおり
立ち直りの方法があるものさ」
という歌詞もそうなのだが、もう11年も前にリリースされた「真昼のストレンジランド」に収録されたこの曲の歌詞が現代のSNS社会への警鐘であるかのように響くのもまたそうである。
それは近年の新たな代表曲と言える「ねずみ浄土」に散りばめられたフレーズはまさに最新のGRAPEVINEとしての世の中へのメッセージと言えるのであるが、削ぎ落とされたサウンドの中に田中のファルセットボーカルとメンバーのコーラスが重なることで、
「新たな普通
何かが狂う
眉ひとつ動かしもぜず」
というコロナ禍になったことを意識したであろうフレーズがより不穏に響く。
再び一転してロックなサウンドとなり、ここまでで最大と言えるようなロックバンドとしてのグルーヴがホールを支配するのは「KINGDOM COME」。そのグルーヴのあまりのスケールの大きさ、田中のボーカルの声量の素晴らしさは、やる予定は一切ないだろうけれどもこの曲を武道館あたりで演奏している光景を見たくなる。ベテランバンドたちが次々と記念碑的に武道館でワンマンをやるようになっているが、バインがその連なりにはいないのは、バインはやろうと思えばいくらだって武道館でワンマンができたバンドだけれど、敢えてこのくらいのホールをワンマンの最大規模として活動してきたバンドだからだ。そこには音の響きへのこだわり的なものもあるのかもしれないが、このグルーヴを体験してしまったらいつかはあの規模で…と思わずにはいられない。
かつてはフェスの大きなステージなどでも鳴らされていた曲であるが、いかんせん曲の尺が長いだけに、フェスの持ち時間で演奏すると1/3〜1/4くらいの持ち時間を占めてしまい、他の曲数が少なくなってしまう曲でもあった。(ましてや「CORE」など他の長尺曲もよく演奏されていただけに)
それだけにやはりバインのファンのみが集まるワンマンで、もっと大きな規模の会場で聴きたい曲だと思った。今になってそう思えるということは、バイン自身のこの曲の演奏のスケールがより大きくなっているということだろう。
そんな未だに見たことがないようなスケールの大きさを想像させる「KINGDOM COME」から一転して目に見える最小範囲にフォーカスを絞るような、金戸がウッドベースに持ち替えて演奏されたのもよりそう感じさせる「世界が変わるにつれて」。そこで歌われる
「人の上澄みはもう
ここからは必要ない
辿り着くのか野垂れ死か
知らないが」
というフレーズはやはり今の世界情勢を意識させるあたり、実は今のロシアとウクライナの関係が顕在化してからやる曲を入れ替えたんじゃないだろうかとすら感じてしまう。それくらいにハッキリとそのことについて歌っているように感じてしまうからだ。
ここぞというタイミングのライブで演奏されている感がある、ドラマーである亀井のメロディメーカーっぷりを改めて感じさせる「アナザーワールド」も(この曲の作曲者は亀井)、「世界」という単語は直前の「世界が変わるにつれて」から連なるものでもあるのだが、その美しいメロディに乗る
「誰かが土足で入り込む
誰かがまた踏み荒らしてる
そんな気がしてたっけ」
というフレーズもまたタイトルだけでなく今の世界を歌っているという意味でも連なっている曲であると思わせる。だからこそこの日も普段のライブと同様にメンバーの背後に設置された照明が曲によって色鮮やかに光るのみという最小限の演出だったのだが、青や紫、時には光を思わせるような白い照明がより一層この曲たちを祈りの音楽として照らしているようにも感じられる。田中はMCでそうしたことを直接口にすることはないタイプのミュージシャンであるが、それは言いたいことを全て曲に込めているからとも言えるだろう。
メロディメーカーでもある亀井がここでは雄大な景色を想起させる雄大なリズムを鳴らすドラマーとして躍動する「Silverado」から、
「世界をウォールで閉ざしてしまいます
起爆でさえウェアラブルで安全手軽へ」
「ひと夏の思い出 フェスなどいかがです
虚空へと向かって狂おしく燃え上がれ」
「エイジャの明日を憂えば 憂えば炎上
聖者のアスに触れれば 奪えればブレイクオフ」
と、田中の皮肉屋っぷりが炸裂する歌詞が並びまくる「Shame」と、この日のライブは音響にも定評のある中野サンプラザであるが故に、田中の歌っているフレーズがしっかり聞き取れるというのもあるが、どうにも歌詞の一つ一つが刺さってくるようなタイプの曲が多いように感じた。そうした曲を選んだバンドからしても、今歌いたい曲を選んだということでもあるのだろう。
そんな中、田中はこのツアーでは物販で漢字ドリルが販売されていることを告知し(以前の物販の買い物カゴ同様にバカ売れしているらしい。実はバインは物販をプロデュースするセンスがあるのかも?)、
「まだあと630万曲やるんで」
といつものように嘯くのだが、そんな中で
「大事なことを言うのを忘れてた。我々今年でメジャーデビュー25周年です」
と口にすると、これまでの長きに渡る日々を肯定するかのように、客席から一際大きな拍手が送られる。レーベル移籍もあったけれども、今のこのご時世の中で25年間に渡ってメジャーレーベルに所属し続け、止まることなくコンスタントに作品をリリースし続けてきたというのは本当に凄いことだ。改めて25年と言われると、もうそんなに経ったのか…とも思うけれど、西原誠の脱退はあったとはいえ、同時期にデビューした、いわゆる97〜98年組の中でここまで止まらずにデビューから進み続けてきたバンドはバインくらいじゃないだろうか、とも思うし、それがいつか国宝に認定されるくらいまで続いていて欲しいなと思う。
「KINGDOM COME」ではバンド全体で醸成していたグルーヴを、金戸のうねりまくるようなベースで生み出しているのは「新しい果実」における新たなグルーヴの結晶たるバインの曲である「阿」であるが、年明けのスペシャのフェスに出演していた際に演奏した時も思ったのは、こうしたタイプの曲を「カッコいい」と思えるかどうかというのがバインを好きになる分水嶺になっているんじゃないかということだ。
もちろんロックバンドが好きな人ならばこのグルーヴの強靭さと、そこに切り込んでいくかのような西川のシャープなギターのカッコよさをわかってくれるだろうとは思っているし、メンバーもそう思っているからこそ、メロディが際立つ、いわゆる「名曲」的な曲を連発するんじゃなくて、こうした曲をフェスに入れているのだろうと思う。
そんな「阿」も歌詞には社会への皮肉や風刺が盛り込まれていると思われるのだが、同じ「新しい果実」収録曲から続けて演奏された「さみだれ」はそうした社会や世の中の状況の中であっても
「ただこうやってただこうやって
あなたのそばに立って
風と雨 光と影
言葉はもう要らなくて」
という歌詞が穏やかな日常こそが本当に大切なものであるということを実感させてくれるような曲だ。田中の弾き語りでも通用しそうなくらいにメロディの力が強い曲を、曲が進むにつれてバンドメンバーの音がそのメロディと歌を支えるように肉付けしていく。
そんな穏やかなサウンドから再び一転するように、田中がエレキを掻き鳴らしながら歌い始めたのはまさかの今になっての2005年リリースシングル「その未来」。青さというよりは疾走感と重厚さが同居するような、こちらもこれぞバインのロックサウンドというような曲であるが、田中は
「一秒一秒」「一度」
というフレーズを強調するようにその部分では人差し指を立て、それを観客に強く意識させるように客席を指差したりしながら歌う。
この曲には当時「ラジオ番組をやりたいけどやらせてくれないから自分たちで勝手に収録してCDの初回盤に付ける」というラジオCDが付いていたのだが、そこで
田中「「その未来」はどの未来ですか?」
西川「グラビアアイドルが何年後に脱いでいたりするような未来」
と、バンド全体ではぐらかすかのようなトークが展開されていたのだが、この日の流れの中での「その未来」は明確に、今こういう社会の状況になってしまっている。それを経験した上で、これからの未来はどうする?という我々への問いかけであるかのように感じた。それはバンドが「我々はこれからも音楽で、曲でそれを訴えていく」という決意を持っているからこその、特に間奏やアウトロでの亀井のドラムの連打による力強いサウンドあってこそのものであるし、この日のこの曲にもカッコいいロックバンドとして我々の精神を高揚させてくれるGRAPEVINEらしさが宿っていた。田中の最後の叫ぶようなボーカルとそれに続くアウトロの演奏は、もしコロナ禍じゃない状況でライブハウスでのライブだったらモッシュが起きるような状況になっていたんじゃないかと思うくらいに衝動を掻き立ててくれる。
そんなアルバムの最後に配置されたのは、やはり「新しい果実」の先行曲としてリリースされた「Gifted」。ライブの構成としても「新しい果実」の曲が1番多くなっているというのは、常に最新のアルバムが最高のものであり、今のバンドの進化とモードを示すものでもあるのだが、
「神様が匙投げた
明らかに薹の立った世界で
狩る者と狩られる者と
ここでそれを嗤っている者
どれもこれももういい
さよなら」
というタイトルとは裏腹に田中がシャーマンのようにすら見える不穏さを感じるサウンドに乗せて歌われるサビのフレーズは、やはり今の世界情勢を、こうなる前から予言していたかのように描写したものになっている。そう考えると「新しい果実」は今こそその曲たちに込められたメッセージがよりリアルに、強く深く刺さるようなアルバムになっているんじゃないかと思う。バインのアルバムはどれもが何年経っても全く風化しないものでしかないのだが、それとはまた少し違う感覚を「新しい果実」に関しては抱くようになってきている。
そんな曲を演奏した後の異様とも言えるような空気を掻き消すようにして、
「ありがと中野ー!」
と言って笑顔で田中が手を振ってステージを去ると、アンコールではライブTシャツに着替えて登場し、アンコールを貰えたことへの感謝とともに、
「中野サンプラザにまた来れるのか。まぁもう来れないでしょう。取り壊されるらしいからね。最初に来た時にそう言ってから2回も来ているんで、2度あることは3度あるということで」
と、中野サンプラザへの思い入れを口にしたのだが、もうかなり前からなくなると言われながらも全然なくならないので、もしかしたらまたここでこうしてGRAPEVINEのライブが見れる時が来るんじゃないかと思いながら演奏されたのは、これもまたまさかの選曲である「BREAKTHROUGH」。
「その未来」もそうであるが、こんなにもバインのロックな曲を複数曲聴けるとはさすがリリースに関係しないライブであるが、
「Jim Morrison?」
という田中のルーツでもあるであろうミュージシャンも歌詞に登場するが、なんと言っても
「アイデアのスウィートソウルが嘘みたいに鳴ってて」
という歌詞は田中は完全に「アイデアのスウィートソウル」をこの当時の最新作アルバムであった「イデアの水槽」と歌っているのだが、リリース時に歌詞カードを見て本当に驚いた記憶があるし、それを単なる空耳ではなくてちゃんと意味の通る歌詞、なんなら文学としても成立させている田中の作詞家としての凄さを改めて感じたものだ。
さらには田中がブルースハープを装着する姿が否が応でも何の曲を演奏するのかという期待が膨らみ、実際にアコギを弾き、そのブルースハープを吹きながら歌うのはデビューミニアルバム収録の「手のひらの上」。まだその圧倒的なロックバンドとしてのグルーヴが芽を出すはるか以前、GRAPEVINEが「ポスト・ミスチル」という今となっては考えられないような位置につけられていたくらいにキャッチーなメロディを持ったバンドとしての曲であるが、この曲以外にもそのデビューミニアルバムタイトル曲の「覚醒」もこうしてライブのアンコールで演奏する時もある。ベテランバンドになるにつれて初期の曲をやらなくなっていくバンドも多いけれど、どれだけ音楽的に深く進化してきても、GRAPEVINEはデビュー当時の曲を今でもこうしてライブで演奏している。
それがそうした時期があっての今に繋がっていて、それがデビュー25周年を迎える歴史の始まりであったということをこんなにも感じさせてくれるバンドはそうそういない。今演奏しても恥ずかしくないようなものを当時から作っていたということの証明でもあるのだ。もちろん表現力は格段に上がった上で。
そんな「手のひらの上」が終わるや否や、ステージは一気に薄暗くなり、仄かに照らすライトがメンバーの演奏する手元が見えるようにという最小限中の最小限のものになる中で、西川があのイントロを聴いただけでもう名曲確定なギターのフレーズを弾くのは、今やバインのライブでは最大の定番曲になってきている「光について」である。(それでも前日は演奏されなかったらしい)
バインの大ファンであるマカロニえんぴつのはっとりが「この曲の演出を見て、やりたいと思った」と、自分たちのライブに取り入れた、最後の
「僕らはまだここにあるさ」
のフレーズで薄暗かった空間が一気に光に満たされていくという演出は何度見ても震えてしまう。それは演出はもちろんのこと、この曲が何度聴いても決して飽きることのない至上の名曲だからだろう。今ではフェスに出演した時も必ずと言っていいくらいに演奏される曲になったが、そうした場所で初めて観た若い音楽ファンの人がこの曲に触れてくれれば、バインの音楽をそこから掘ってくれるきっかけになるかもしれない。そう思うのは、昔フェスに出まくっていた頃は全くと言っていいくらいにこの曲を含むヒットシングルを演奏していなかったからでもあるのだが。(それは当時のバンドの「フェスでは自分たちの1番濃いところを見せるべき」という方針によるものだったし、それもまたこのバンドを信頼する理由でもあった)
「中野ー!ありがとー!東京の人たちは今年またどっかで会おうぜー!そのうち発表するぜー!」
と、このツアーが終わってもまた年内にバインのワンマンが見れるということを田中が予告してから西川がイントロのギターを弾き始めると、立ち上がっている1階席も、座っている2階席もたくさんの人がそのギターの音に反応するように腕を高く挙げる。それは「光について」とともにバイン至上の名曲にして代表曲の一つである「ふれていたい」のものであることが一瞬でわかったからであるが、この曲を象徴するフレーズの一つである
「愛の力足りない レノンがパーでぼくはグー」
というフレーズで手をグーの形にするように握りしめる観客の姿を嘲笑うかのように
「レノンがパーでぼくもパー」
と歌詞を変えて歌う。その天邪鬼っぷりはこうして割とわかりやすいヒット曲をライブでやるようになっても全く変わることはないが、田中はMCで「声はまだ出せないけど〜」という話をしていた。バインのライブは声が出せなくてもそんなに影響はないだろうとも思っていたのだが、マスクの下で、心の中でこの曲を口ずさんでいる自分がいることに気付いた。全編声を出して歌いっぱなしだと他の観客にウザがられることはわかっているけれど、せめてこの曲の
「イエーいよう」
というフレーズくらいはバインを愛する人たちで一緒に声を合わせて歌いたいと思うとともに、最後の
「燃えてゆけ そして 終わらんねえ!」
というフレーズが、25年を超えてもなおGRAPEVINEが全く終わる気配がないということを感じさせてくれる。というか、いつか必ずその時は来るだろうけれど、それでもバインが終わるなんて1ミリ足りとも考えたことがない。ずっとこうやって続いていくと思っていたし、その通りに一度も止まることなく続いてきた。
だからこそ、終わるなんてのはGRAPEVINEに関してだけはその時になったら考えればいい。きっとそれはまだはるか先のことで、これからも我々はずっとこうしてライブを観続けることができるのだろうから。演奏が終わって思いっきり遠くまで飛ばそうとサイドスローでピックを投げる西川も、両手を握って観客に感謝の意を示す田中も、ずっと変わることがないその姿が確かに、終わらねえ!というのがバンドの総意であることを示しているように見えた。
GRAPEVINEに出会ったのはまだライブに行くなんてことを考えたこともなかったくらいに千葉の田舎のガキだった頃だった。当時からCDTVにランクインしていたり、NHKの音楽番組「POP JAM」によく出演していたから、存在を知ってその音楽を聴くようになるまでに時間はかからなかったし、それからずっと聴いていたから、ライブに行くようになってからの年数=ライブを観てきた年数と言えるような、どこか実家のような感じすら持っているバンドだ。
だからこそ、今までに何回ライブを観てきたかわからないし、その中には記念碑的なライブも、再現ライブも、リリースツアーも、そうでない単発のライブもあった。その中で本当に素晴らしいライブだって何本も観てきた。
でもこの日のライブはその素晴らしいライブを何本も見せてきてくれたバンドの中でも間違いなくトップクラスに素晴らしいライブだった。その「素晴らしいライブ」というのは演者がわかりやすくエモーショナルになるようなMCや曲があるという類いのものではない。
ただただひたすらにバンドが研鑽を重ねて、これまでの長きに渡る活動の中で生み出してきた曲たちをそうして積み重ねてきた今の技術で鳴らす。それはロックバンドとしてのこれ以上ないくらいに理想的な年数の重ね方だからだし、GRAPEVINEが進化を果たし続けてきたことの証明でもあるし、まだまだ進化を続けていくことの証明でもある。そしてそれはバンドとともに年齢を重ねてきた我々にとっても本当に心強いものであり、生きる力を与えてくれるものでもある。
ライブが終わって外に出ると中野は冷たい雨がかなり強く降っていたけれど、このライブを観て、君が笑ったから明日は晴れだな、と思っていた。
1.虎を放つ
2.Alright
3.EVIL EYE
4.目覚ましはいつも鳴り止まない
5.Metamorphose
6.雪解け
7.ジュブナイル
8.BABEL
9.Neo Burlesque
10.ねずみ浄土
11.KINGDOM COME
12.世界が変わるにつれて
13.アナザーワールド
14.Silverado
15.Shame
16.阿
17.さみだれ
18.その未来
19.Gifted
encore
20.BREAKTHROUGH
21.手のひらの上
22.光について
23.ふれていたい
今回は前日の初日とこの日の中野サンプラザ2days、さらには翌週のNHK大阪ホールの3公演のみという短いものであるが、「SPRING」と銘打ちながらも、いきなりこの日に冬に逆戻りしたかのような寒さと雨の日になるというのが天邪鬼バンドとしても知られるGRAPEVINEらしい感じがする。
今やバンドにとっての東京のホームと言ってもいいような会場である中野サンプラザはフルキャパの動員になっており、元からコロナ禍になって変わったのは1席空けているくらいというスタンスのバンドであっただけに、マスクをしている以外はどこか今までのライブに戻ってきたかのような。
平日とはいえ早めの開演時間である18時30分をかなり過ぎたあたりで場内がゆっくり暗転すると、ステージ上のメンバーそれぞれの立ち位置がスポットライトで照らされてSEもなしにゆっくりと5人が歩いて登場するというのはいつものGRAPEVINEのライブ通りであり、ギターを弾きながら歌い始めた田中和将(ボーカル&ギター)が白シャツ姿なのもいつも通りなのであるが、そんなライブの1曲目は全くいつも通りではない、
「ここまで来たのなら覚悟はいいかい
ここを乗り越えることはできそうかい
心の奥で何を殺したのさ」
と、まるで今日このライブに足を運んだ我々の覚悟を問うかのような、2013年にリリースされた、「初回限定盤のジャケットがLPサイズなのに普通にCDが入っている」でおなじみのアルバム「愚かな者の語ること」収録の「虎を放つ」で始まるというオープニング。
亀井亨のシンプルなドラムをはじめとして徐々にメンバーの演奏が加わっていくと、我々に問いかける覚悟は「今日はこれから渋い曲を演奏しまくるからな」ということなのだろうな、ということがわかるかのようなセッション的な演奏のアウトロへと突入していくのだが、おそらくはここにいるような人たちはどんな曲が演奏されたとしても受け止められて、その曲がリリースされた時の自身の人生を思い出すことができる、というくらいのフリークばかりであるのだろう。
しかしそんな予想が鮮やかに裏切られるのは、2曲目がフェスなどでもおなじみ(実際に年始に開催されたスペシャ主催のフェスでも演奏されていた)の「Alright」だったからであり、高野勲のシンセが華やかなホーンの音を奏でながら、田中は最後のサビ前では手拍子をし、観客も完璧にそれに合わせて手拍子をするのだが、その様子を見ていると1階席の観客は立ち上がっていて、2階席の観客はほとんど座っているという構図が見えて面白い。それはテンションの違いというよりは、バンドのグルーヴに身を委ねるようにして楽しみたいという人が1階、田中のボーカルをはじめとした極上のサウンドにじっくりと浸っていたいという人が2階というくらいに上手く棲み分けされているのだろう。もしかしたら2階席は高いから立ち上がってなかっただけかもしれないけれど。
「Alright」では華やかなホーンのサウンドをカバーしていた高野が、今度はダンサブルな電子音を奏で、意外なくらいにGRAPEVINEのライブという場に「楽しい」という感覚をもたらしてくれるのは、飛び跳ねたくなるようなリズムとサウンドによる「EVIL EYE」で、田中はサビでリフレインされる
「確かめるぜ」
のフレーズ通りに、観客の姿を確かめるかのように自身の指を眼鏡のように目に当てて客席を覗き込もうとする。そんなお茶目な姿も含めてやっぱり楽しい曲だ。かなり鬼っ子というか、長いキャリアの中でも他に似たような曲が全くないという意味で異質な曲であるけれど。
「「SPRING TOUR」と題しましたが、冬に逆戻りしたかのような寒い日になりまして(笑)皆様、お足元の悪い中お越しいただいてありがとうございます(笑)」
と田中がいつものように天邪鬼に、でも確かな観客への捻くれた愛情を感じさせてくれるように挨拶すると、昨年リリースの「新しい果実」から「目覚ましはいつも鳴り止まない」へと一気に渋さを増していく。
GRAPEVINEは田中の独特の声質による、広いホールでも圧倒されるくらいに隅々まで響き渡るようなボーカルを持ちながら、そこに重なるコーラスは曲ごとに全く違う。この曲ではグルーヴマイスターの金戸覚(ベース)が低音コーラスを重ねていたりするが、曲によってはメロディメーカーの亀井、他にもあらゆるアーティストのライブのサポートでも演奏だけならずコーラスも務める高野、プロデューサー的な役割も担っているだけに最も飄々としているように見えてギターには確かな情熱が宿っている西川弘剛と、曲に応じてコーラスを務めるメンバーが変わるのもライブを見ることによって、「あ、この曲ではアニキ(西川)もコーラスするんだな」ということがわかるのだが、そのコーラスの重なりが「新しい果実」ではより強く大きな武器になっていることを実感する。
タイトル曲があまりにも名曲過ぎる、バンドとしては珍しいミニアルバムという形態の「Everyman, Everywhere」の1曲目収録の「Metamorphose」では西川がイントロから掻き鳴らすギターと、亀井の乾いたスネアのサウンドが渋くもロックなGRAPEVINEらしさを感じさせてくれると、一転して柔らかなアコギのサウンドと
「あともう少し
冬が終わるまでは」
というフレーズが期せずしてピンポイントで寒くなったこの日に合わせたものなんじゃないかとすら思えてくる「雪解け」と、サウンドとしては緩やかに、でも確実に年数を重ねてきたことによって変遷を感じさせる歴史を辿ってきたバンドであり、こうして毎回ワンマンに来る人たちはどの曲がいつの時期にリリースされた曲なのかを知っているけれども、知らない人が初めてこうしてワンマンを見たら、続けて演奏された曲同士に長い年月の隔たりがあるなんてことを全く感じないんじゃないかというくらいに流れの中で溶け合っている。それはそう感じられるように、練りに練られた上でのセトリであるということでもある。
そんな中、前半でトップクラスに意外な選曲だったのは、あまりに意外過ぎてイントロのロックなサウンドが演奏された時点で「おおっ!?」と唸ってしまいそうになってしまった「ジュブナイル」。もう15年近くも前の曲であるのだが、この曲がシングルでリリースされた時、もうこんなにわかりやすいくらいに青いロックな曲はやらないと思っていただけに本当に驚いたことを今でもよく覚えているし、それは今でも驚きを与えてくれる。この曲を今でもライブで演奏してくれるんだ、と。
「ジュブナイル」=少年期であるために、このテーマを歌う時にこのサウンドになったのは必然でもあるのだが、もはやロックバンドシーンの重鎮的な立ち位置になっている存在であっても、今もそのジュブナイル的なものを田中が抱えているんじゃないかと思うのは、田中がサビに入る前に気合いを入れるように
「オイ!」
と声を放つのを今でも続けているからである。それはロックに出会った少年が何十年もそのまま変わることなくロックバンドで歌い、鳴らしているかのよう。渋いバンドというイメージが強いだろうし、それはもしかしたら老成という意味合いと同義として捉えられるかもしれないけれど、そんなことはない。GRAPEVINEは今でも青さを抱えたロックバンドなのである。この曲をこんなに瑞々しく鳴らすことができているのだから。
かと思えば田中と亀井の方に立ち位置を寄せながら、呼吸を合わせるように鳴らす西川のクセになるギターリフと不規則なリズム、田中の不穏さを纏ったボーカルが絡み合う「BABEL」とサウンドも景色もまた一変するのだが、
「愛を植え勝つ者
立ちつ手と手を繋ぐ者は行こうか
聞け酷使した者
刺せ思想すら一端にぶら下げて行け
上げて行け」
「後遺症に泣くのも
陰謀を背負って立つのもありそう
バベルの塔はきっと
懲りず積み上げられてゆくでしょうね
ゆくのでしょうね」
というこの曲のフレーズの数々は今世界で起きている対立を皮肉っているようにも聞こえる。もちろん曲を決めたのは今のような状況になる前のことだとは思われるが、田中の描く、一聴すると難解にも思える歌詞は解釈の仕方が聴き手によっても変わるからこそ、今自分が聴くとそういう意味合いに聴こえてくる。それはコロナ禍になってから初めてバインのライブを観た2020年の秋のツアーでも過去の曲たちが確かに今のこの状況を言い当てているかのように聴こえたように。そういう意味では田中はロック界の預言者と言える存在なのかもしれない。
それはトラック的なリズムも人力で演奏される亀井の器用さを感じさせる「Neo Burlesque」の
「口に出していいならば逆に何も云わない
この世代のせいにしたってこと」
「へし折られた鼻だってほらごらんのとおり
立ち直りの方法があるものさ」
という歌詞もそうなのだが、もう11年も前にリリースされた「真昼のストレンジランド」に収録されたこの曲の歌詞が現代のSNS社会への警鐘であるかのように響くのもまたそうである。
それは近年の新たな代表曲と言える「ねずみ浄土」に散りばめられたフレーズはまさに最新のGRAPEVINEとしての世の中へのメッセージと言えるのであるが、削ぎ落とされたサウンドの中に田中のファルセットボーカルとメンバーのコーラスが重なることで、
「新たな普通
何かが狂う
眉ひとつ動かしもぜず」
というコロナ禍になったことを意識したであろうフレーズがより不穏に響く。
再び一転してロックなサウンドとなり、ここまでで最大と言えるようなロックバンドとしてのグルーヴがホールを支配するのは「KINGDOM COME」。そのグルーヴのあまりのスケールの大きさ、田中のボーカルの声量の素晴らしさは、やる予定は一切ないだろうけれどもこの曲を武道館あたりで演奏している光景を見たくなる。ベテランバンドたちが次々と記念碑的に武道館でワンマンをやるようになっているが、バインがその連なりにはいないのは、バインはやろうと思えばいくらだって武道館でワンマンができたバンドだけれど、敢えてこのくらいのホールをワンマンの最大規模として活動してきたバンドだからだ。そこには音の響きへのこだわり的なものもあるのかもしれないが、このグルーヴを体験してしまったらいつかはあの規模で…と思わずにはいられない。
かつてはフェスの大きなステージなどでも鳴らされていた曲であるが、いかんせん曲の尺が長いだけに、フェスの持ち時間で演奏すると1/3〜1/4くらいの持ち時間を占めてしまい、他の曲数が少なくなってしまう曲でもあった。(ましてや「CORE」など他の長尺曲もよく演奏されていただけに)
それだけにやはりバインのファンのみが集まるワンマンで、もっと大きな規模の会場で聴きたい曲だと思った。今になってそう思えるということは、バイン自身のこの曲の演奏のスケールがより大きくなっているということだろう。
そんな未だに見たことがないようなスケールの大きさを想像させる「KINGDOM COME」から一転して目に見える最小範囲にフォーカスを絞るような、金戸がウッドベースに持ち替えて演奏されたのもよりそう感じさせる「世界が変わるにつれて」。そこで歌われる
「人の上澄みはもう
ここからは必要ない
辿り着くのか野垂れ死か
知らないが」
というフレーズはやはり今の世界情勢を意識させるあたり、実は今のロシアとウクライナの関係が顕在化してからやる曲を入れ替えたんじゃないだろうかとすら感じてしまう。それくらいにハッキリとそのことについて歌っているように感じてしまうからだ。
ここぞというタイミングのライブで演奏されている感がある、ドラマーである亀井のメロディメーカーっぷりを改めて感じさせる「アナザーワールド」も(この曲の作曲者は亀井)、「世界」という単語は直前の「世界が変わるにつれて」から連なるものでもあるのだが、その美しいメロディに乗る
「誰かが土足で入り込む
誰かがまた踏み荒らしてる
そんな気がしてたっけ」
というフレーズもまたタイトルだけでなく今の世界を歌っているという意味でも連なっている曲であると思わせる。だからこそこの日も普段のライブと同様にメンバーの背後に設置された照明が曲によって色鮮やかに光るのみという最小限の演出だったのだが、青や紫、時には光を思わせるような白い照明がより一層この曲たちを祈りの音楽として照らしているようにも感じられる。田中はMCでそうしたことを直接口にすることはないタイプのミュージシャンであるが、それは言いたいことを全て曲に込めているからとも言えるだろう。
メロディメーカーでもある亀井がここでは雄大な景色を想起させる雄大なリズムを鳴らすドラマーとして躍動する「Silverado」から、
「世界をウォールで閉ざしてしまいます
起爆でさえウェアラブルで安全手軽へ」
「ひと夏の思い出 フェスなどいかがです
虚空へと向かって狂おしく燃え上がれ」
「エイジャの明日を憂えば 憂えば炎上
聖者のアスに触れれば 奪えればブレイクオフ」
と、田中の皮肉屋っぷりが炸裂する歌詞が並びまくる「Shame」と、この日のライブは音響にも定評のある中野サンプラザであるが故に、田中の歌っているフレーズがしっかり聞き取れるというのもあるが、どうにも歌詞の一つ一つが刺さってくるようなタイプの曲が多いように感じた。そうした曲を選んだバンドからしても、今歌いたい曲を選んだということでもあるのだろう。
そんな中、田中はこのツアーでは物販で漢字ドリルが販売されていることを告知し(以前の物販の買い物カゴ同様にバカ売れしているらしい。実はバインは物販をプロデュースするセンスがあるのかも?)、
「まだあと630万曲やるんで」
といつものように嘯くのだが、そんな中で
「大事なことを言うのを忘れてた。我々今年でメジャーデビュー25周年です」
と口にすると、これまでの長きに渡る日々を肯定するかのように、客席から一際大きな拍手が送られる。レーベル移籍もあったけれども、今のこのご時世の中で25年間に渡ってメジャーレーベルに所属し続け、止まることなくコンスタントに作品をリリースし続けてきたというのは本当に凄いことだ。改めて25年と言われると、もうそんなに経ったのか…とも思うけれど、西原誠の脱退はあったとはいえ、同時期にデビューした、いわゆる97〜98年組の中でここまで止まらずにデビューから進み続けてきたバンドはバインくらいじゃないだろうか、とも思うし、それがいつか国宝に認定されるくらいまで続いていて欲しいなと思う。
「KINGDOM COME」ではバンド全体で醸成していたグルーヴを、金戸のうねりまくるようなベースで生み出しているのは「新しい果実」における新たなグルーヴの結晶たるバインの曲である「阿」であるが、年明けのスペシャのフェスに出演していた際に演奏した時も思ったのは、こうしたタイプの曲を「カッコいい」と思えるかどうかというのがバインを好きになる分水嶺になっているんじゃないかということだ。
もちろんロックバンドが好きな人ならばこのグルーヴの強靭さと、そこに切り込んでいくかのような西川のシャープなギターのカッコよさをわかってくれるだろうとは思っているし、メンバーもそう思っているからこそ、メロディが際立つ、いわゆる「名曲」的な曲を連発するんじゃなくて、こうした曲をフェスに入れているのだろうと思う。
そんな「阿」も歌詞には社会への皮肉や風刺が盛り込まれていると思われるのだが、同じ「新しい果実」収録曲から続けて演奏された「さみだれ」はそうした社会や世の中の状況の中であっても
「ただこうやってただこうやって
あなたのそばに立って
風と雨 光と影
言葉はもう要らなくて」
という歌詞が穏やかな日常こそが本当に大切なものであるということを実感させてくれるような曲だ。田中の弾き語りでも通用しそうなくらいにメロディの力が強い曲を、曲が進むにつれてバンドメンバーの音がそのメロディと歌を支えるように肉付けしていく。
そんな穏やかなサウンドから再び一転するように、田中がエレキを掻き鳴らしながら歌い始めたのはまさかの今になっての2005年リリースシングル「その未来」。青さというよりは疾走感と重厚さが同居するような、こちらもこれぞバインのロックサウンドというような曲であるが、田中は
「一秒一秒」「一度」
というフレーズを強調するようにその部分では人差し指を立て、それを観客に強く意識させるように客席を指差したりしながら歌う。
この曲には当時「ラジオ番組をやりたいけどやらせてくれないから自分たちで勝手に収録してCDの初回盤に付ける」というラジオCDが付いていたのだが、そこで
田中「「その未来」はどの未来ですか?」
西川「グラビアアイドルが何年後に脱いでいたりするような未来」
と、バンド全体ではぐらかすかのようなトークが展開されていたのだが、この日の流れの中での「その未来」は明確に、今こういう社会の状況になってしまっている。それを経験した上で、これからの未来はどうする?という我々への問いかけであるかのように感じた。それはバンドが「我々はこれからも音楽で、曲でそれを訴えていく」という決意を持っているからこその、特に間奏やアウトロでの亀井のドラムの連打による力強いサウンドあってこそのものであるし、この日のこの曲にもカッコいいロックバンドとして我々の精神を高揚させてくれるGRAPEVINEらしさが宿っていた。田中の最後の叫ぶようなボーカルとそれに続くアウトロの演奏は、もしコロナ禍じゃない状況でライブハウスでのライブだったらモッシュが起きるような状況になっていたんじゃないかと思うくらいに衝動を掻き立ててくれる。
そんなアルバムの最後に配置されたのは、やはり「新しい果実」の先行曲としてリリースされた「Gifted」。ライブの構成としても「新しい果実」の曲が1番多くなっているというのは、常に最新のアルバムが最高のものであり、今のバンドの進化とモードを示すものでもあるのだが、
「神様が匙投げた
明らかに薹の立った世界で
狩る者と狩られる者と
ここでそれを嗤っている者
どれもこれももういい
さよなら」
というタイトルとは裏腹に田中がシャーマンのようにすら見える不穏さを感じるサウンドに乗せて歌われるサビのフレーズは、やはり今の世界情勢を、こうなる前から予言していたかのように描写したものになっている。そう考えると「新しい果実」は今こそその曲たちに込められたメッセージがよりリアルに、強く深く刺さるようなアルバムになっているんじゃないかと思う。バインのアルバムはどれもが何年経っても全く風化しないものでしかないのだが、それとはまた少し違う感覚を「新しい果実」に関しては抱くようになってきている。
そんな曲を演奏した後の異様とも言えるような空気を掻き消すようにして、
「ありがと中野ー!」
と言って笑顔で田中が手を振ってステージを去ると、アンコールではライブTシャツに着替えて登場し、アンコールを貰えたことへの感謝とともに、
「中野サンプラザにまた来れるのか。まぁもう来れないでしょう。取り壊されるらしいからね。最初に来た時にそう言ってから2回も来ているんで、2度あることは3度あるということで」
と、中野サンプラザへの思い入れを口にしたのだが、もうかなり前からなくなると言われながらも全然なくならないので、もしかしたらまたここでこうしてGRAPEVINEのライブが見れる時が来るんじゃないかと思いながら演奏されたのは、これもまたまさかの選曲である「BREAKTHROUGH」。
「その未来」もそうであるが、こんなにもバインのロックな曲を複数曲聴けるとはさすがリリースに関係しないライブであるが、
「Jim Morrison?」
という田中のルーツでもあるであろうミュージシャンも歌詞に登場するが、なんと言っても
「アイデアのスウィートソウルが嘘みたいに鳴ってて」
という歌詞は田中は完全に「アイデアのスウィートソウル」をこの当時の最新作アルバムであった「イデアの水槽」と歌っているのだが、リリース時に歌詞カードを見て本当に驚いた記憶があるし、それを単なる空耳ではなくてちゃんと意味の通る歌詞、なんなら文学としても成立させている田中の作詞家としての凄さを改めて感じたものだ。
さらには田中がブルースハープを装着する姿が否が応でも何の曲を演奏するのかという期待が膨らみ、実際にアコギを弾き、そのブルースハープを吹きながら歌うのはデビューミニアルバム収録の「手のひらの上」。まだその圧倒的なロックバンドとしてのグルーヴが芽を出すはるか以前、GRAPEVINEが「ポスト・ミスチル」という今となっては考えられないような位置につけられていたくらいにキャッチーなメロディを持ったバンドとしての曲であるが、この曲以外にもそのデビューミニアルバムタイトル曲の「覚醒」もこうしてライブのアンコールで演奏する時もある。ベテランバンドになるにつれて初期の曲をやらなくなっていくバンドも多いけれど、どれだけ音楽的に深く進化してきても、GRAPEVINEはデビュー当時の曲を今でもこうしてライブで演奏している。
それがそうした時期があっての今に繋がっていて、それがデビュー25周年を迎える歴史の始まりであったということをこんなにも感じさせてくれるバンドはそうそういない。今演奏しても恥ずかしくないようなものを当時から作っていたということの証明でもあるのだ。もちろん表現力は格段に上がった上で。
そんな「手のひらの上」が終わるや否や、ステージは一気に薄暗くなり、仄かに照らすライトがメンバーの演奏する手元が見えるようにという最小限中の最小限のものになる中で、西川があのイントロを聴いただけでもう名曲確定なギターのフレーズを弾くのは、今やバインのライブでは最大の定番曲になってきている「光について」である。(それでも前日は演奏されなかったらしい)
バインの大ファンであるマカロニえんぴつのはっとりが「この曲の演出を見て、やりたいと思った」と、自分たちのライブに取り入れた、最後の
「僕らはまだここにあるさ」
のフレーズで薄暗かった空間が一気に光に満たされていくという演出は何度見ても震えてしまう。それは演出はもちろんのこと、この曲が何度聴いても決して飽きることのない至上の名曲だからだろう。今ではフェスに出演した時も必ずと言っていいくらいに演奏される曲になったが、そうした場所で初めて観た若い音楽ファンの人がこの曲に触れてくれれば、バインの音楽をそこから掘ってくれるきっかけになるかもしれない。そう思うのは、昔フェスに出まくっていた頃は全くと言っていいくらいにこの曲を含むヒットシングルを演奏していなかったからでもあるのだが。(それは当時のバンドの「フェスでは自分たちの1番濃いところを見せるべき」という方針によるものだったし、それもまたこのバンドを信頼する理由でもあった)
「中野ー!ありがとー!東京の人たちは今年またどっかで会おうぜー!そのうち発表するぜー!」
と、このツアーが終わってもまた年内にバインのワンマンが見れるということを田中が予告してから西川がイントロのギターを弾き始めると、立ち上がっている1階席も、座っている2階席もたくさんの人がそのギターの音に反応するように腕を高く挙げる。それは「光について」とともにバイン至上の名曲にして代表曲の一つである「ふれていたい」のものであることが一瞬でわかったからであるが、この曲を象徴するフレーズの一つである
「愛の力足りない レノンがパーでぼくはグー」
というフレーズで手をグーの形にするように握りしめる観客の姿を嘲笑うかのように
「レノンがパーでぼくもパー」
と歌詞を変えて歌う。その天邪鬼っぷりはこうして割とわかりやすいヒット曲をライブでやるようになっても全く変わることはないが、田中はMCで「声はまだ出せないけど〜」という話をしていた。バインのライブは声が出せなくてもそんなに影響はないだろうとも思っていたのだが、マスクの下で、心の中でこの曲を口ずさんでいる自分がいることに気付いた。全編声を出して歌いっぱなしだと他の観客にウザがられることはわかっているけれど、せめてこの曲の
「イエーいよう」
というフレーズくらいはバインを愛する人たちで一緒に声を合わせて歌いたいと思うとともに、最後の
「燃えてゆけ そして 終わらんねえ!」
というフレーズが、25年を超えてもなおGRAPEVINEが全く終わる気配がないということを感じさせてくれる。というか、いつか必ずその時は来るだろうけれど、それでもバインが終わるなんて1ミリ足りとも考えたことがない。ずっとこうやって続いていくと思っていたし、その通りに一度も止まることなく続いてきた。
だからこそ、終わるなんてのはGRAPEVINEに関してだけはその時になったら考えればいい。きっとそれはまだはるか先のことで、これからも我々はずっとこうしてライブを観続けることができるのだろうから。演奏が終わって思いっきり遠くまで飛ばそうとサイドスローでピックを投げる西川も、両手を握って観客に感謝の意を示す田中も、ずっと変わることがないその姿が確かに、終わらねえ!というのがバンドの総意であることを示しているように見えた。
GRAPEVINEに出会ったのはまだライブに行くなんてことを考えたこともなかったくらいに千葉の田舎のガキだった頃だった。当時からCDTVにランクインしていたり、NHKの音楽番組「POP JAM」によく出演していたから、存在を知ってその音楽を聴くようになるまでに時間はかからなかったし、それからずっと聴いていたから、ライブに行くようになってからの年数=ライブを観てきた年数と言えるような、どこか実家のような感じすら持っているバンドだ。
だからこそ、今までに何回ライブを観てきたかわからないし、その中には記念碑的なライブも、再現ライブも、リリースツアーも、そうでない単発のライブもあった。その中で本当に素晴らしいライブだって何本も観てきた。
でもこの日のライブはその素晴らしいライブを何本も見せてきてくれたバンドの中でも間違いなくトップクラスに素晴らしいライブだった。その「素晴らしいライブ」というのは演者がわかりやすくエモーショナルになるようなMCや曲があるという類いのものではない。
ただただひたすらにバンドが研鑽を重ねて、これまでの長きに渡る活動の中で生み出してきた曲たちをそうして積み重ねてきた今の技術で鳴らす。それはロックバンドとしてのこれ以上ないくらいに理想的な年数の重ね方だからだし、GRAPEVINEが進化を果たし続けてきたことの証明でもあるし、まだまだ進化を続けていくことの証明でもある。そしてそれはバンドとともに年齢を重ねてきた我々にとっても本当に心強いものであり、生きる力を与えてくれるものでもある。
ライブが終わって外に出ると中野は冷たい雨がかなり強く降っていたけれど、このライブを観て、君が笑ったから明日は晴れだな、と思っていた。
1.虎を放つ
2.Alright
3.EVIL EYE
4.目覚ましはいつも鳴り止まない
5.Metamorphose
6.雪解け
7.ジュブナイル
8.BABEL
9.Neo Burlesque
10.ねずみ浄土
11.KINGDOM COME
12.世界が変わるにつれて
13.アナザーワールド
14.Silverado
15.Shame
16.阿
17.さみだれ
18.その未来
19.Gifted
encore
20.BREAKTHROUGH
21.手のひらの上
22.光について
23.ふれていたい
a flood of circle Tour 伝説の夜を君と @水戸LIGHT HOUSE 3/19 ホーム
9mm Parabellum Bullet presents 「カオスの百年 vol.16」 @EX THEATER ROPPONGI 3/17