ASIAN KUNG-FU GENERATION Special Concert "More Than a Quarter-Century" day1 @パシフィコ横浜 国立大ホール 3/12
- 2022/03/13
- 19:45
昨年にも25周年ツアーを開催し、その長いバンドの歴史の中で生まれてきた名曲たちを聴ける喜びをファンと分かち合った、アジカン。
その25周年ツアーの追加公演というか続編というか、というライブがこの土日でのパシフィコ横浜での2daysである。横浜といえばかつては横浜アリーナでNANO-MUGEN FESを開催していた、バンドの地元と言える土地。コロナ禍になってからは主催ライブはライブハウスメインだっただけに、多くの人と大きな会場でアジカンのワンマンが見れるのも実に久しぶりである。
一気に春らしい気候になったこの日、ハンマーヘッドなどの新たなエリアが開発された横浜〜みなとみらい地区はたくさんの人で賑わう中、久しぶりにパシフィコ横浜の国立大ホールの中に入ると、やっぱり広いなぁと思うと同時に、今回のライブの新たな試みである、ステージ観覧席という、ステージ上のメンバーの後ろに設置された席に座っている観客たちの圧に驚く。通常の形でライブをしたら、間違いなくメンバーの後ろ姿をずっと見ていることになるだろうと思われるが、思った以上に「リライト」の2016年バージョンのMV的な光景。私は普通の客席の観客にずっと視線を向けられているのが嫌でその席は申し込まなかった。
開演時間の18時をかなり過ぎたあたりで場内が暗転すると、大きな拍手に包まれながら全員が白シャツ姿という出で立ちの4人がステージに登場。SEはアンビエント的とも言えるようなリズムを刻むインストであり、メンバーが楽器を手にするとそのSEのリズムを引き継ぐようにしてセッション的な演奏を始める。
それはワンマンに来るようなファンにはおなじみの「センスレス」のイントロであり、ゴッチのボーカルも平熱的に始まるのだが、曲が進むにつれてじわじわとバンドの熱量が高まっていき、それが曲最後のサビ(というかピーク?というくらいにサビと言い切れない構成の曲である)前でゴッチがギターを高く掲げることによって極まり、その瞬間に客席から大きな拍手が起こる。山田貴洋(ベース)、喜多建介(ギター)、伊地知潔(ドラム)の3人もその観客の拍手と期待と愛を全て受け止めるような笑顔を見せると、ゴッチが思いっきり声を張り上げるようにして、
「世界中を悲しみが覆って
君に手招きしたって
僕はずっと
想いをそっと此処で歌うから
君は消さないでいてよ」
というフレーズを歌う。それはバンドからの観客への宣誓と言えるような力強いメッセージだ。混迷や悲哀が募りすぎるような社会情勢であるけれども、
「闇に灯を
心の奥の闇に灯を」
という締めのフレーズがここにいる誰しもに力を与えてくれる。だからこそ曲中以上に曲終わりではさらに大きな拍手が起こるのだ。
もちろんほとんどの観客は立ち上がってライブを見ていたのだが、ステージ観覧席の人たちはみんなメンバー同様に白いTシャツを着ていて、応募する気が一切なかったので概要は全く読んでいなかったのだが、それはきっと色の指定があったのだと思われる。
というのも、「センスレス」でステージ背面の壁(ゴッチも触れていたが、本当に建物の壁そのもの)に棒状の映像が投影されていたのだが、それが白いシャツをステージ観覧席の観客が着ているだけに、スクリーンに映るかのような視覚効果を与えていたからだ。
アジカンのことだからただ単に「ステージで見れますよ」的な席にはならないだろうとは思っていたが、いきなりこうして演出の一部になるとは、と思っていると、やはりセッション的な演奏による長いイントロから始まる「Re:Re:」ではレーザーや照明が、バンドのスペルを使ったトレードマークの鳥のデザインが浮かび上がってくる。そうした演出はかつてプロジェクションマッピングをライブに大胆に導入した「Wonder Future」ツアーを思い出させるが、この曲での
「君じゃないとさ」
に至るまでのフレーズでの手拍子がシモリョー不在の4人編成でも起こることも含めて、これまでに生み出してライブで演奏されてきた曲はもちろん、これまでにアジカンが率先して取り入れてきた演出も含めて25周年という長い年月を今のアジカンの演奏で総ざらいするライブであるということがこの時点でわかる。
伊地知のドラムも喜多のギターもイントロの段階で一気に激しさを増すのは光の粒子が飛び散るかのような演出がどこか不穏さを煽る「アフターダーク」であるが、「音楽と人」での表紙巻頭インタビューでゴッチ以外の3人はコロナ禍になってなかなか集まれなかったのが明けた後に3人でスタジオに入った時によくこの曲を演奏し、この曲ができるなら大丈夫だと思っていた、ということを語っていた。つまりはこの曲が演奏できるかどうかが「アジカンがロックバンドであり続けられているか?」という分水嶺的な曲であり、それは観客が思いっきり腕を振り上げる姿が肯定していると言って間違いないはずだ。やはりアジカンは25周年を迎えてもカッコいいロックバンドのままなのである。
するとゴッチが挨拶するとともに、
「あなたらしく、好きに楽しんで。声を出すことは出来ないけれど、隣の人を慮りながら自由に、好きなように体を動かして楽しんでください」
と、おなじみの「個」それぞれの楽しみ方を全て肯定して受け止めるように口にすると、実際にゴッチがギターを鳴らして歌い始めた「荒野を歩け」では観客が手拍子をしたり腕を挙げたりと、決まり切った楽しみ方ではないそれぞれの楽しみ方を見せ、喜多はそんな観客たちに見せつけるように間奏で左足を思いっきり高く上げてギターソロを弾きまくる。そんな中で
「いつしか僕らの距離が狭まって」
というフレーズの後には観客みんなが手拍子をする。それはアジカンのライブを支え続けてきてくれたシモリョーが見せていたものがそのまま観客たちの中で生き続けているということである。
自分は1年半前にコロナ禍になってから初めてのアジカンのライブをこの会場のすぐ近くのZepp Yokohamaで見た時に、「いつしか僕らの距離が物理的に狭まりますように」と書いた。それはあの時はまだライブハウスにキャパの半分くらいの人数しか入れることができず、両隣の席は空け、ステージと客席1列目もかなりの距離を取っていたから。それがこの日はフルキャパで、さらにステージにも観客がいる。ちゃんと、あの時よりも僕らの距離は狭まっている。それを実感することができてこの時点ですでに感動してしまっていた。
その感動を楽しさで更新してくれるのは「ループ&ループ」で、イントロが鳴った瞬間にステージ上の照明がこの曲のシングルのジャケットの色に合わせたように緑色に光ると、
「右手に白い紙」
という歌い出しで観客が右手を挙げるとフレーズに合わせて光が白へと変化するという、照明や演出スタッフもアジカンの曲や歌詞を完璧に理解しているからこその愛に溢れる演出を見せてくれる。間奏では喜多も山田もそれぞれステージ前の方に出ていくと、両サイドの観客がそれぞれの前に来てくれたメンバーに向けて手を振る。それはまるで
「君と僕で絡まって
繋ぐ…未来」
というフレーズそのもののような光景であった。
さらにイントロでたくさんの観客が腕を挙げたのはそれがバンド最大の代表曲と言える「リライト」のものであるからで、ステージ観覧席を前に演奏しているメンバーという構図はまさに2016バージョンのMVそのものであるのだが、今思うと何故あのMVはあんなに不評だったんだろうか、と思うくらいにこのライブでの景色は素晴らしかった。それは我々観客が我々と同じように熱狂している観客の姿をバンド越しに見ることができるからだ。喜多はそのステージ観覧席の観客の方に寄って行ってギターを弾くというサービス精神の塊っぷりを見せると、間奏ではおなじみのダブっぽいアレンジとなってレスポンスの起こらないコール&レスポンスも展開されたのだが、そのレスポンスを手拍子で行っている観客の姿もあっただけに、これはこの先、まだ声が出せない状況が続いたらまた新しい形のコール&レスポンスが生まれるんじゃないだろうかとも思った。
そんな「リライト」の後にゴッチが切ないギターのフレーズを鳴らして「ソラニン」へ至るというのは、今ではフェスくらいでしかやらないような、わかりやすいアジカンとしての流れだ。それをワンマンでもやるのはこれが25周年というバンドの歴史を総括するようなライブだからであり、かつて横浜スタジアムで行われた人気投票で堂々1位になったこの曲を、そうした記念碑的なライブでやらないわけにはいかないのだろう。(ちなみに2位は「Re:Re:」。どちらも演奏してくれるのがさすがだ)
この曲についてはゴッチが「音楽と人」で語っていたように、歌詞をゴッチではなくて「ソラニン」の原作者の浅野いにをが書いているというのが当時のファンの間では賛否両論だったが(自分も当時ゴッチが書いていた他の曲の歌詞と乖離し過ぎていてやや否定的だった)、今になると本当にただただ素直に良い曲だなと思えるし、この曲がこの形であったことが、今でもアジカンがこんなに大きな会場でたくさんの人の前で演奏できている一つの理由でもあるのかもしれないとも思うから。
すると伊地知が軽快な4つ打ちのイントロを刻み始めるのはもちろん「君という花」。こうして続けて聴いていると本当に凄まじいまでのアジカンアンセムの連打っぷりであるが、「ループ&ループ」も含めてこの当時にアジカンが4つ打ちのギターロックを鳴らしたのが後のシーンに本当に大きな影響を与えたのが今になるとよくわかる。絶対これ聴いて育ったらやりたくなるもん、と思うから。ゴッチの間奏での「らっせーらっせー」も少しマイクから距離を置きながらもハッキリと聞き取れるのだが、またいつか近い未来にアジカンが好きで仕方がない観客みんなでこのフレーズを叫んだり、スタンディングの会場で「オイ!オイ!」って声を上げながら楽しみたい。そんな思い出や記憶の全てが美しく素晴らしいものとして今も鮮明に脳内に残っているからである。アウトロでゴッチが「大洋航路」のサビのフレーズを歌うのも近年おなじみのライブアレンジであるが、そろそろ「大洋航路」を1曲丸々ライブでやってもいいんじゃないか、とも思う。
そんなゴッチは自分自身と山田は静岡出身ではあれど、改めてこの横浜という地がバンドのホームであり、大学の卒業式もこのパシフィコ横浜で行われたという過去を語るのだが、ゴッチはまさかの式に参加しておらず、留年した喜多もまた式に参加していないという。なんかで喜多はメンバーや同級生を見送るために自分は卒業しないのに卒業式に参加した、的な話をしていた記憶があるが、あれは映像作品集の「今を生きて」のMVでの副音声あたりだっただろうか。結局、あんまりこの会場に思い入れがないんじゃないか、っていう気もしてしまうけど。
そんなMCの後に演奏されたのは、その留年を経験してこの会場の卒業式に出席していないというロックスター過ぎるエピソードの持ち主である喜多がイントロでピースサインを掲げてからメインボーカルとして歌い始める、実に久しぶりのライブ披露となる「シーサイドスリーピング」。
「不満を吐き出して 地面を蹴飛ばして
虚しくなってしまったので
昼間からビールを呷ってしまう」
「運河沿いの公園で煙草ふかして
時化た日曜日 空っぽになってしまったので
止め処なく どこへでも漂って」
というフレーズはゴッチが書いたものでありながらも、このハイトーンボイスが酒と煙草によって形成された喜多という男のロックスターっぷりを、ギターリフを中心にしたロックサウンドで示しているのだが、現状は喜多は禁酒しているくらいにその生活は変わったけれど、アジカンがずっと変わらないように感じられるのは、喜多、山田、伊地知という3人の見た目がほとんど変わらないように感じられるからというのが非常に大きいと思う。(ゴッチは髪型や出で立ちがよく変わるから)
その3人の「変わらなさ」がアジカンを今も瑞々しいロックバンドだと感じさせてくれるし、喜多のボーカルのハイトーンっぷりが年齢を重ねても、酒をやめても変わらないのもまたアジカンの変わらなさである。
するとここでゴッチがスペシャルゲストをステージに招く。確かにステージ上にそれらしいキーボードが設置されてあったことでおおよそファンも検討はついていたと思うが、実際にフジファブリックの金澤ダイスケがステージに現れると、どよめきのような声も漏れる中で大きな拍手に包まれる。
ゴッチ「あの悪名高い「マジックディスク」ツアーをダイちゃんには支えてもらって(笑)ケンカしまくってた(笑)」
喜多「ゴッチと山ちゃんがケンカしてたんでしょ(笑)」
ゴッチ「忘れもしない、岐阜の駅前で「表出ろや!」ってなったの(笑)黄金の織田信長像の前で(笑)」
山田「全然覚えてない(笑)でも、ケンカの良いところは仲直りができるからだって織田信長も言ってたからね(笑)」
と、当時の話を今になってこうして笑いながらできるようになったということに今のメンバーの関係の良さを感じずにはいられないが、そんなツアーにサポートメンバーとして帯同していた金澤はさぞや気を遣ったことと思われる。
そんな金澤が参加して演奏されたのは「夕暮れの紅」。「リライト」のカップリング曲という立ち位置ながら、近年になってスタジオライブも含めて演奏される頻度が高くなってきた曲であり、夕暮れを思わせる淡い照明に包まれながら、そのメロディが金澤のキーボードによってより美しく響いている。すでに開催が決まっている今年のツアーの日比谷野音の夕暮れの時間帯にも金澤が参加してこのアレンジで聴くことができたらこの日以上に最高だろうなと思う。
金澤がもう1曲参加するのは、音源ではPE'Zのヒイズミマサユ機がピアノを弾いている、今までライブでやったことあったっけ!?と思うくらいのレア曲である「今を生きて」のカップリングに収録された「ケモノノケモノ」。ゴッチはハンドマイクで歌うことによって、よりその流麗なピアノのメロディの美しさを感じることができるのだが、まさかこの曲を今になってライブで聴くことができるなんて全く思ってなかった。この曲が聴けるのなら、もしかしたら近いうちに「リロード リロード」も聴けるんじゃないか…と思ってしまう、金澤ダイスケとの実に久しぶりのコラボだった。
その金澤ダイスケが参加した「マジックディスク」ツアーは自分は当時渋谷AX、柏PALOOZA、Zepp Tokyoの3箇所に参加した。東京と千葉だけで3箇所もやっているというあたりにそのツアーのスケジュールの厳しさがわかると思うが、あの頃と同じように今でもアジカンのツアーが発表されればどこへ何箇所行こうかと考えながらチケットを申し込んで、何公演も参加している。もう12年も前らしいが、恐ろしいくらいに自分がやっていることや生活が変わっていない。でもそれはアジカンがずっと止まらずにツアーを続けてきてくれたからだ。渋谷AXだけならず、Zepp Tokyoもなくなってしまったりと、居場所と呼べる場所はなくなったり変わったりしてしまっているけれど。
金澤ダイスケがステージから去ると、一転して喜多とゴッチが力強いロックサウンドのギターを鳴らして始まったのは「夜を越えて」。この曲もかなり久しぶりな気がするが、
「音楽はあまりに無力なんて常套句に酔っても
世界をただ一ミリでも動かすことは出来るだろうか」
という歌い出しのフレーズも、
「闇と瓦礫を掻き分けて
辿り着いたんだ」
というサビのフレーズも、震災が起こった直後に描かれた歌詞であることが伝わってくるし、それが3月12日という、震災が起きてしまった翌日に当たる日に演奏されていることが、アジカンが今なお自分たちなりのやり方で被災地のことを忘れることなく生きているということを感じさせてくれるし、それは震災だけでなく今なおまた違った社会的な不安に押し潰されそうになる我々の精神を思いっきり引き上げてくれる。音楽は無力かもしれないけれど、その音楽によって救われたり、生きていく力を貰って生きてきた人だって間違いなくいる。きっとここにいた人たちはみんなアジカンの音楽でそうした経験をしてきたはずだ。
するとここでさらなるゲストとして、ステージに設置されている、金澤ダイスケのものではないキーボードのセットがライブ開始前からこのライブではこの男が戻ってきてくれることを予感させていた、もはやアジカン第五のメンバーと言ってもいい存在のシモリョー(the chef cooks me)がゴッチに
「織田裕二みたい(笑)「振り返ればヤツがいる」の時の(笑)」
と言われるような医者のような白い衣装を着てステージに登場。もう9年もアジカンのライブに参加し続けてきた男であるだけに、もはやこちらとしてもいない方が違和感を感じるくらいになっているのだが、そんなシモリョーが参加して最初に演奏された「迷子犬と雨のビート」では早速シモリョーは自身の後ろにいるステージ観覧席の人たちの方を向きながらタンバリンを叩き、この曲の象徴たるホーンのサウンドをそのキーボードで一手に引き受けてみせる。
そもそもthe chef cooks meがゴッチに見出されて再生を果たしただけに、アジカンのライブにサポートで参加するようになってもいろんな心ないことを言われてきただろうけれど、こうしてアジカンのライブを見続けてきたファンたちはシモリョーがどれだけアジカンにとって大きな存在だったかをちゃんとわかっている。
シモリョーがいないと演奏できない曲だってたくさんあるし、シモリョーが参加したことによって手拍子などの新たな楽しみ方が定着した曲だってたくさんある。それはこれから先、ずっとアジカンのライブに参加することはなくなってもファンの中に受け継がれていくだろうし、そんなシモリョーはやはりこのバンドにとっての記念碑的なライブには欠かすことのできないプレイヤーである。
そのシモリョーがバンドと共同プロデュースを務めたのが、昨年リリースされた最新シングル「エンパシー」である。アジカンの王道とも言えるようなロックサウンドでありながらも、シモリョーによるデジタルなサウンドが今のアジカンとしての王道として鳴らされる。背面には夜の高速道路を疾走するような映像が流れるが、そうした映像が似合っているのもこの曲がそれに見合うスピード感を持っているからだ。
山田がベースを下ろし、その前にはシンセベースが用意されたので、近年のライブを見てきているファンはその編成が今でもCM曲として大量オンエアされている「触れたい 確かめたい」のものであることがわかるのだが、ここで何と音源にも参加している、羊文学の塩塚モエカがゲストボーカルとして登場し、ゴッチとのデュエットを見せる。
緑色がかった衣装を着てハンドマイクを持ち、飛び跳ねながら神秘的な歌を響かせる姿はUSインディーロックの影響が強い羊文学のバンドでの姿とは違う、歌の妖精であるかのようなのだが、そうした姿がこうしてアジカンのライブに参加できていることの喜びを全身で表現している。きっと塩塚は我々と同じようにアジカンの25周年のうちの何年かを1人のファンとして自身の人生に重ね合わせながら生きてきたのだろう。もしまたNANO-MUGEN FESを開催することがあれば是非羊文学にはそのステージに立っていて欲しいと思う。余りに楽しみ過ぎていたのか、去り際にマイクを外していなくてスタッフに引っ張られるようにして外すという天然っぷりも微笑ましかった。
その塩塚がステージを去ると場内には同期によるチキチキとした機械的なビートが流れる。それもまたライブではおなじみの「UCLA」のイントロであるのだが、今度は曲前に紹介もなく、Homecomingsの畳野彩加がステージへ。ハンドマイクだった塩塚とは対照的に、スタンドマイクに手をかけてどっしりと構えるようにしてその静謐なサウンドに合わせたボーカルを響かせるのだが、それがサビでは一気に伊地知のドラムの連打を合図にサウンドもゴッチと畳野のボーカルも熱さ、激しさを増していく。
この曲でのコラボはアジカンのロックバンドとしてのサウンドを刷新した「ホームタウン」ツアーの時を思い出させるのだが、あのアルバムのリリースが4年前、ツアーは3年前。つい最近のような気もするが、思えばあの時はコロナ禍になるなんて、アジカンのライブが見れなくなるなんて全く思っていなかったけど、そうした日々を経てこうして25周年を祝えているということが本当に愛おしく思える。
ゴッチが歌い終わった後に畳野のことを紹介して、客席に向かって頭を下げてすぐにステージから去っていくというのも見た目通りにクールであるのだが、そうしてゲストが去った後に演奏されたのは伊地知のドラムのサウンドが雄大な「ダイアローグ」で、ステージ周りを象るようにレーザーがプロジェクションマッピングとして光る中、歌い出しから山田と喜多がゴッチのボーカルに声を重ねる姿を見ていて、ゲストボーカルがいなくてもこんなに異なる歌声を持ったメンバーがいるバンドであることを示すと、ゴッチはアウトロでOasis「Rock'n Roll Star」のアウトロのようにギターを振り下ろすようにしながら何度も
「It's Just Rock'n Roll」
という言葉をサウンドに乗せる。
それは次に演奏されたのが「転がる岩、君に朝が降る」という、まさに「ロックンロール」そのものを歌った曲に繋がるものであったことがわかるのだが、
「出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな」
という歌い出しのフレーズが今になって過去最高レベルにリアリティを持って響いてしまう。音楽では戦争をなくすことはできないということもわかっている。でもそれでもこうして歌うしか、音を鳴らすしかない。それが反戦への祈りであり、バンドはロックをロールさせていくことしかできない。もしかしたら、この曲にリアリティを感じないようになることが1番幸せな状態なのかもしれないけれど、リアリティを感じざるを得ない時にこの曲はこれからもいつだって無力な我々を肯定してくれるはずだ。そんな夜を温めるようにアジカンはこの曲を歌っていた。
社会に言及することで(特にゴッチは)いろんなことを言われたりしているけれど、でもゴッチの根底には1人の市井の人間として、同じように市井を生きる人々が幸せであって欲しいという思いがあるはず。それは我々観客はもちろん、ゴッチに批判的な言葉を投げつけるような人にだって。そうした人間的な優しさをこれまでのアジカンとしての、個人としての活動から感じてきたからこそ、自分はずっと1人の人間としてゴッチのことをリスペクトし続けている。
そしてさらなるゲストとして呼び込まれ、アコギを持って登場したのはROTH BART BARONの三船雅也。出てくると驚くのは、意外なくらいに背が高く、ゴッチと重なった時にはそのあまりの身長差に笑いが起こってしまうほどで、
ゴッチ「三船くんは2m50cmあるから(笑)
俺は身長が低いけど、それをコンプレックスに思ったこともないし、それでとやかく言ったりしてくるやつも俺の周りにはいない。だから俺みたいに身長の低い男の子には「大丈夫だぜ」って言ってやりたい」
と言ったのだが、その言葉に拍手が起きていたのは、その言葉に勇気づけられたり、肯定されたりした人も少なからずいたからだろう。
その三船がボーカルとして参加するのは、先日MVが公開されたばかりの、月末にリリースされるニューアルバム「プラネットフォークス」に収録される「You To You」。ライブでは世界初披露の瞬間に居合わせられることになったのだが、MVを見た時も意外だったのは、ROTH BART BARONが参加するという情報を見た段階ではROTH BART BARONの音源に寄るような、もっと静謐な曲になるかと思っていたのが、完全にロックな曲になっているということ。
ゴッチがほぼメロディを作り直したらしいが、元ネタとしては山田が作ったというのがこうしたロックな曲になった理由かもしれない(今や最もアジカンらしい曲を作るのは山田である)が、そのロックな曲に三船の神聖さを感じさせるボーカルがゴッチのボーカルに、さらに曲が進むと喜多とのハイトーンなツインボーカルになるという、アジカンのロックな面をさらに更新するような曲になっている。
ゴッチはROTH BART BARONがまだ三船のソロになる前の、バンド形態だった頃から紹介していたし、近年のアルバムも自身のアワードで最大限に評価していた。このコラボも含めてそれはフックアップというよりはリスペクトする音楽家同士のコラボというものであるのだが、三船はこの曲のMVが公開された時に
「自分がアジカンからもらってきたものを少しは返せたのかな」
とツイートしていたが、我々ファンはアジカンからも、ROTH BART BARONからもまた大きなものを貰ってしまったと思うような新しい名曲が生まれた。
すると三船と入れ替わりにステージにはストリングス隊が座るための椅子が登場するのだが、近すぎない?と心配になるくらいにスタンド観覧席の真前で、そこに[Alexandros]のライブなどでもおなじみの、総勢8人の村田一族ストリングスが登場。
その転換中に
「若い頃はチケットがソールドアウトするのを喜んでたけど、いつからか「そうじゃねぇなぁ」って思うようになった。見たい人が見れないっていうのもなんか違うなって。だからできる限り見たいって思ってる人が全員見れるようになって欲しいと思って、少しでも人を入れられるようにこうやってステージ観覧席まで作った。無料配信とかもやりたいけど、やっぱりなかなか難しいからね」
と、若い頃とはこうした大きな会場でやる感覚も違ってきてるんだなと思いながら、そうして曲が始まるかと思ったら、ゴッチがもう1人のゲストを呼び込むことを忘れており、「ちょっと!」とツッコミを入れるようにしてアコギを持ってステージに現れたのは、ゴッチのソロバンドのメンバーとしてもおなじみのTurntable Filmsの井上陽介。その井上とストリングス隊を加えた編成によって、ゴッチが再びハンドマイクになって演奏された「フラワーズ」では背面のスタンド観覧席のど真ん中から幕が開いていくような映像の演出によって、スタンド観覧席の観客たちがストリングス隊の後ろにいる合唱隊のようにすら感じさせるような神聖な雰囲気に。「エンパシー」と比べるとやや地味目な曲というイメージもあったかもしれないこの曲はこの日、この場所で完全に音源とは全く違う曲と言っていいくらいに壮大に化けたのであった。
そしてゴッチはメンバー紹介をするのだが、ストリングス隊を1人ずつ名前を読み上げて紹介するのも実にゴッチらしいし、最後に喜多に「俺のことも紹介して!」とばかりに自分を指差すのも実にゴッチらしいし、やはりそこからも今のメンバーたちとの朗らかな関係性が見える。
それがなんだかすごく感動してしまうのは、MCで「マジックディスク」ツアーの話をしていたように、なかなかそうではない関係性である状況も明らかにあったからであるが、その感動を音楽でもって最大限に増幅するかのように、
「この海岸沿いにある横浜の街に」
と言って演奏されたのはストリングスのサウンドがこの上なく美しいメロディを奏でる「海岸通り」。その美しさはこれまでに横浜スタジアムでのワンマン(客席で腕を左右に振っていた人をゴッチが指差してそれが広がっていった瞬間は今もよく覚えている)や幕張のビーチで開催された時のJAPAN JAMのトリ、再録「ソルファ」リリース時の幕張メッセイベントホールや武道館…そんなこの曲を聴いてきたライブの光景が走馬灯の様に脳内をよぎって、思わず涙が溢れてしまった。いろいろあったけれど、25年間のうちの20年くらいを離れることなくずっと見続けてきて本当に良かったと心から思えた瞬間だった。そうしたライブの光景がいつも自分の足を前に進めてくれて、その繰り返しによって自分は生きてきたと確かに思えているから。
この日、気温が20度くらいある暖かい春の日になったのは、この曲が呼んだものだったのかもしれない。それくらいに、海岸通りに春が舞っていた。
アンコールでは先ほどまでの大人数編成から一転してメンバー4人だけで登場すると、
ゴッチ「裏で潔が「いろんなことを思い出して何回も泣きそうになった」って言ってて。それはみんなそうだったかもしれない。いつも言ってるけど、出会ってくれて、見つけてくれて本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
とゴッチが改めて観客に感謝を告げると、
「俺たちを世界に連れて行ってくれた曲!」
と言って山田があの重いベースラインを弾き始めたのはやはり「遥か彼方」。ゴッチもギターを高く掲げ、伊地知もサビ前ではスティックを同じように掲げる中、そのメンバーの背面にはこれまでのライブでこの曲が演奏された時の景色、それも主に客席の観客の姿が映し出されていた。一見して武道館だな、とわかるような、確かに自分もその中にいた客席は、当然ながらマスクをしないでみんなが押し合いながら思いっきり歌っている。それはその時のライブの誰かの姿でもありながら、ここにいる自分を含めた、これまでにアジカンのライブを見てきた誰しもの姿でもあった。その映像の中の光景が、この日の演奏がロックじゃなかったらなんだというのだろうか。きっとアジカンとならその光景をまた見ることができるはずだ。だってアジカンはこれまでも誰もメンバーが変わることなく、休止もすることなく新しい音楽を生み出して、我々の前に立ってきてくれたバンドなのだから。何年かかろうとも必ずその日はやってくる。
そんなエモーショナル極まりない「遥か彼方」から、最後に伊地知がドラムを鳴らし始めたのはシモリョーが会場にいるのに4人だけで演奏するという形での「今を生きて」。それでも声を出せないけれどコーラス部分では腕が上がり、リズムに合わせて手拍子も起こる。
ゴッチはここにいる誰よりも自由に体を動かしながら、
「永遠を このフィーリングをずっと忘れないでいて」
と最後に歌う。ああ、また一つ人生において忘れられない瞬間が増えた。それはやはり音楽そのもの、ライブそのものの良さがあってこそ。アジカンならきっとこれからだって数え切れないくらいにそんな瞬間を増やしてくれるはず。揃いの白シャツを着て肩を組んで観客に一礼した4人の姿は、衣装だけではなくて今は精神も統一されているかのようだった。
なんだか、久しぶりの感覚だった。フジファブリック、the chef cooks me、羊文学、Homecomings、ROTH BART BARON、Turntable Filmsというバンドたちが出演して、その最後にアジカンが2時間以上のライブをやるような、NANO-MUGEN FESのトリで出演者が全員集合したかのようなライブだった。
そう、近年になってアジカンはさらにアルバムにいろんなゲストを招いて曲を作っているけれど、はるか昔から周りにいるリスペクトできるバンドやミュージシャンの仲間の力を自分たちの力にできるバンドだった。だからNANO-MUGENでトリをやるアジカンのライブはいつだって本当に素晴らしかった。そんな感覚がこの日のライブには確かにあった。それを翌日もまた追体験できるのが本当に幸せで仕方がない。
1.センスレス
2.Re:Re:
3.アフターダーク
4.荒野を歩け
5.ループ&ループ
6.リライト
7.ソラニン
8.君という花 〜 大洋航路
9.シーサイドスリーピング
10.夕暮れの紅 w/金澤ダイスケ
11.ケモノノケモノ w/金澤ダイスケ
12.夜を越えて
以下、w/シモリョー
13.迷子犬と雨のビート
14.エンパシー
15.触れたい 確かめたい w/塩塚モエカ
16.UCLA w/畳野彩加
17.ダイアローグ
18.転がる岩、君に朝が降る
19.You To You w/三船雅也
20.フラワーズ w/村田一族、井上陽介
21.海岸通り w/村田一族、井上陽介
encore
22.遥か彼方
23.今を生きて
その25周年ツアーの追加公演というか続編というか、というライブがこの土日でのパシフィコ横浜での2daysである。横浜といえばかつては横浜アリーナでNANO-MUGEN FESを開催していた、バンドの地元と言える土地。コロナ禍になってからは主催ライブはライブハウスメインだっただけに、多くの人と大きな会場でアジカンのワンマンが見れるのも実に久しぶりである。
一気に春らしい気候になったこの日、ハンマーヘッドなどの新たなエリアが開発された横浜〜みなとみらい地区はたくさんの人で賑わう中、久しぶりにパシフィコ横浜の国立大ホールの中に入ると、やっぱり広いなぁと思うと同時に、今回のライブの新たな試みである、ステージ観覧席という、ステージ上のメンバーの後ろに設置された席に座っている観客たちの圧に驚く。通常の形でライブをしたら、間違いなくメンバーの後ろ姿をずっと見ていることになるだろうと思われるが、思った以上に「リライト」の2016年バージョンのMV的な光景。私は普通の客席の観客にずっと視線を向けられているのが嫌でその席は申し込まなかった。
開演時間の18時をかなり過ぎたあたりで場内が暗転すると、大きな拍手に包まれながら全員が白シャツ姿という出で立ちの4人がステージに登場。SEはアンビエント的とも言えるようなリズムを刻むインストであり、メンバーが楽器を手にするとそのSEのリズムを引き継ぐようにしてセッション的な演奏を始める。
それはワンマンに来るようなファンにはおなじみの「センスレス」のイントロであり、ゴッチのボーカルも平熱的に始まるのだが、曲が進むにつれてじわじわとバンドの熱量が高まっていき、それが曲最後のサビ(というかピーク?というくらいにサビと言い切れない構成の曲である)前でゴッチがギターを高く掲げることによって極まり、その瞬間に客席から大きな拍手が起こる。山田貴洋(ベース)、喜多建介(ギター)、伊地知潔(ドラム)の3人もその観客の拍手と期待と愛を全て受け止めるような笑顔を見せると、ゴッチが思いっきり声を張り上げるようにして、
「世界中を悲しみが覆って
君に手招きしたって
僕はずっと
想いをそっと此処で歌うから
君は消さないでいてよ」
というフレーズを歌う。それはバンドからの観客への宣誓と言えるような力強いメッセージだ。混迷や悲哀が募りすぎるような社会情勢であるけれども、
「闇に灯を
心の奥の闇に灯を」
という締めのフレーズがここにいる誰しもに力を与えてくれる。だからこそ曲中以上に曲終わりではさらに大きな拍手が起こるのだ。
もちろんほとんどの観客は立ち上がってライブを見ていたのだが、ステージ観覧席の人たちはみんなメンバー同様に白いTシャツを着ていて、応募する気が一切なかったので概要は全く読んでいなかったのだが、それはきっと色の指定があったのだと思われる。
というのも、「センスレス」でステージ背面の壁(ゴッチも触れていたが、本当に建物の壁そのもの)に棒状の映像が投影されていたのだが、それが白いシャツをステージ観覧席の観客が着ているだけに、スクリーンに映るかのような視覚効果を与えていたからだ。
アジカンのことだからただ単に「ステージで見れますよ」的な席にはならないだろうとは思っていたが、いきなりこうして演出の一部になるとは、と思っていると、やはりセッション的な演奏による長いイントロから始まる「Re:Re:」ではレーザーや照明が、バンドのスペルを使ったトレードマークの鳥のデザインが浮かび上がってくる。そうした演出はかつてプロジェクションマッピングをライブに大胆に導入した「Wonder Future」ツアーを思い出させるが、この曲での
「君じゃないとさ」
に至るまでのフレーズでの手拍子がシモリョー不在の4人編成でも起こることも含めて、これまでに生み出してライブで演奏されてきた曲はもちろん、これまでにアジカンが率先して取り入れてきた演出も含めて25周年という長い年月を今のアジカンの演奏で総ざらいするライブであるということがこの時点でわかる。
伊地知のドラムも喜多のギターもイントロの段階で一気に激しさを増すのは光の粒子が飛び散るかのような演出がどこか不穏さを煽る「アフターダーク」であるが、「音楽と人」での表紙巻頭インタビューでゴッチ以外の3人はコロナ禍になってなかなか集まれなかったのが明けた後に3人でスタジオに入った時によくこの曲を演奏し、この曲ができるなら大丈夫だと思っていた、ということを語っていた。つまりはこの曲が演奏できるかどうかが「アジカンがロックバンドであり続けられているか?」という分水嶺的な曲であり、それは観客が思いっきり腕を振り上げる姿が肯定していると言って間違いないはずだ。やはりアジカンは25周年を迎えてもカッコいいロックバンドのままなのである。
するとゴッチが挨拶するとともに、
「あなたらしく、好きに楽しんで。声を出すことは出来ないけれど、隣の人を慮りながら自由に、好きなように体を動かして楽しんでください」
と、おなじみの「個」それぞれの楽しみ方を全て肯定して受け止めるように口にすると、実際にゴッチがギターを鳴らして歌い始めた「荒野を歩け」では観客が手拍子をしたり腕を挙げたりと、決まり切った楽しみ方ではないそれぞれの楽しみ方を見せ、喜多はそんな観客たちに見せつけるように間奏で左足を思いっきり高く上げてギターソロを弾きまくる。そんな中で
「いつしか僕らの距離が狭まって」
というフレーズの後には観客みんなが手拍子をする。それはアジカンのライブを支え続けてきてくれたシモリョーが見せていたものがそのまま観客たちの中で生き続けているということである。
自分は1年半前にコロナ禍になってから初めてのアジカンのライブをこの会場のすぐ近くのZepp Yokohamaで見た時に、「いつしか僕らの距離が物理的に狭まりますように」と書いた。それはあの時はまだライブハウスにキャパの半分くらいの人数しか入れることができず、両隣の席は空け、ステージと客席1列目もかなりの距離を取っていたから。それがこの日はフルキャパで、さらにステージにも観客がいる。ちゃんと、あの時よりも僕らの距離は狭まっている。それを実感することができてこの時点ですでに感動してしまっていた。
その感動を楽しさで更新してくれるのは「ループ&ループ」で、イントロが鳴った瞬間にステージ上の照明がこの曲のシングルのジャケットの色に合わせたように緑色に光ると、
「右手に白い紙」
という歌い出しで観客が右手を挙げるとフレーズに合わせて光が白へと変化するという、照明や演出スタッフもアジカンの曲や歌詞を完璧に理解しているからこその愛に溢れる演出を見せてくれる。間奏では喜多も山田もそれぞれステージ前の方に出ていくと、両サイドの観客がそれぞれの前に来てくれたメンバーに向けて手を振る。それはまるで
「君と僕で絡まって
繋ぐ…未来」
というフレーズそのもののような光景であった。
さらにイントロでたくさんの観客が腕を挙げたのはそれがバンド最大の代表曲と言える「リライト」のものであるからで、ステージ観覧席を前に演奏しているメンバーという構図はまさに2016バージョンのMVそのものであるのだが、今思うと何故あのMVはあんなに不評だったんだろうか、と思うくらいにこのライブでの景色は素晴らしかった。それは我々観客が我々と同じように熱狂している観客の姿をバンド越しに見ることができるからだ。喜多はそのステージ観覧席の観客の方に寄って行ってギターを弾くというサービス精神の塊っぷりを見せると、間奏ではおなじみのダブっぽいアレンジとなってレスポンスの起こらないコール&レスポンスも展開されたのだが、そのレスポンスを手拍子で行っている観客の姿もあっただけに、これはこの先、まだ声が出せない状況が続いたらまた新しい形のコール&レスポンスが生まれるんじゃないだろうかとも思った。
そんな「リライト」の後にゴッチが切ないギターのフレーズを鳴らして「ソラニン」へ至るというのは、今ではフェスくらいでしかやらないような、わかりやすいアジカンとしての流れだ。それをワンマンでもやるのはこれが25周年というバンドの歴史を総括するようなライブだからであり、かつて横浜スタジアムで行われた人気投票で堂々1位になったこの曲を、そうした記念碑的なライブでやらないわけにはいかないのだろう。(ちなみに2位は「Re:Re:」。どちらも演奏してくれるのがさすがだ)
この曲についてはゴッチが「音楽と人」で語っていたように、歌詞をゴッチではなくて「ソラニン」の原作者の浅野いにをが書いているというのが当時のファンの間では賛否両論だったが(自分も当時ゴッチが書いていた他の曲の歌詞と乖離し過ぎていてやや否定的だった)、今になると本当にただただ素直に良い曲だなと思えるし、この曲がこの形であったことが、今でもアジカンがこんなに大きな会場でたくさんの人の前で演奏できている一つの理由でもあるのかもしれないとも思うから。
すると伊地知が軽快な4つ打ちのイントロを刻み始めるのはもちろん「君という花」。こうして続けて聴いていると本当に凄まじいまでのアジカンアンセムの連打っぷりであるが、「ループ&ループ」も含めてこの当時にアジカンが4つ打ちのギターロックを鳴らしたのが後のシーンに本当に大きな影響を与えたのが今になるとよくわかる。絶対これ聴いて育ったらやりたくなるもん、と思うから。ゴッチの間奏での「らっせーらっせー」も少しマイクから距離を置きながらもハッキリと聞き取れるのだが、またいつか近い未来にアジカンが好きで仕方がない観客みんなでこのフレーズを叫んだり、スタンディングの会場で「オイ!オイ!」って声を上げながら楽しみたい。そんな思い出や記憶の全てが美しく素晴らしいものとして今も鮮明に脳内に残っているからである。アウトロでゴッチが「大洋航路」のサビのフレーズを歌うのも近年おなじみのライブアレンジであるが、そろそろ「大洋航路」を1曲丸々ライブでやってもいいんじゃないか、とも思う。
そんなゴッチは自分自身と山田は静岡出身ではあれど、改めてこの横浜という地がバンドのホームであり、大学の卒業式もこのパシフィコ横浜で行われたという過去を語るのだが、ゴッチはまさかの式に参加しておらず、留年した喜多もまた式に参加していないという。なんかで喜多はメンバーや同級生を見送るために自分は卒業しないのに卒業式に参加した、的な話をしていた記憶があるが、あれは映像作品集の「今を生きて」のMVでの副音声あたりだっただろうか。結局、あんまりこの会場に思い入れがないんじゃないか、っていう気もしてしまうけど。
そんなMCの後に演奏されたのは、その留年を経験してこの会場の卒業式に出席していないというロックスター過ぎるエピソードの持ち主である喜多がイントロでピースサインを掲げてからメインボーカルとして歌い始める、実に久しぶりのライブ披露となる「シーサイドスリーピング」。
「不満を吐き出して 地面を蹴飛ばして
虚しくなってしまったので
昼間からビールを呷ってしまう」
「運河沿いの公園で煙草ふかして
時化た日曜日 空っぽになってしまったので
止め処なく どこへでも漂って」
というフレーズはゴッチが書いたものでありながらも、このハイトーンボイスが酒と煙草によって形成された喜多という男のロックスターっぷりを、ギターリフを中心にしたロックサウンドで示しているのだが、現状は喜多は禁酒しているくらいにその生活は変わったけれど、アジカンがずっと変わらないように感じられるのは、喜多、山田、伊地知という3人の見た目がほとんど変わらないように感じられるからというのが非常に大きいと思う。(ゴッチは髪型や出で立ちがよく変わるから)
その3人の「変わらなさ」がアジカンを今も瑞々しいロックバンドだと感じさせてくれるし、喜多のボーカルのハイトーンっぷりが年齢を重ねても、酒をやめても変わらないのもまたアジカンの変わらなさである。
するとここでゴッチがスペシャルゲストをステージに招く。確かにステージ上にそれらしいキーボードが設置されてあったことでおおよそファンも検討はついていたと思うが、実際にフジファブリックの金澤ダイスケがステージに現れると、どよめきのような声も漏れる中で大きな拍手に包まれる。
ゴッチ「あの悪名高い「マジックディスク」ツアーをダイちゃんには支えてもらって(笑)ケンカしまくってた(笑)」
喜多「ゴッチと山ちゃんがケンカしてたんでしょ(笑)」
ゴッチ「忘れもしない、岐阜の駅前で「表出ろや!」ってなったの(笑)黄金の織田信長像の前で(笑)」
山田「全然覚えてない(笑)でも、ケンカの良いところは仲直りができるからだって織田信長も言ってたからね(笑)」
と、当時の話を今になってこうして笑いながらできるようになったということに今のメンバーの関係の良さを感じずにはいられないが、そんなツアーにサポートメンバーとして帯同していた金澤はさぞや気を遣ったことと思われる。
そんな金澤が参加して演奏されたのは「夕暮れの紅」。「リライト」のカップリング曲という立ち位置ながら、近年になってスタジオライブも含めて演奏される頻度が高くなってきた曲であり、夕暮れを思わせる淡い照明に包まれながら、そのメロディが金澤のキーボードによってより美しく響いている。すでに開催が決まっている今年のツアーの日比谷野音の夕暮れの時間帯にも金澤が参加してこのアレンジで聴くことができたらこの日以上に最高だろうなと思う。
金澤がもう1曲参加するのは、音源ではPE'Zのヒイズミマサユ機がピアノを弾いている、今までライブでやったことあったっけ!?と思うくらいのレア曲である「今を生きて」のカップリングに収録された「ケモノノケモノ」。ゴッチはハンドマイクで歌うことによって、よりその流麗なピアノのメロディの美しさを感じることができるのだが、まさかこの曲を今になってライブで聴くことができるなんて全く思ってなかった。この曲が聴けるのなら、もしかしたら近いうちに「リロード リロード」も聴けるんじゃないか…と思ってしまう、金澤ダイスケとの実に久しぶりのコラボだった。
その金澤ダイスケが参加した「マジックディスク」ツアーは自分は当時渋谷AX、柏PALOOZA、Zepp Tokyoの3箇所に参加した。東京と千葉だけで3箇所もやっているというあたりにそのツアーのスケジュールの厳しさがわかると思うが、あの頃と同じように今でもアジカンのツアーが発表されればどこへ何箇所行こうかと考えながらチケットを申し込んで、何公演も参加している。もう12年も前らしいが、恐ろしいくらいに自分がやっていることや生活が変わっていない。でもそれはアジカンがずっと止まらずにツアーを続けてきてくれたからだ。渋谷AXだけならず、Zepp Tokyoもなくなってしまったりと、居場所と呼べる場所はなくなったり変わったりしてしまっているけれど。
金澤ダイスケがステージから去ると、一転して喜多とゴッチが力強いロックサウンドのギターを鳴らして始まったのは「夜を越えて」。この曲もかなり久しぶりな気がするが、
「音楽はあまりに無力なんて常套句に酔っても
世界をただ一ミリでも動かすことは出来るだろうか」
という歌い出しのフレーズも、
「闇と瓦礫を掻き分けて
辿り着いたんだ」
というサビのフレーズも、震災が起こった直後に描かれた歌詞であることが伝わってくるし、それが3月12日という、震災が起きてしまった翌日に当たる日に演奏されていることが、アジカンが今なお自分たちなりのやり方で被災地のことを忘れることなく生きているということを感じさせてくれるし、それは震災だけでなく今なおまた違った社会的な不安に押し潰されそうになる我々の精神を思いっきり引き上げてくれる。音楽は無力かもしれないけれど、その音楽によって救われたり、生きていく力を貰って生きてきた人だって間違いなくいる。きっとここにいた人たちはみんなアジカンの音楽でそうした経験をしてきたはずだ。
するとここでさらなるゲストとして、ステージに設置されている、金澤ダイスケのものではないキーボードのセットがライブ開始前からこのライブではこの男が戻ってきてくれることを予感させていた、もはやアジカン第五のメンバーと言ってもいい存在のシモリョー(the chef cooks me)がゴッチに
「織田裕二みたい(笑)「振り返ればヤツがいる」の時の(笑)」
と言われるような医者のような白い衣装を着てステージに登場。もう9年もアジカンのライブに参加し続けてきた男であるだけに、もはやこちらとしてもいない方が違和感を感じるくらいになっているのだが、そんなシモリョーが参加して最初に演奏された「迷子犬と雨のビート」では早速シモリョーは自身の後ろにいるステージ観覧席の人たちの方を向きながらタンバリンを叩き、この曲の象徴たるホーンのサウンドをそのキーボードで一手に引き受けてみせる。
そもそもthe chef cooks meがゴッチに見出されて再生を果たしただけに、アジカンのライブにサポートで参加するようになってもいろんな心ないことを言われてきただろうけれど、こうしてアジカンのライブを見続けてきたファンたちはシモリョーがどれだけアジカンにとって大きな存在だったかをちゃんとわかっている。
シモリョーがいないと演奏できない曲だってたくさんあるし、シモリョーが参加したことによって手拍子などの新たな楽しみ方が定着した曲だってたくさんある。それはこれから先、ずっとアジカンのライブに参加することはなくなってもファンの中に受け継がれていくだろうし、そんなシモリョーはやはりこのバンドにとっての記念碑的なライブには欠かすことのできないプレイヤーである。
そのシモリョーがバンドと共同プロデュースを務めたのが、昨年リリースされた最新シングル「エンパシー」である。アジカンの王道とも言えるようなロックサウンドでありながらも、シモリョーによるデジタルなサウンドが今のアジカンとしての王道として鳴らされる。背面には夜の高速道路を疾走するような映像が流れるが、そうした映像が似合っているのもこの曲がそれに見合うスピード感を持っているからだ。
山田がベースを下ろし、その前にはシンセベースが用意されたので、近年のライブを見てきているファンはその編成が今でもCM曲として大量オンエアされている「触れたい 確かめたい」のものであることがわかるのだが、ここで何と音源にも参加している、羊文学の塩塚モエカがゲストボーカルとして登場し、ゴッチとのデュエットを見せる。
緑色がかった衣装を着てハンドマイクを持ち、飛び跳ねながら神秘的な歌を響かせる姿はUSインディーロックの影響が強い羊文学のバンドでの姿とは違う、歌の妖精であるかのようなのだが、そうした姿がこうしてアジカンのライブに参加できていることの喜びを全身で表現している。きっと塩塚は我々と同じようにアジカンの25周年のうちの何年かを1人のファンとして自身の人生に重ね合わせながら生きてきたのだろう。もしまたNANO-MUGEN FESを開催することがあれば是非羊文学にはそのステージに立っていて欲しいと思う。余りに楽しみ過ぎていたのか、去り際にマイクを外していなくてスタッフに引っ張られるようにして外すという天然っぷりも微笑ましかった。
その塩塚がステージを去ると場内には同期によるチキチキとした機械的なビートが流れる。それもまたライブではおなじみの「UCLA」のイントロであるのだが、今度は曲前に紹介もなく、Homecomingsの畳野彩加がステージへ。ハンドマイクだった塩塚とは対照的に、スタンドマイクに手をかけてどっしりと構えるようにしてその静謐なサウンドに合わせたボーカルを響かせるのだが、それがサビでは一気に伊地知のドラムの連打を合図にサウンドもゴッチと畳野のボーカルも熱さ、激しさを増していく。
この曲でのコラボはアジカンのロックバンドとしてのサウンドを刷新した「ホームタウン」ツアーの時を思い出させるのだが、あのアルバムのリリースが4年前、ツアーは3年前。つい最近のような気もするが、思えばあの時はコロナ禍になるなんて、アジカンのライブが見れなくなるなんて全く思っていなかったけど、そうした日々を経てこうして25周年を祝えているということが本当に愛おしく思える。
ゴッチが歌い終わった後に畳野のことを紹介して、客席に向かって頭を下げてすぐにステージから去っていくというのも見た目通りにクールであるのだが、そうしてゲストが去った後に演奏されたのは伊地知のドラムのサウンドが雄大な「ダイアローグ」で、ステージ周りを象るようにレーザーがプロジェクションマッピングとして光る中、歌い出しから山田と喜多がゴッチのボーカルに声を重ねる姿を見ていて、ゲストボーカルがいなくてもこんなに異なる歌声を持ったメンバーがいるバンドであることを示すと、ゴッチはアウトロでOasis「Rock'n Roll Star」のアウトロのようにギターを振り下ろすようにしながら何度も
「It's Just Rock'n Roll」
という言葉をサウンドに乗せる。
それは次に演奏されたのが「転がる岩、君に朝が降る」という、まさに「ロックンロール」そのものを歌った曲に繋がるものであったことがわかるのだが、
「出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな」
という歌い出しのフレーズが今になって過去最高レベルにリアリティを持って響いてしまう。音楽では戦争をなくすことはできないということもわかっている。でもそれでもこうして歌うしか、音を鳴らすしかない。それが反戦への祈りであり、バンドはロックをロールさせていくことしかできない。もしかしたら、この曲にリアリティを感じないようになることが1番幸せな状態なのかもしれないけれど、リアリティを感じざるを得ない時にこの曲はこれからもいつだって無力な我々を肯定してくれるはずだ。そんな夜を温めるようにアジカンはこの曲を歌っていた。
社会に言及することで(特にゴッチは)いろんなことを言われたりしているけれど、でもゴッチの根底には1人の市井の人間として、同じように市井を生きる人々が幸せであって欲しいという思いがあるはず。それは我々観客はもちろん、ゴッチに批判的な言葉を投げつけるような人にだって。そうした人間的な優しさをこれまでのアジカンとしての、個人としての活動から感じてきたからこそ、自分はずっと1人の人間としてゴッチのことをリスペクトし続けている。
そしてさらなるゲストとして呼び込まれ、アコギを持って登場したのはROTH BART BARONの三船雅也。出てくると驚くのは、意外なくらいに背が高く、ゴッチと重なった時にはそのあまりの身長差に笑いが起こってしまうほどで、
ゴッチ「三船くんは2m50cmあるから(笑)
俺は身長が低いけど、それをコンプレックスに思ったこともないし、それでとやかく言ったりしてくるやつも俺の周りにはいない。だから俺みたいに身長の低い男の子には「大丈夫だぜ」って言ってやりたい」
と言ったのだが、その言葉に拍手が起きていたのは、その言葉に勇気づけられたり、肯定されたりした人も少なからずいたからだろう。
その三船がボーカルとして参加するのは、先日MVが公開されたばかりの、月末にリリースされるニューアルバム「プラネットフォークス」に収録される「You To You」。ライブでは世界初披露の瞬間に居合わせられることになったのだが、MVを見た時も意外だったのは、ROTH BART BARONが参加するという情報を見た段階ではROTH BART BARONの音源に寄るような、もっと静謐な曲になるかと思っていたのが、完全にロックな曲になっているということ。
ゴッチがほぼメロディを作り直したらしいが、元ネタとしては山田が作ったというのがこうしたロックな曲になった理由かもしれない(今や最もアジカンらしい曲を作るのは山田である)が、そのロックな曲に三船の神聖さを感じさせるボーカルがゴッチのボーカルに、さらに曲が進むと喜多とのハイトーンなツインボーカルになるという、アジカンのロックな面をさらに更新するような曲になっている。
ゴッチはROTH BART BARONがまだ三船のソロになる前の、バンド形態だった頃から紹介していたし、近年のアルバムも自身のアワードで最大限に評価していた。このコラボも含めてそれはフックアップというよりはリスペクトする音楽家同士のコラボというものであるのだが、三船はこの曲のMVが公開された時に
「自分がアジカンからもらってきたものを少しは返せたのかな」
とツイートしていたが、我々ファンはアジカンからも、ROTH BART BARONからもまた大きなものを貰ってしまったと思うような新しい名曲が生まれた。
すると三船と入れ替わりにステージにはストリングス隊が座るための椅子が登場するのだが、近すぎない?と心配になるくらいにスタンド観覧席の真前で、そこに[Alexandros]のライブなどでもおなじみの、総勢8人の村田一族ストリングスが登場。
その転換中に
「若い頃はチケットがソールドアウトするのを喜んでたけど、いつからか「そうじゃねぇなぁ」って思うようになった。見たい人が見れないっていうのもなんか違うなって。だからできる限り見たいって思ってる人が全員見れるようになって欲しいと思って、少しでも人を入れられるようにこうやってステージ観覧席まで作った。無料配信とかもやりたいけど、やっぱりなかなか難しいからね」
と、若い頃とはこうした大きな会場でやる感覚も違ってきてるんだなと思いながら、そうして曲が始まるかと思ったら、ゴッチがもう1人のゲストを呼び込むことを忘れており、「ちょっと!」とツッコミを入れるようにしてアコギを持ってステージに現れたのは、ゴッチのソロバンドのメンバーとしてもおなじみのTurntable Filmsの井上陽介。その井上とストリングス隊を加えた編成によって、ゴッチが再びハンドマイクになって演奏された「フラワーズ」では背面のスタンド観覧席のど真ん中から幕が開いていくような映像の演出によって、スタンド観覧席の観客たちがストリングス隊の後ろにいる合唱隊のようにすら感じさせるような神聖な雰囲気に。「エンパシー」と比べるとやや地味目な曲というイメージもあったかもしれないこの曲はこの日、この場所で完全に音源とは全く違う曲と言っていいくらいに壮大に化けたのであった。
そしてゴッチはメンバー紹介をするのだが、ストリングス隊を1人ずつ名前を読み上げて紹介するのも実にゴッチらしいし、最後に喜多に「俺のことも紹介して!」とばかりに自分を指差すのも実にゴッチらしいし、やはりそこからも今のメンバーたちとの朗らかな関係性が見える。
それがなんだかすごく感動してしまうのは、MCで「マジックディスク」ツアーの話をしていたように、なかなかそうではない関係性である状況も明らかにあったからであるが、その感動を音楽でもって最大限に増幅するかのように、
「この海岸沿いにある横浜の街に」
と言って演奏されたのはストリングスのサウンドがこの上なく美しいメロディを奏でる「海岸通り」。その美しさはこれまでに横浜スタジアムでのワンマン(客席で腕を左右に振っていた人をゴッチが指差してそれが広がっていった瞬間は今もよく覚えている)や幕張のビーチで開催された時のJAPAN JAMのトリ、再録「ソルファ」リリース時の幕張メッセイベントホールや武道館…そんなこの曲を聴いてきたライブの光景が走馬灯の様に脳内をよぎって、思わず涙が溢れてしまった。いろいろあったけれど、25年間のうちの20年くらいを離れることなくずっと見続けてきて本当に良かったと心から思えた瞬間だった。そうしたライブの光景がいつも自分の足を前に進めてくれて、その繰り返しによって自分は生きてきたと確かに思えているから。
この日、気温が20度くらいある暖かい春の日になったのは、この曲が呼んだものだったのかもしれない。それくらいに、海岸通りに春が舞っていた。
アンコールでは先ほどまでの大人数編成から一転してメンバー4人だけで登場すると、
ゴッチ「裏で潔が「いろんなことを思い出して何回も泣きそうになった」って言ってて。それはみんなそうだったかもしれない。いつも言ってるけど、出会ってくれて、見つけてくれて本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
とゴッチが改めて観客に感謝を告げると、
「俺たちを世界に連れて行ってくれた曲!」
と言って山田があの重いベースラインを弾き始めたのはやはり「遥か彼方」。ゴッチもギターを高く掲げ、伊地知もサビ前ではスティックを同じように掲げる中、そのメンバーの背面にはこれまでのライブでこの曲が演奏された時の景色、それも主に客席の観客の姿が映し出されていた。一見して武道館だな、とわかるような、確かに自分もその中にいた客席は、当然ながらマスクをしないでみんなが押し合いながら思いっきり歌っている。それはその時のライブの誰かの姿でもありながら、ここにいる自分を含めた、これまでにアジカンのライブを見てきた誰しもの姿でもあった。その映像の中の光景が、この日の演奏がロックじゃなかったらなんだというのだろうか。きっとアジカンとならその光景をまた見ることができるはずだ。だってアジカンはこれまでも誰もメンバーが変わることなく、休止もすることなく新しい音楽を生み出して、我々の前に立ってきてくれたバンドなのだから。何年かかろうとも必ずその日はやってくる。
そんなエモーショナル極まりない「遥か彼方」から、最後に伊地知がドラムを鳴らし始めたのはシモリョーが会場にいるのに4人だけで演奏するという形での「今を生きて」。それでも声を出せないけれどコーラス部分では腕が上がり、リズムに合わせて手拍子も起こる。
ゴッチはここにいる誰よりも自由に体を動かしながら、
「永遠を このフィーリングをずっと忘れないでいて」
と最後に歌う。ああ、また一つ人生において忘れられない瞬間が増えた。それはやはり音楽そのもの、ライブそのものの良さがあってこそ。アジカンならきっとこれからだって数え切れないくらいにそんな瞬間を増やしてくれるはず。揃いの白シャツを着て肩を組んで観客に一礼した4人の姿は、衣装だけではなくて今は精神も統一されているかのようだった。
なんだか、久しぶりの感覚だった。フジファブリック、the chef cooks me、羊文学、Homecomings、ROTH BART BARON、Turntable Filmsというバンドたちが出演して、その最後にアジカンが2時間以上のライブをやるような、NANO-MUGEN FESのトリで出演者が全員集合したかのようなライブだった。
そう、近年になってアジカンはさらにアルバムにいろんなゲストを招いて曲を作っているけれど、はるか昔から周りにいるリスペクトできるバンドやミュージシャンの仲間の力を自分たちの力にできるバンドだった。だからNANO-MUGENでトリをやるアジカンのライブはいつだって本当に素晴らしかった。そんな感覚がこの日のライブには確かにあった。それを翌日もまた追体験できるのが本当に幸せで仕方がない。
1.センスレス
2.Re:Re:
3.アフターダーク
4.荒野を歩け
5.ループ&ループ
6.リライト
7.ソラニン
8.君という花 〜 大洋航路
9.シーサイドスリーピング
10.夕暮れの紅 w/金澤ダイスケ
11.ケモノノケモノ w/金澤ダイスケ
12.夜を越えて
以下、w/シモリョー
13.迷子犬と雨のビート
14.エンパシー
15.触れたい 確かめたい w/塩塚モエカ
16.UCLA w/畳野彩加
17.ダイアローグ
18.転がる岩、君に朝が降る
19.You To You w/三船雅也
20.フラワーズ w/村田一族、井上陽介
21.海岸通り w/村田一族、井上陽介
encore
22.遥か彼方
23.今を生きて
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