yonige 「もっと!三千大千世界ツアー」 @duo MUSIC EXCHANGE 3/8
- 2022/03/09
- 19:14
昨年夏にミニアルバム「三千世界」をリリースし、その直後にはフジロックのメインステージであるGREEN STAGEでいち早く収録曲を披露した、yonige。
その「三千世界」のリリースツアーも昨年開催されたが、いつものyonigeのツアーの本数からすると、東名阪+αという短いものにならざるを得ない時期と状況だったために、バンド側がさらにその曲たちを消化して昇華する必要があるのであろう、今年に「もっと!三千大千世界ツアー」を開催。この日はそのツアーのセミファイナルとなる、東京の渋谷duo MUSIC EXCHANGEでのワンマン。
検温と消毒を経てduoの中に入ると、床にテープを貼ってマスを作るという形でのスタンディング制。さすがに今のyonigeにとってはこの会場のキャパはかなり小さいということもあり、ソールドアウトの場内にはたくさんの人がマスの中に立っている。
19時になるとBGMが流れたままの中でおなじみのホリエ(ドラム)、土器大洋(ギター)というサポートメンバー2人とともに牛丸ありさ(ボーカル&ギター)とごっきん(ベース)の2人が暗転もSEもなくステージに登場し、
「yonigeです。よろしくお願いします」
と軽く挨拶した牛丸がギターを弾きながら「三千世界」のオープニング曲である「対岸の彼女」を歌い始め、サビのフレーズを歌い終わるとメンバーの音が重なっていく。ごっきんはホリエと土器の方を見ながら、呼吸を合わせるようにしてリズムを刻むのであるが、少し茶髪気味で前髪がパツッとした牛丸はジャケットの着こなし方も含めてどこかテイラー・スウィフトっぽさも感じるが、今回のツアーを回ってライブを重ねてきたことがよくわかるくらいに冒頭から喉が開いていて、よく声が出ている。
昨年のツアーでは「三千世界」の曲は後半に固めて一気に演奏するという流れだったのだが、さすがに同じ内容のライブをやっても仕方がないことをメンバーもわかっているかのようなスタートであるが、さらに次に早くも演奏されたのは、その前回のツアーでは渋谷でのファイナルのアンコールで演奏され、牛丸が豪快に歌詞を吹っ飛ばしたことが逆に微笑ましいエンディングになるという結果に繋がった「リボルバー」であるが、さすがに今回はツアーを通して歌ってきたこともあり、歌詞を飛ばしたり間違えることはなかったのだが、Cメロでは手拍子が起こり、サビでは早くも腕が上がる。ロックバンドのライブで何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、前回のツアーでこうした客席の光景が見れたのはアンコールの時だけだった。それだけに、今回のツアーが前回とは全く異なる流れと会場の空気であるということがわかる。
それは牛丸と土器がノイジーなギターサウンドを鳴らし、歌詞の通りに自転車に乗って街中を駆け抜けていくかのような疾走感溢れるギターロック曲「顔で虫が死ぬ」が続いたことによってより顕著になっていくのだが、こんなにも序盤から客席の腕がたくさん上がっているyonigeのライブを見るのはいつ以来になるのだろうか。まだブレイク前にこの会場があるビルのはるか上の階にあるO-Crestでライブを見ていた頃を少し思い出すかのような。
しかしながら牛丸の歌い出しの
「だれもわたしを知らないみたいな
心地いい朝が来たらそれでいい」
というフレーズをアカペラで歌うボーカルが一気に切なさを増す「2月の水槽」ではまさに水の中にいるかのような真っ青な照明がステージを照らす中で、ここからさらに深いところに潜っていくことを予感させ、アウトロのホリエのドラムがそのままイントロとして「バッドエンド週末」に繋がっていくという流れももはやすっかりお馴染みのものである。毎回のようにライブでこうしたアレンジを施してきたのを見てきたからか、これが音源通りであるかのような感覚にもなるのだが、この2曲はリリースされた時期も全く違うというあたりにyonigeの発想力の豊かさを感じるし、こうした曲たちが存在していたということが「HOUSE」〜「健全な社会」〜「三千世界」に繋がる要素であったと言えるだろう。
そんな中で土器がサンプラーを操作して生み出す音が実に不穏な空気を醸し出す「催眠療法」と「三千世界」の曲を既存曲の間に実にスムーズに挟んでみせる(今のyonigeのライブは基本的にMCも含めた曲間が全く存在しないために次々に曲が演奏されていき、非常にライブのテンポが良い)のだが、その不穏なサウンドに絡むことによって牛丸のボーカルさえもどこかサイケデリックさを感じられるものになっているのが前半までと全く違う印象や感覚を与えてくれる。
すると今度はごっきんのベースがうねりまくることによって重厚なサウンドの曲をグルーヴさせていく「往生際」と、今のyonigeが持っているものがメロディと歌詞だけではなくて4人それぞれのプレイヤビリティの高さと、それによって生み出されている曲であることを示してくれる。そうしたタイプの曲でありながらも、牛丸のボーカル「催眠療法」とは真逆と言っていいくらいに実に伸びやかである。
1サビではホリエが、2サビではごっきんが牛丸のボーカルにコーラスを重ねていくのがよりシュールかつサイケデリックに感じる「子どもは見ている」から、
「まさかりかついで山に出かけたら」
という歌い出しのフレーズからしてどこか童謡のようですらある「わたしを見つけて」と「三千世界」の曲がこの中盤で続く。この曲たちが今の牛丸の独特な言葉使いと世界観の感性を感じさせてくれるとともに、お披露目的に演奏されたフジロックのライブから見ているだけに、ライブで演奏され続けてきたことによってこうした曲もただシュールなだけではない、整理されて引き締まったサウンドに感じられる。かつては「ライブが好きじゃない」とも口にしていた牛丸は、今はライブをすることで自分たちが生み出した曲たちが成長していることをちゃんと理解できるようになったんだと思う。
このちょうど中盤になってから、前回のツアーをはじめとした近年のライブでは毎回のように1曲目に演奏されていた「11月24日」が演奏されたということが、まるでここからまたライブが始まるかのような新鮮さを与えてくれる流れになっているのであるが、徐々にサウンドが高まっていく曲の展開はまさにライブの始まり方そのもので、そこから「健全な朝」に繋がるというのは「健全な社会」のアルバムの冒頭の流れそのものであり、「三千世界」のツアーであることを忘れてしまうかのようですらある。
その「健全な社会」の収録曲の中で、映画のタイアップに起用されるくらいのポップかつ温かなサウンドの「あかるいみらい」は夕暮れ時を思わせるようなオレンジ色の照明が、
「笑ったよ
空の色味が期待した通りにうまく染まらなくても
思い出す、あの日のこと
沈む夕日の中、今日も心は遠く
君の好きな歌を歌って、すこし忘れて、笑う」
という歌詞も相まって、大切な人と一緒に家に帰っていくような生活感のある情景を想起させる。その生活感の描写こそが「健全な社会」以降にyonigeが獲得した要素であると強く思うのは、今まさにそうした景色を見ることが出来なくなってしまっている人がたくさんいるような状況の世界になってしまっているから。
それは聴き手が勝手にそう受け取っているだけでもあるのだが、時勢を見て自分たちの大きなライブを中止にしたり、フジロックに迷いの感情がありながらも出演したyonigeの姿を見てきたからこそ思うことでもある。そもそもMC自体をしなくなったためにそうしたことを話すこともなくなったけれど、ステージの4人もそうした世界の情勢に心を痛めたりしているはずだ。それでも、こうしてライブができる、ライブを観れる生活ができる場所にいるからこそ、保てる心境や精神があるということも。
そんな心境が
「ヘッドライトの光 天井を泳いでいった
得意げにきみは言う 世界で一番安全な場所」
という「沙希」の歌い出しのフレーズにも重なっていく。ある意味ではこうしてライブをやるということが、ライブハウスが安全な場所であることを示すことにもなる。そんな場所で、
「だれも知らない さるのダンス踊ろう」
というフレーズの通りに、自由にダンスを踊れるように。それはもちろん世界中の人々が。yonigeのライブで初めてそう思えたのはこの情勢の中で聴いたこの曲のメロディやサウンドが目を大きく開いたら消えてしまうんじゃないかというくらいに儚さを感じさせるものだったから。
ここで牛丸がアコギに持ち替えると、削ぎ落とされて素朴さを強く感じさせるサウンドの、ショートチューンと言ってもいいくらい(2分半ほど)の「ベランダ」がまた場内の空気を生活感で満たしていくのであるが、そのまま牛丸がアコギを弾きながらサビのフレーズを歌ってから始まるというアレンジの「サイケデリックイエスタデイ」へと繋がるのも、近年ではおなじみのライブアレンジであり、原曲と比べると限界まで削ぎ落とされた、BPMを落として隙間を生かしまくったサウンドがそのサイケデリックな雰囲気により浸らせてくれる。そうして削ぎ落としただけに牛丸のボーカルがより一層切なさと儚さをもって響いてくるのである。
「三千世界」にはCDとサブスクでアレンジが違う曲が収録されているのだが、再び牛丸がエレキに持ち替えると、その「27歳」のサブスクバージョンが、先ほどの隙間を生かすべく削ぎ落としたサウンドとは真逆と言っていいように、もはやシューゲイザーというくらいにノイジーなギターサウンドが場内を埋め尽くしていく。
で、逆にCDバージョン(つまりアレンジ違いとはいえ同じ曲が2回続けて演奏されたことになる)は牛丸がキーボード、土器がサンプラーという編成からもわかるように、サウンドは全く違う、こちらはより歌を生かすようなアレンジ。
自分は普段からCDを購入して、それをiTunesに入れて聴くという聴き方をしているので、こちらのCDバージョンの方が聞き馴染みがあるのだが、アレンジだけではなくて歌詞も違うのがこうして続けて演奏されるとよくわかる。寂寞感の強い歌詞だからこそシューゲイザー的なサウンドに乗るサブスクバージョンと、生活感が滲み出ているCDバージョン。どちらも視点は同じ人物であるが、見ている景色が違うという描き方に牛丸の高い作家性を感じざるを得ない。
その「27歳」で「三千世界」の曲は全て演奏されただけに、もしかしたらそろそろライブ自体も終わるんじゃないだろうか、とも思っていたのだが、そんな自分の考えが甘過ぎたことに気付かされるのは、牛丸がギターを思いっきり掻き鳴らして、実に久しぶりに「さよならアイデンティティー」が演奏されたからであるが、そもそも4人編成で演奏されるのも武道館以降あっただろうか?とも思うくらいに、衝動はもちろんありながらも、近年のサウンドをバンドに取り入れたことによってただ衝動をぶち撒けるだけではない、どっしりとした骨格がある演奏になっているし、それは続けて演奏された、こちらも久しぶりな「ワンルーム」もそうである。
その2曲がデビュー時からのバンドのストレートと言えるような曲だったとするならば、「HOUSE」以降の曲たちはカーブなりチェンジアップなり、時にはパームなりナックルなりと、ストレートとはかなり球速差のあるブレーキングボールというようなタイプの曲だったし、そうしたボールを投げられるようになっていくこと、自分たちの球種が増えていくことをバンドが楽しんでいるようにも感じていた。
でもこの日久しぶりにこの曲たちが、しかもそうした新しく会得した変化球の後に演奏されたことによって、まだまだyonigeはストレートの球速が落ちていないどころか、球速差があるボールを投げれるようになったことによって、よりストレートが生きるようになったんだな、とすら感じられる。100kmや110kmのボールが続いた後の145kmは体感的には160kmくらいに感じられるような投球術を、球種が増えたことによって身につけたというか。だからこそなのか、この日このストレートを投げていた2人の顔は本当に心からの笑顔だった。MCは少なくなっても、バンドを楽しみながらやれている。それが伝わってくるのが観客としても本当に嬉しい。
その喜びは再度牛丸がアコギを弾きながら歌い、ごっきんがステップを踏むようにリズミカルに体を揺らしながらベースを弾く姿が実に微笑ましいとともに、ごっきんもまた演奏しながら観客の姿やマスク越しの表情を見ながら実に嬉しそうな「ピオニー」で極まる。ああ、やっぱりライブはやるのも見るのも本当に楽しい。そんな当たり前のことを改めて2人の姿や鳴らしている音が感じさせてくれるのである。
すると牛丸が
「yonigeです。今日はありがとうございます」
と、このタイミングで挨拶をしたということはまだライブは終わらないんだな、ということを感じさせてくれるように口を開くと、
「告知があります。2年前に発表したけど開催できなかった、山手線ツアーを5月から開催します」
と発表し、ごっきんも
「いろんなところでやるから、絶対来いよ!」
と観客に告げる。ああ、なんだかごっきんが喋る姿を久しぶりに見た気がする。ライブでMCをしなくてもいいんじゃないか、という思考になってきているとはいえ、元来は面白い大阪の姉ちゃんであるということを思い出させてくれる。
そして、ラスト2曲と予告されてから演奏されたのはこの時期に実にふさわしい「春の嵐」であるが、未だに
「今年もお花見できないな
道の花びらを踏んで歩こう」
というフレーズがリアルな世の中の状況として響くとは思わなかった。(もともと花見をしない人生であるということは置いておいて)
そのフレーズと曲全体から漂う切なさが今の世界の春がどんな季節であるのかを物語っているというのは、コロナ禍になる前にリリースされていたこの曲が持つ意味がこの数年で変わってしまった、なんならこの曲の歌詞がこうした世界になることを示唆していたとも感じてしまう。
そしてごっきんのうねるようなベースと牛丸のノイジーなギターが重なる「最愛の恋人たち」がこれまでのワンマンと同じように最後に演奏される。その轟音サウンドによるサイケデリアはいつだって観客の脳内を陶酔させ、夢遊させてくれるのであるが、それが眠くなるという感覚とは全く真逆であるのは、ホリエのドラムと土器のノイジーなギター含めたバンドの演奏の力強さゆえであるということをその身をもって示すと、まだその轟音サウンドが残響として場内に残る中で牛丸はすぐにステージを去り、ホリエと土器もそれに続いていく。最後に残ったごっきんが深々と客席に頭を下げてから去っていくのが、言葉にはしなくても感謝の念がしっかりこもっているように感じられた。
メンバーがステージを去ってからも観客が手を叩いていると、4人がアンコールで再びステージへ。正直、もしかしたらアンコールはやらないんじゃないかと思っていたのは、前回のツアーでは渋谷がファイナルだったからという理由でアンコールに応え、なのでツアー中に演奏していなかった「リボルバー」の歌詞が飛びまくっていたからなのだが、牛丸はやはり
「どこの会場でもアンコールに応えてるわけじゃないんで」
と言っていた。それは観客のアンコールを待ち望む熱量を見て、あるいはその日の自分たちの状態を考えて、などの理由があると思われるが、この日にそれらがちゃんと噛み合った上でアンコールに応えてくれたのは嬉しい限りである。
「東京に住んでるであろう皆さんが頼りです!」
と、ごっきんが山手線ツアーに来てくれるように頼むと(心配しなくても山手線ツアーの会場は小さいライブハウスばかりなので全て即完すると思う)、牛丸と土器がノイジーかつシャープなギターのサウンドを鳴らし始める。近年のライブでも原曲通りのアレンジで演奏されてきた「最終回」であり、自分としても大好きな曲であるだけに、アンコールで出てきてくれて本当にありがとうございます、と思わざるを得ないのだが、これまでと聴こえ方が違ったのは
「どうかした理想を救いたい」
というフレーズ。そこにはどうすることもできないけれど、世界に対する理想は捨てずにいるというyonigeの意思が確かにこもっているように感じた。
おそらく2019年に開催された日本武道館をピークとして、yonigeのライブに来なくなった、緩急の緩の部分が増えていくのについて来れなくなったという人も結構いると思う。(武道館で「往生際」が演奏された時のポカーンとした空気はある意味では忘れられない)
それでも、この「最終回」を聴いていて、やっぱりyonigeの音楽は、ライブは本当にカッコいいものだと思った。そう思うからこそ山手線ツアーも1つでも多く見たいのはもちろん、中止になってしまったLINE CUBEでのワンマンなど、まだまだyonigeのライブをこれからもずっと見ていたいと思う。yonigeというバンドとその音楽は、失くなっても替えがあるビニール傘みたいではないのである。
何よりも、ライブ後半での2人の笑顔が見れたのが本当に嬉しかった。2人が楽しそうに音を鳴らしている笑顔が見れると、こちらも楽しくなる。もう「笑おう」を演奏する必要もないくらいに、今のyonigeは笑っている。そんなバンドの今を映し出すかのようなツアーだった。
1.対岸の彼女
2.リボルバー
3.顔で虫が死ぬ
4.2月の水槽
5.バッドエンド週末
6.催眠療法
7.往生際
8.子どもは見ている
9.わたしを見つけて
10.11月24日
11.健全な朝
12.あかるいみらい
13.沙希
14.ベランダ
15.サイケデリックイエスタデイ
16.27歳 (サブスクver.)
17.27歳 (CD ver.)
18.さよならアイデンティティー
19.ワンルーム
20.ピオニー
21.春の嵐
22.最愛の恋人たち
encore
23.最終回
その「三千世界」のリリースツアーも昨年開催されたが、いつものyonigeのツアーの本数からすると、東名阪+αという短いものにならざるを得ない時期と状況だったために、バンド側がさらにその曲たちを消化して昇華する必要があるのであろう、今年に「もっと!三千大千世界ツアー」を開催。この日はそのツアーのセミファイナルとなる、東京の渋谷duo MUSIC EXCHANGEでのワンマン。
検温と消毒を経てduoの中に入ると、床にテープを貼ってマスを作るという形でのスタンディング制。さすがに今のyonigeにとってはこの会場のキャパはかなり小さいということもあり、ソールドアウトの場内にはたくさんの人がマスの中に立っている。
19時になるとBGMが流れたままの中でおなじみのホリエ(ドラム)、土器大洋(ギター)というサポートメンバー2人とともに牛丸ありさ(ボーカル&ギター)とごっきん(ベース)の2人が暗転もSEもなくステージに登場し、
「yonigeです。よろしくお願いします」
と軽く挨拶した牛丸がギターを弾きながら「三千世界」のオープニング曲である「対岸の彼女」を歌い始め、サビのフレーズを歌い終わるとメンバーの音が重なっていく。ごっきんはホリエと土器の方を見ながら、呼吸を合わせるようにしてリズムを刻むのであるが、少し茶髪気味で前髪がパツッとした牛丸はジャケットの着こなし方も含めてどこかテイラー・スウィフトっぽさも感じるが、今回のツアーを回ってライブを重ねてきたことがよくわかるくらいに冒頭から喉が開いていて、よく声が出ている。
昨年のツアーでは「三千世界」の曲は後半に固めて一気に演奏するという流れだったのだが、さすがに同じ内容のライブをやっても仕方がないことをメンバーもわかっているかのようなスタートであるが、さらに次に早くも演奏されたのは、その前回のツアーでは渋谷でのファイナルのアンコールで演奏され、牛丸が豪快に歌詞を吹っ飛ばしたことが逆に微笑ましいエンディングになるという結果に繋がった「リボルバー」であるが、さすがに今回はツアーを通して歌ってきたこともあり、歌詞を飛ばしたり間違えることはなかったのだが、Cメロでは手拍子が起こり、サビでは早くも腕が上がる。ロックバンドのライブで何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、前回のツアーでこうした客席の光景が見れたのはアンコールの時だけだった。それだけに、今回のツアーが前回とは全く異なる流れと会場の空気であるということがわかる。
それは牛丸と土器がノイジーなギターサウンドを鳴らし、歌詞の通りに自転車に乗って街中を駆け抜けていくかのような疾走感溢れるギターロック曲「顔で虫が死ぬ」が続いたことによってより顕著になっていくのだが、こんなにも序盤から客席の腕がたくさん上がっているyonigeのライブを見るのはいつ以来になるのだろうか。まだブレイク前にこの会場があるビルのはるか上の階にあるO-Crestでライブを見ていた頃を少し思い出すかのような。
しかしながら牛丸の歌い出しの
「だれもわたしを知らないみたいな
心地いい朝が来たらそれでいい」
というフレーズをアカペラで歌うボーカルが一気に切なさを増す「2月の水槽」ではまさに水の中にいるかのような真っ青な照明がステージを照らす中で、ここからさらに深いところに潜っていくことを予感させ、アウトロのホリエのドラムがそのままイントロとして「バッドエンド週末」に繋がっていくという流れももはやすっかりお馴染みのものである。毎回のようにライブでこうしたアレンジを施してきたのを見てきたからか、これが音源通りであるかのような感覚にもなるのだが、この2曲はリリースされた時期も全く違うというあたりにyonigeの発想力の豊かさを感じるし、こうした曲たちが存在していたということが「HOUSE」〜「健全な社会」〜「三千世界」に繋がる要素であったと言えるだろう。
そんな中で土器がサンプラーを操作して生み出す音が実に不穏な空気を醸し出す「催眠療法」と「三千世界」の曲を既存曲の間に実にスムーズに挟んでみせる(今のyonigeのライブは基本的にMCも含めた曲間が全く存在しないために次々に曲が演奏されていき、非常にライブのテンポが良い)のだが、その不穏なサウンドに絡むことによって牛丸のボーカルさえもどこかサイケデリックさを感じられるものになっているのが前半までと全く違う印象や感覚を与えてくれる。
すると今度はごっきんのベースがうねりまくることによって重厚なサウンドの曲をグルーヴさせていく「往生際」と、今のyonigeが持っているものがメロディと歌詞だけではなくて4人それぞれのプレイヤビリティの高さと、それによって生み出されている曲であることを示してくれる。そうしたタイプの曲でありながらも、牛丸のボーカル「催眠療法」とは真逆と言っていいくらいに実に伸びやかである。
1サビではホリエが、2サビではごっきんが牛丸のボーカルにコーラスを重ねていくのがよりシュールかつサイケデリックに感じる「子どもは見ている」から、
「まさかりかついで山に出かけたら」
という歌い出しのフレーズからしてどこか童謡のようですらある「わたしを見つけて」と「三千世界」の曲がこの中盤で続く。この曲たちが今の牛丸の独特な言葉使いと世界観の感性を感じさせてくれるとともに、お披露目的に演奏されたフジロックのライブから見ているだけに、ライブで演奏され続けてきたことによってこうした曲もただシュールなだけではない、整理されて引き締まったサウンドに感じられる。かつては「ライブが好きじゃない」とも口にしていた牛丸は、今はライブをすることで自分たちが生み出した曲たちが成長していることをちゃんと理解できるようになったんだと思う。
このちょうど中盤になってから、前回のツアーをはじめとした近年のライブでは毎回のように1曲目に演奏されていた「11月24日」が演奏されたということが、まるでここからまたライブが始まるかのような新鮮さを与えてくれる流れになっているのであるが、徐々にサウンドが高まっていく曲の展開はまさにライブの始まり方そのもので、そこから「健全な朝」に繋がるというのは「健全な社会」のアルバムの冒頭の流れそのものであり、「三千世界」のツアーであることを忘れてしまうかのようですらある。
その「健全な社会」の収録曲の中で、映画のタイアップに起用されるくらいのポップかつ温かなサウンドの「あかるいみらい」は夕暮れ時を思わせるようなオレンジ色の照明が、
「笑ったよ
空の色味が期待した通りにうまく染まらなくても
思い出す、あの日のこと
沈む夕日の中、今日も心は遠く
君の好きな歌を歌って、すこし忘れて、笑う」
という歌詞も相まって、大切な人と一緒に家に帰っていくような生活感のある情景を想起させる。その生活感の描写こそが「健全な社会」以降にyonigeが獲得した要素であると強く思うのは、今まさにそうした景色を見ることが出来なくなってしまっている人がたくさんいるような状況の世界になってしまっているから。
それは聴き手が勝手にそう受け取っているだけでもあるのだが、時勢を見て自分たちの大きなライブを中止にしたり、フジロックに迷いの感情がありながらも出演したyonigeの姿を見てきたからこそ思うことでもある。そもそもMC自体をしなくなったためにそうしたことを話すこともなくなったけれど、ステージの4人もそうした世界の情勢に心を痛めたりしているはずだ。それでも、こうしてライブができる、ライブを観れる生活ができる場所にいるからこそ、保てる心境や精神があるということも。
そんな心境が
「ヘッドライトの光 天井を泳いでいった
得意げにきみは言う 世界で一番安全な場所」
という「沙希」の歌い出しのフレーズにも重なっていく。ある意味ではこうしてライブをやるということが、ライブハウスが安全な場所であることを示すことにもなる。そんな場所で、
「だれも知らない さるのダンス踊ろう」
というフレーズの通りに、自由にダンスを踊れるように。それはもちろん世界中の人々が。yonigeのライブで初めてそう思えたのはこの情勢の中で聴いたこの曲のメロディやサウンドが目を大きく開いたら消えてしまうんじゃないかというくらいに儚さを感じさせるものだったから。
ここで牛丸がアコギに持ち替えると、削ぎ落とされて素朴さを強く感じさせるサウンドの、ショートチューンと言ってもいいくらい(2分半ほど)の「ベランダ」がまた場内の空気を生活感で満たしていくのであるが、そのまま牛丸がアコギを弾きながらサビのフレーズを歌ってから始まるというアレンジの「サイケデリックイエスタデイ」へと繋がるのも、近年ではおなじみのライブアレンジであり、原曲と比べると限界まで削ぎ落とされた、BPMを落として隙間を生かしまくったサウンドがそのサイケデリックな雰囲気により浸らせてくれる。そうして削ぎ落としただけに牛丸のボーカルがより一層切なさと儚さをもって響いてくるのである。
「三千世界」にはCDとサブスクでアレンジが違う曲が収録されているのだが、再び牛丸がエレキに持ち替えると、その「27歳」のサブスクバージョンが、先ほどの隙間を生かすべく削ぎ落としたサウンドとは真逆と言っていいように、もはやシューゲイザーというくらいにノイジーなギターサウンドが場内を埋め尽くしていく。
で、逆にCDバージョン(つまりアレンジ違いとはいえ同じ曲が2回続けて演奏されたことになる)は牛丸がキーボード、土器がサンプラーという編成からもわかるように、サウンドは全く違う、こちらはより歌を生かすようなアレンジ。
自分は普段からCDを購入して、それをiTunesに入れて聴くという聴き方をしているので、こちらのCDバージョンの方が聞き馴染みがあるのだが、アレンジだけではなくて歌詞も違うのがこうして続けて演奏されるとよくわかる。寂寞感の強い歌詞だからこそシューゲイザー的なサウンドに乗るサブスクバージョンと、生活感が滲み出ているCDバージョン。どちらも視点は同じ人物であるが、見ている景色が違うという描き方に牛丸の高い作家性を感じざるを得ない。
その「27歳」で「三千世界」の曲は全て演奏されただけに、もしかしたらそろそろライブ自体も終わるんじゃないだろうか、とも思っていたのだが、そんな自分の考えが甘過ぎたことに気付かされるのは、牛丸がギターを思いっきり掻き鳴らして、実に久しぶりに「さよならアイデンティティー」が演奏されたからであるが、そもそも4人編成で演奏されるのも武道館以降あっただろうか?とも思うくらいに、衝動はもちろんありながらも、近年のサウンドをバンドに取り入れたことによってただ衝動をぶち撒けるだけではない、どっしりとした骨格がある演奏になっているし、それは続けて演奏された、こちらも久しぶりな「ワンルーム」もそうである。
その2曲がデビュー時からのバンドのストレートと言えるような曲だったとするならば、「HOUSE」以降の曲たちはカーブなりチェンジアップなり、時にはパームなりナックルなりと、ストレートとはかなり球速差のあるブレーキングボールというようなタイプの曲だったし、そうしたボールを投げられるようになっていくこと、自分たちの球種が増えていくことをバンドが楽しんでいるようにも感じていた。
でもこの日久しぶりにこの曲たちが、しかもそうした新しく会得した変化球の後に演奏されたことによって、まだまだyonigeはストレートの球速が落ちていないどころか、球速差があるボールを投げれるようになったことによって、よりストレートが生きるようになったんだな、とすら感じられる。100kmや110kmのボールが続いた後の145kmは体感的には160kmくらいに感じられるような投球術を、球種が増えたことによって身につけたというか。だからこそなのか、この日このストレートを投げていた2人の顔は本当に心からの笑顔だった。MCは少なくなっても、バンドを楽しみながらやれている。それが伝わってくるのが観客としても本当に嬉しい。
その喜びは再度牛丸がアコギを弾きながら歌い、ごっきんがステップを踏むようにリズミカルに体を揺らしながらベースを弾く姿が実に微笑ましいとともに、ごっきんもまた演奏しながら観客の姿やマスク越しの表情を見ながら実に嬉しそうな「ピオニー」で極まる。ああ、やっぱりライブはやるのも見るのも本当に楽しい。そんな当たり前のことを改めて2人の姿や鳴らしている音が感じさせてくれるのである。
すると牛丸が
「yonigeです。今日はありがとうございます」
と、このタイミングで挨拶をしたということはまだライブは終わらないんだな、ということを感じさせてくれるように口を開くと、
「告知があります。2年前に発表したけど開催できなかった、山手線ツアーを5月から開催します」
と発表し、ごっきんも
「いろんなところでやるから、絶対来いよ!」
と観客に告げる。ああ、なんだかごっきんが喋る姿を久しぶりに見た気がする。ライブでMCをしなくてもいいんじゃないか、という思考になってきているとはいえ、元来は面白い大阪の姉ちゃんであるということを思い出させてくれる。
そして、ラスト2曲と予告されてから演奏されたのはこの時期に実にふさわしい「春の嵐」であるが、未だに
「今年もお花見できないな
道の花びらを踏んで歩こう」
というフレーズがリアルな世の中の状況として響くとは思わなかった。(もともと花見をしない人生であるということは置いておいて)
そのフレーズと曲全体から漂う切なさが今の世界の春がどんな季節であるのかを物語っているというのは、コロナ禍になる前にリリースされていたこの曲が持つ意味がこの数年で変わってしまった、なんならこの曲の歌詞がこうした世界になることを示唆していたとも感じてしまう。
そしてごっきんのうねるようなベースと牛丸のノイジーなギターが重なる「最愛の恋人たち」がこれまでのワンマンと同じように最後に演奏される。その轟音サウンドによるサイケデリアはいつだって観客の脳内を陶酔させ、夢遊させてくれるのであるが、それが眠くなるという感覚とは全く真逆であるのは、ホリエのドラムと土器のノイジーなギター含めたバンドの演奏の力強さゆえであるということをその身をもって示すと、まだその轟音サウンドが残響として場内に残る中で牛丸はすぐにステージを去り、ホリエと土器もそれに続いていく。最後に残ったごっきんが深々と客席に頭を下げてから去っていくのが、言葉にはしなくても感謝の念がしっかりこもっているように感じられた。
メンバーがステージを去ってからも観客が手を叩いていると、4人がアンコールで再びステージへ。正直、もしかしたらアンコールはやらないんじゃないかと思っていたのは、前回のツアーでは渋谷がファイナルだったからという理由でアンコールに応え、なのでツアー中に演奏していなかった「リボルバー」の歌詞が飛びまくっていたからなのだが、牛丸はやはり
「どこの会場でもアンコールに応えてるわけじゃないんで」
と言っていた。それは観客のアンコールを待ち望む熱量を見て、あるいはその日の自分たちの状態を考えて、などの理由があると思われるが、この日にそれらがちゃんと噛み合った上でアンコールに応えてくれたのは嬉しい限りである。
「東京に住んでるであろう皆さんが頼りです!」
と、ごっきんが山手線ツアーに来てくれるように頼むと(心配しなくても山手線ツアーの会場は小さいライブハウスばかりなので全て即完すると思う)、牛丸と土器がノイジーかつシャープなギターのサウンドを鳴らし始める。近年のライブでも原曲通りのアレンジで演奏されてきた「最終回」であり、自分としても大好きな曲であるだけに、アンコールで出てきてくれて本当にありがとうございます、と思わざるを得ないのだが、これまでと聴こえ方が違ったのは
「どうかした理想を救いたい」
というフレーズ。そこにはどうすることもできないけれど、世界に対する理想は捨てずにいるというyonigeの意思が確かにこもっているように感じた。
おそらく2019年に開催された日本武道館をピークとして、yonigeのライブに来なくなった、緩急の緩の部分が増えていくのについて来れなくなったという人も結構いると思う。(武道館で「往生際」が演奏された時のポカーンとした空気はある意味では忘れられない)
それでも、この「最終回」を聴いていて、やっぱりyonigeの音楽は、ライブは本当にカッコいいものだと思った。そう思うからこそ山手線ツアーも1つでも多く見たいのはもちろん、中止になってしまったLINE CUBEでのワンマンなど、まだまだyonigeのライブをこれからもずっと見ていたいと思う。yonigeというバンドとその音楽は、失くなっても替えがあるビニール傘みたいではないのである。
何よりも、ライブ後半での2人の笑顔が見れたのが本当に嬉しかった。2人が楽しそうに音を鳴らしている笑顔が見れると、こちらも楽しくなる。もう「笑おう」を演奏する必要もないくらいに、今のyonigeは笑っている。そんなバンドの今を映し出すかのようなツアーだった。
1.対岸の彼女
2.リボルバー
3.顔で虫が死ぬ
4.2月の水槽
5.バッドエンド週末
6.催眠療法
7.往生際
8.子どもは見ている
9.わたしを見つけて
10.11月24日
11.健全な朝
12.あかるいみらい
13.沙希
14.ベランダ
15.サイケデリックイエスタデイ
16.27歳 (サブスクver.)
17.27歳 (CD ver.)
18.さよならアイデンティティー
19.ワンルーム
20.ピオニー
21.春の嵐
22.最愛の恋人たち
encore
23.最終回
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