今日も最初で最後。 出演:ハルカミライ / Hump Back / KOTORI / FOMARE @日本武道館 3/4
- 2022/03/05
- 20:34
すでに日本武道館でワンマンを行なっているHump Back、Saucy Dogの対バンライブで一足先に武道館のステージに立ったハルカミライという2組と、KOTORI、FOMAREという初めて武道館に立つ2組による、THE NINTH APOLLOとJMSによる超強力な合同ライブイベント「今日も最初で最後。」。コロナ禍になってもライブができるならばライブを行ってきたバンドとレーベル、事務所による集大成のような1日である。
金曜日とはいえ平日の17時半という開演時間にはさすがにまだ満員という感じではなかったが、それは「今並んでたら開演間に合わないんじゃん?」というくらいに長蛇の列になっていた物販の影響もあると思われる。
場内にはACIDMAN「造花が笑う」、フジファブリック「赤黄色の金木犀」、エレファントカシマシ「風に吹かれて」などの名曲がBGMとして流れる中、17時半を少し過ぎたあたりで「ONE TIME ONLY」というこの日のライブタイトルを英語にしたフラッグがかかっただけの簡素極まりないステージに最初のバンドが登場する。
・FOMARE
暗転してSEが流れた瞬間にどよめきとも言っていいような空気になるのは急に暗転したからでもあり、SEでこのバンドがトップバッターであるということがわかったからでもあるだろう。今やTVのCMでも曲が流れている群馬のスリーピースバンド、FOMAREがこの1日の始まりを告げる。
3人全員が白いTシャツやスウェットを着ていたのは合わせたものかもしれないけれど、アマダシンスケ(ボーカル&ベース)がマイクの前に立つと
「武道館!ブチ上げて行こうぜ!FOMAREです!」
と叫び、そのまま
「カーテンの隙 灯る光」
と「Lani」を歌い始めるとまたもや客席はどよめきにも似た状態に。自分がフェスなどでライブを見た時にもクライマックスで演奏されていたキラーチューンから始まるというのはそうならざるを得ないが、きっとFOMAREはこの武道館のステージで自分たちが1番最初に鳴らす曲はこの曲にすると決めていたのだと思う。まさにブチ上げるべくアマダもカマタリョウガ(ギター)も間奏ではマイクスタンドから横に離れて演奏し、オグラユウタ(ドラム)の強靭なビートがそこに疾走感を与えてくれる。体だけでなく心までも震えるような、あまりに完璧な武道館ライブのスタートとしてのカッコ良さである。
続け様に演奏された、シンプルなスリーピースバンドならではのサウンドであるがゆえに武道館の天井まで真っ直ぐに響くような「Grey」ではアマダが観客の拳を振り上げるのを煽るように叫び、
「ここをどこだと思ってんだ!」
と叫ぶ。昨今の、特に関東以外の出身の若手バンドは武道館という場所に思い入れがなかったりするバンドも多いけれど、このバンドは明らかに強い思い入れがありまくるのがもうこの段階でわかる。この世代には珍しく対バンライブにACIDMANを呼んだりしているだけに、きっと自分が観客としてこの武道館に何回も来てライブを見てきて、先輩たちがここでどんなライブをしてきたのかを知っている。その場所に今自分たちが立っているという感慨がバンドにここでしか持ち得ない魔法のような特別な力を与えているということが、もうこの数日で関東地方も春らしい気候になったけれど、冬の曲だからこそのエモーションが迸る、この曲もまた武道館に立つんなら絶対に連れてきたかったんだろうなと思う「stay with me」という初期曲からも確かに感じられるから見ていて胸や目頭が熱くなってしまうのだ。
その武道館への想いを、
「FOMAREになってから7〜8年。ずっと見てきてくれた人もいると思うし、今日初めて見てくれる人だっていると思う。初めて会った場所が日本武道館っていうのは本当に奇跡なんじゃないかと思うから、これからも何回もライブハウスで会えたらいいなと思ってます」
と、武道館がずっと見てきたバンドの一つの集大成となる場であることをわかっているからこその言葉にするとともに、それでも自分たちが帰る場所、これからも生きていく場所はライブハウスであるとも口にする。
それは
「群馬のライブハウスで何回も歌ってきた曲」
と言って、黄色みが強いオレンジ色の照明が、ちょうど18時くらいであろう今現在の外の情景もこんな感じなのだろうか、とイメージさせてくれる、オグラのリズムがセクションごとに変わっていく様に彼の、バンドの器用さを感じさせる「夕暮れ」も含めて、FOMAREの曲はライブハウスで数え切れないくらいに演奏されてきて、そうしてこの武道館のスケールに見合うように育ってきたからだ。だからか、歌い出しからアマダのボーカルは驚くくらいに伸びやかであり、このライブ、このステージにかける気合いを感じさせるとともに、どこか都会的にも感じる出で立ち(特に金髪のカマタ)であるこのバンドが
「夕暮れがきれいだな
死ぬときもこんな感じがいいな
コロッケ屋のおばちゃんが言っていた
体には気をつけなさいよって
その通りだよ
この空気が好きなんだよ 僕は」
という素朴な歌詞を歌うことによって、きっと群馬で美しい夕暮れを数え切れないくらいに見てきたんだろうなと思う。まだまだ死にたくはないけれど、死ぬ時にこんなに美しい景色が目の前に広がっていてくれたらな、とは確かに思う。季節外れではあるけれど、「秋の夜」を続けて演奏したのも「夕暮れ」と同じ情景が浮かぶような曲だからであろう。
後半にさらにブチ上げるべく「Frozen」で再び加速し、スリーピースのギターロックバンドのカッコ良さをこれでもかというくらいに感じさせてくれると、アマダがこうして武道館に立てていることの感謝を何度も何度も口にするという思いの強さを感じさせ、現在ユニバーサルスタジオジャパンのCM曲として大量オンエア中の「愛する人」へ。カマタだけではなくてオグラもコーラスを重ねるのだが、
「当たり前だった毎日がただ恋しいだけなんだ」
という、アマダが曲に入る前に口にした、この曲の最も印象的なフレーズは学生時代の最後の思い出としてUSJに行く学生の気持ちを代弁しているようでもありながら、コロナ禍になってかつてと同じように、それこそ一緒に歌ったり、体をぶつけ合ったりして楽しむことが出来なくなってしまった、ライブを愛してきた人たちの気持ちをも代弁しているかのようだ。つまりはこの曲は学生だけでなく、コロナによって生活や楽しみや生き方が変わらざるを得なかった全ての人に向けられた曲であり、だからこそCMに起用されて話題になっているのだ。そのフレーズはカマタとオグラのボーカルで歌うという形であることに、ライブを見ることによって改めて気付かされる。
そして最後に演奏されたのは、FIRST TAKEで歌ってバズった「長い髪」ではなく、同じバラードというタイプの曲でありながら、
「ねぇ 僕は生きているよ 僕は生きてるよ
僕の声は聞こえているだろ?聞いてるから今ここにいるんだろ?
いつだって歌っていたいさそりゃ
僕を待っていてくれないか 僕なりの僕で歌を歌うから」
というフレーズが、間違いなくバンドにとっての一つの到達点であるこの武道館で歌われることによって、いつかこのバンドの歌がワンマンライブとしてこの場所で歌われるんじゃないかと思える「タバコ」だった。
持ち時間的には少し長めのフェスくらい。であるならばブチ上げるタイプの曲をひたすらに連発していくセトリだって組める。でもその持ち時間の中にバラード曲を入れ、しかもそれを最後に演奏する。それはかつてフェスのオープニングアクトで出演した時のライブでアマダが
「僕らはあなたと同じように、速い曲が好きで、激しい曲が好きで、踊れる曲が好きで、歌モノやバラードも好きなバンドです」
と言っていたことを思い出させた。そうした自分たちの愛する音楽を全て自分たちの音楽として鳴らしたい。そんな想いを感じるとともに、そこに貫かれているのはメロディの良さと、カッコいいスリーピースのロックバンドであるということ。だからそうしたあらゆるタイプの曲が全てFOMAREの音楽になっている。久しぶりに見たライブはそんなFOMAREの強さと魅力を再確認させてくれるとともに、FOMAREが我々と同じように音楽を、バンドを、ライブを、武道館という場所を愛してきたバンドであり人間だということだった。
1.Lani
2.Grey
3.stay with me
4.夕暮れ
5.秋の夜
6.Frozen
7.愛する人
8.タバコ
・Hump Back
おなじみのハナレグミのSEが流れてメンバーが登場してくる時にどこか安心感のようなものすら感じられるのは、Hump Backがすでにこの武道館でワンマンを行い、それがソールドアウトしたという、この規模の会場に立つのが当たり前になったバンドがこの会場に帰ってきたからだろう。Hump Back、そのワンマン以来4ヶ月ぶりに武道館に帰還。林萌々子(ボーカル&ギター)の赤いパンツもその時同様に目を惹く。
その林がギターを爪弾きながら、
「透明な君を好きになってしまった」
という、このバンドの歌詞がどんどんこのバンドにしか歌えない情緒を獲得してきているな、と感じさせるような、即興なのかあるいは新曲の断片だったりするのかというフレーズを歌ってから、一気にギターのサウンドがソリッドに変化して「月まで」で実質的なスタートを切る。ぴか(ベース)が演奏しながらぴょんぴょん飛び跳ねて楽しさを表現する姿は変わらないけれど、美咲(ドラム)は髪が長くなってきており、それに比例してドラムの音も見るたびに力強くなっているのを感じる。
そんなバンドの武道館に対する余裕と貫禄を感じさせるのは林のボーカルが武道館の高い天井まで真っ直ぐに伸びていくように響き渡る「クジラ」であり、初めてライブを見た時の少し頼りなく感じたのがはるか昔のことのようであり、なんなら別のバンドかのようにすら感じる。この広さ、この雰囲気の中でどうやって歌い、鳴らせばしっかり響くのかということを頭でも体でもわかっているかのようなどっしりとした安心感や安定感を感じさせてくれる。
このバンドにとってのショートチューンであり、バンドを武道館でのワンマンという規模にまで引き上げた昨年リリースのアルバム「ACHATTER」の1曲目である「宣誓」では
「今日も最初で最後」
と、この日のライブタイトルを歌詞の中に入れながら、林は
「あそこの男の人、めっちゃ跳んでる!」
と、アリーナ前方真ん中あたりでぴょんぴょん飛び跳ねまくっている観客を発見して嬉しそうに指を指す。
その飛び跳ねまくっていた観客に
「最後まで飛び跳ねまくっていてくれよ」
と声をかけたMCでは、3月ということもあり、この春に卒業した人がいるかを問いかけるとたくさんの腕が上がり、改めてこの日の客層の若さがわかるのだが、
「バンドを10年やってきて、私は少年少女に向けて歌っているんだって最近わかった」
という言葉は、一聴するとそうした卒業したばかりの年齢の人に向けて音楽を鳴らしているようにも感じられるし、そうなると少年少女と言えるような年齢ではない自分のような奴に向けて音を鳴らしてないんだろうか?と思ってしまいがちなのだが、そうではなくて、そうした少年少女らしさを未だに持っているからこそこうしてライブに来ている大人に向けても歌っているということが、
「大人になるのも結構楽しいで」
と言ってから「番狂わせ」が演奏されたことによってわかるのだが、そう言ってくれる、
「泣いたり笑ったり忙しい おもろい大人になりたいわ しょうもない大人になりたいわ」
と歌ってくれるバンドがいるからこそ、自分自身が少年少女だった頃に想像していたよりも、大人になってから楽しく生きていられていると思えるのだ。きっとこれからもこの曲は、このバンドのライブは何回だってそう思わせてくれるはずだ。
「スリーコード エイトビートに乗って
僕らの歌よ どうか突き抜けておくれよ」
というフレーズがこのバンドのテーマであるかのように響く「ティーンエイジサンセット」もまた明確に少年少女に向けた曲であるが、とっくに少年少女としての感覚や、ロックによる初期衝動を通り過ぎた自分でさえもこんなにこの曲が、このバンドのライブが「カッコいいな…」と思えるということは、実際にこのバンドの音楽やライブに触れてバンドを始めるような少年少女もたくさんいるんだろうなと思う。
そんな中で林が
「ラブソング、ラブソング、ラブソングを歌う」
と何度も繰り返し口に出してから演奏された「LILLY」は
「明日が怖くなるほどに 君が君が美しかった
夜を越え 朝迎え 君に会えたらそれでいいや」
というサビのフレーズがこのバンドとしてのあまりにロックなラブソングとして響くのだが、ここまでは本当にこのバンドの持つキラーチューン中のキラーチューンの連打である。それは武道館だからこそか、あるいは林も
「ずっと一緒にライブをやってきた友達や後輩」
というこの日の出演バンドの存在あってこそか。それはどちらもあるし、どちらでもない、今この瞬間のHump Backが鳴らしたいものということだろう。
しかしそんな林は最近は悲しくなるようなニュースばかり目にしてしまい、なかなか今日どんなテンションや感情でライブをやるのか、実際に始まるまで自分でもよくわかっていなかったということを語り始める。ライブを見ている限りではそんな影響は全く感じなかったけれど、それは間違いなくロシアとウクライナの問題のことだろう。林は武道館ワンマンの時も受験生が殺傷事件を起こしたニュースについて触れていたけれど、この日はそうして断定できる事柄や国名を敢えて言わなかったのは、自分と同様にそのことを考え始めると精神が落ちてしまう人もいることをわかった上での配慮だろうけれど、
「世界を救うことはできないけれど、でもやっぱりバンドが、音楽が、ライブハウスがあることで私は救われている。Hump Backというバンドの存在に、その音楽に私自身が救われている」
とも口にした。それは我々もそうだ。そうして目にしたニュースで精神的にキツくなったり、無力さに苛まれてしまうこともあるけれど、こうしてライブに来ることによってバンドの存在が、音楽が、鳴らしている姿がそんな暗闇から引っ張り上げてくれる。目の前で音を鳴らしてくれているバンドの存在に、我々も救われているのだ。
そんな言葉の後に演奏されたのは、この日のセトリの中では最も意外な選曲だった「きれいなもの」であるが、ハッキリとその歌詞の1文字1文字が聞き取れるバラードと言っていい曲調の曲だからこそ、
「忘れないように 忘れないように
小さく強く燃え続く 月のように いのちのように」
「君の小さな小さな涙は
とにかく綺麗だったんだ」
というフレーズが、今も北の方で流れているかもしれない罪なき人々の涙を想起させる。林は
「祈ったり願ったりするのは私には合わない」
と言っていたけれど、そういう人だから祈るでも願うでもなく音楽に自分の気持ちを乗せることができるのだろう。間違いなく、今この状況で鳴らされるべき曲が最大限の説得力を持って鳴らされていた。
そんなライブの最後に演奏されたのは、性に合わなくても、やはりどこか願いを込めているかのように響く「星丘公園」。ぴかと美咲のコーラスのハーモニーもまたこの規模にしっかり見合うものになっているということを感じさせつつ、
「君が泣いた夜にロックンロールが死んでしまった」
というサビのフレーズは、いくら我々がライブを見て泣いてしまったとしても、ロックンロールは死なないなと思った。それはこんなにもたくましく我々を救ってくれる、Hump Backのようなバンドがいる限り。明日になっても忘れることがないくらいに、時間が止まればいいって思っていた。
1.月まで
2.クジラ
3.宣誓
4.番狂わせ
5.ティーンエイジサンセット
6.LILLY
7.きれいなもの
8.星丘公園
・KOTORI
場内が暗転してメンバーが登場する際のSEが1曲目のイントロでもあるというのが近年のライブのおなじみのオープニングでもある。去年は東武動物公園で主催フェスを行い、両国国技館でワンマンを行ったKOTORIが、初めて日本武道館のステージに立つ。
そのSEからそのまま曲に入るように、髪色が金になり、長さが短くなった細川千弘(ドラム)が力強くリズムを刻み始め、そこに地を這うような佐藤知己のベースラインが重なっていく。ライブが始まる直前にアジカンの「転がる岩、君に朝が降る」がBGMとして流れていたからそう思うのだろうけれど、そのリズム隊のアッパーなだけではない構築感はアジカンが「ホームタウン」で刷新したロックバンドとしての低音の響きを感じさせるし、上坂仁志のギターのフレーズもどこか「ワールド ワールド ワールド」のギターのフレーズを彷彿とさせる。それは
「音楽で大切なものを守れますように」
と逆光の照明が顔がハッキリとは見えないようにメンバーを照らすことで願うように、祈るように横山優也(ボーカル&ギター)が歌う姿がより神聖なもののように見える「We Are The Future」で、サビのタイトルフレーズで横山の声にメンバーのコーラスが重なっていくとそのフレーズに呼応するようにたくさんの観客の腕が上がり、間奏で横山は
「武道館ー!」
と叫んで両腕を上げる。その姿からは、FOMAREと同様にこのバンドもまた武道館に強い思い入れを持っているバンドであるということを感じさせる。
その横山にスポットライトが照らしながら、
「心のずっと奥の方 ずっとずっと奥の方」
と弾き語りで歌い始めてから曲に入った「ジャズマスター」と、序盤からこのバンドならではの持ち味を存分に感じさせてくれる。それはこれまでのライブでもそうした照明などの演出が曲の持つ力を最大限に引き出すようなライブの作り方をしてきたということだ。その芸術性はこの日の中ではこのバンドしか持っていないものであるが、横山は曲の入りで歌ったフレーズ部分で曲中ではマイクスタンドから離れた。それはコロナ禍になる前は観客の合唱が響いていたコーラスフレーズだからであるが、今は歌うことができなくても、なんだか自分の脳内にはそのフレーズがしっかり響いているような感覚があった。
それは「1995」と、アッパーなだけではなくても、それでも近年の曲を中心にというよりは、このバンドにとっても初の武道館でのライブというのは一つの集大成であり、だからこそ短い時間の中でも自分たちのキャリアを代表するような曲を演奏するライブであることがわかる選曲であることも含めて、すでにこの時点でKOTORIの鳴らしている音が武道館を掌握している感すらあったのだが、それは個人的に「細川のドラムが武道館で響いている…」という感慨を感じさせるくらいに、KOTORIに入る前にやっていたShout it outでは届かなかった場所にこのバンドで立っていて、そこで加入前から生まれていたアッパーな曲にさらにロックバンドとしての衝動と情熱を与えて牽引するような、ドラムセット自体はシンプルであるが、もはや両腕、両足(細川はよく足を上げながらドラムを叩くことがある)をはじめとした体全体も含めてドラムセットなんじゃないかと思うくらいに体がドラムと連動しているし、強靭でありながらしなやかなビートが否が応でも体を揺さぶってくるからこそ感じられるものだろう。
「僕ら、またワンマンでここに戻ってこれるような最高のライブをします!もう戻って来れないかもしれないけれど(笑)」
という横山の挨拶的なMCは
「武道館に飲まれている(笑)」
と、聞いていた佐藤が大笑いするくらいに客席からのリアクションが薄かったのだが、上坂がどんどんステージ端の方まで移動して深く体を沈めながら演奏するくらいに気持ちがこもった「トーキョーナイトダイブ」は東京の象徴とも言えるようなこの武道館で鳴らされるために生まれた曲であるかのように、我々を音の中に飛び込ませてくれる。その姿を見て、こんなにもKOTORIが武道館に似合う存在だったのかと思ったし、それはこのバンドが武道館に憧れてきたバンドだからだろう。
するとゆったりとしたビートによってFOMAREと同じように長閑な夕方の風景を想起させる「RED」は曲が進むにつれて一気にスピードを増していき、そこに宿る衝動を真っ赤にステージを照らす照明がさらに増幅している。もはや細川のドラムは鬼神のごときオーラを放ってバンドを支配、牽引しているとすら思えるほど。というかこうしたリズムが速く、強くなっていくような展開の曲ほど細川のドラマーとしての凄まじさをより発揮できる曲だと言えるだろう。
そして横山が
「ついにこの瞬間が来た!」
と言って始まったのは、明らかにテンポが速くなりまくり、音量も爆音になるという、全ての持てる力を音に注ぎ込んだかのような「素晴らしい世界」であり、間奏で横山も
「僕らの音楽が武道館で鳴ってるって本当に信じられないし、とんでもないことですわ!」
と叫ぶ。上坂は思いっきりギターを掻き鳴らし、常にメンバーの方を向いた、ミスター冷静と言えるような佐藤すらもステージ前に歩み出て客席の方を指差していた。それくらいにバンド全員が自分たちの持てる力をはるかに超えたライブをやれていることをわかっていたのだろう。MCで「武道館に飲まれている」と言っていたばかりのバンドが、自分たちの音で武道館を飲み込んだ瞬間であり、よく「武道館には魔物がいる」とも言うけれど、その武道館の魔物すらもKOTORIというバンドに飲み込まれていたかのようだった。この凄まじさはビールでも飲んで忘れようとしても絶対に忘れることはできない、気付いた時には終わっている最高な時であり、そうでないことがたくさんある世の中であることはわかっているけれど、この瞬間だけは涙が止まらないくらいに素晴らしい世界だった。憧れとはこんなにもバンドに力を与えてくれるものなのかと。
そのまま細川が激しくドラムを連打する「羽」と、きっとKOTORIもFOMAREと同様に「自分たちが武道館でライブをやる時にはこの曲をやる」というのを決めていたんだろうなと思えるセトリ。それはワンマンではない持ち時間だからこそ、緩急をつけるというよりもひたすらにバンドの持つエモーションを炸裂させる、この日の他のバンドたちと共に居並んでもロックさ、パンクさによってKOTORIがカッコいいロックバンドであることを存分に感じさせてくれる流れだ。
そして最後は薄っすらとした光に包まれる神聖な雰囲気の中で轟音ギターサウンドとともに深くリヴァーブがかかった横山のボーカルが響き渡る「YELLOW」で、歌詞にそのフレーズが登場すると照明も黄色に切り替わる。その色の移り変わりはそうしたタイトルを冠した曲を作ってきて、それに見合う演出のライブをやってきたKOTORIだからこそできることであるが、アウトロでは横山がギターを床に置いて、メンバー全員で向かい合って、横山が腕を振り上げることによってキメを打つ。そのあまりに完璧なエンディングも含めて、このライブへの絶大な手応えを感じたのであろう横山はステージから去る際にガッツポーズを繰り返していた。その姿がどこか微笑ましく感じるのもまた横山らしいとも言えるのだけれど、きっとずっとKOTORIを追いかけてきた人たちもそうしてガッツポーズをしたくなっただろうな、と思うくらいに改心のライブだった。
あらゆる形態の中でロックバンドのライブが1番好きなのは、「こういうライブになるだろう」という予想やイメージを遥かに上回るような瞬間を見せてくれるのが、自分たちで音を鳴らしているロックバンドのライブだからだ。
この日のKOTORIの初の武道館でのライブはまさにそんな、メンバーもファンも予想したり期待していたものを遥かに超えるような瞬間であったし、これまで数え切れないくらいに(おそらく100回は確実に超えている)忘れられないような素晴らしいライブを見てきた武道館でのライブの中でもトップクラスに素晴らしいライブだった。
だからこそKOTORIにはまた武道館に、今度はワンマンで立って欲しい。この日のKOTORIの武道館を塗り替えることができるのは、ここでワンマンをやる時だけだろうから。きっとこの日このライブを目撃した人は全員その機会には足を運んでくれるだろうし、この規模の会場や、今の規模よりももっと大きな会場やフェスのステージに立つべきバンドだ。そう思うくらいに、この日のこのイベントはKOTORIというバンドの凄まじさを示すためにあったのかもしれない。
1.We Are The Future
2.ジャズマスター
3.1995
4.トーキョーナイトダイブ
5.RED
6.素晴らしい世界
7.羽
8.YELLOW
・ハルカミライ
そんな凄まじかったKOTORIのライブの後に流れていたBGMがcinema staffの「KARAKURI in the skywalkers」から新世界リチウムの「喝采」へと変わると、先にステージには小松謙太(ドラム)、須藤俊(ベース)、関大地(ギター)の3人が先にステージに登場。この日のトリは昨年にはこの武道館のキャパをはるかに上回る幕張メッセ9〜11ホールでもワンマンを行った、ハルカミライである。
3人がドラムセットの前に集まって気合いを入れると、橋本学(ボーカル)は巨大なフラッグを抱えてステージに登場。そこにはこのイベントのトリを務めるバンドとしての背負っている物の責任や誇りを感じさせるのだが、その際にフラッグを引っ掛けて関のマイクスタンドを倒してしまうというのもご愛嬌というか、実にハルカミライらしいというか。
橋本がそのフラッグをマイクスタンドに持ち替えると、真っ白な光の照明が4人を照らしながら、
「ただ僕は正体を確実を知りたいんだ」
と声を揃えて「PEAK'D YELLOW」を歌い始め、小松のビートが一気に疾走し始め、客席では無数の腕が上がる。そのオープニングはタイトル的に先ほどのKOTORIの「YELLOW」へのアンサーとも取れなくもないが、橋本が日本国旗の真下で
「日本武道館!」
と叫ぶ姿を見て、本当に日本人で良かったと思えた。今や世界ではロックバンドがいなくなってきていて…という言説もよく耳にするけれど、日本にはこんなにカッコよくて頼もしいロックバンドがいてくれるのだから。
そこからは「君にしか」からのおなじみの流れと言えるものへと突入していくのだが、この武道館という場所でのこの
「目の前に何人いようが君の目を見ていたいの」
というフレーズの破壊力は、やっぱりハルカミライは自分のために歌ってくれていると思う。きっとみんな腕を上げながらマスクの奥で声を出すことなく歌っていたんじゃないかと思う。
それが「カントリーロード」へと繋がるのもハルカミライのライブの冒頭のおなじみの流れであるが、橋本のサビでのファルセットも含めた歌唱の素晴らしさ、声量の大きさが武道館の隅から隅まで響く。それは早くもTシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になった橋本が
「武道館、めちゃくちゃ似合ってるんじゃないのかー!」
と言うくらいに自分たちも自信を持っているということだろうけれど、関はいつものようにステージ端のスピーカーの上によじ登ってギターを弾くと、間奏で
橋本「さっきHump Backの萌々ちゃん(林)が「私たちだけ武道館2回目」って言ってたけど、俺たちも2回目です、すいません!」
須藤「きっと萌々ちゃんはワンマンで武道館やんないと認めないっていうタイプだよね。ああいう人と結婚したいよね(笑)」
橋本「萌々ちゃんと結婚したいの!?(笑)」
という驚きの告白から、関がスピーカーから飛び降りて、橋本が脱いだTシャツの上に着地して滑りながらもギターを弾いて最後のサビへと突入していき、
「抱きしめてくれ 歓びの歌」
という締めのフレーズが一層伸びやかに、まさに自分のことを、ここにいる一人一人を抱きしめるように響き渡る。
「今日も余裕で最高だぜ!」
という橋本の言葉を示すかのように。
するとこの日は珍しく須藤がちゃんとベースを弾くという形で演奏されたショートチューン「ファイト!!」では関はステージ上でスライディングをかまし、橋本はここがライブ以外には柔道などの大会で使われている武道館のステージだからか、ステージ上で受け身を取るかのように転げ回る姿が、コロナ禍で我々観客側はまだいろんな制限を守らなくてはいけないけれど、ハルカミライのライブには全く制限がないということを示すかのように暴れ回っている。
ハルカミライは例えばKOTORIの細川のような、一見してとんでもない演奏技術を持ったメンバーがいるようなバンドではないけれど、それでも「俺達が呼んでいる」でのドカドカとした爆音のパンクサウンドにはこの4人で鳴らしているという人間性が強く表れている。誰でもできそうに見えて絶対に他の人が真似してもこうはならないというか。それは技巧を尽くした音楽よりもはるかに難しいことだと自分は思っている。
「一つになろうなんて全く思わない。でもここにいるみんなが同じ一つの音楽、一つの曲を歌うのは素晴らしいことだと思う!」
と橋本は自身のライブの在り方について口にしてから「Tough to be a Hugh」のサビをアカペラで歌うのだが、須藤が
「口は閉じたままで歌ってね」
とフォローするこのご時世の中だからこその優しさもまたハルカミライらしいものだ。めちゃくちゃやること、やりたいようにやることが誰かの不安や迷惑につながってしまったら意味がないことをわかっているというか。それは
「高いスポーツカーを買ってぶっ飛ばすようにスピード出すんじゃなくて、車が傷つかないように法定速度をちゃんと守って運転するのが俺なりのパンク」
というインタビューでのパンク観に対する発言と一致している。
そんなハルカミライならではの優しさとパンクさをメロディと歌詞で感じさせてくれる「世界を終わらせて」では橋本がやはりサビのフレーズを先にアカペラで歌い(その間に小松も上半身裸になるのもおなじみ)、
「歌が上手いとめちゃくちゃ気持ちいいぜ!」
と叫ぶ。パンクバンドでそう言うバンドも、そう感じるバンドもなかなかいない。歌唱力や演奏力よりもとにかく衝動、スピードというのがパンクという音楽だし、ハルカミライはそれも確かに持っているけれど、その歌唱力があるからこそこんなに広い会場でたくさんの人に届くパンクになったとも言えるはずだ。
ハルカミライのライブは30曲くらい演奏するようなワンマンでも本当に体感としては一瞬で終わってしまうと感じるものであり、だからこそこの日も早くもクライマックスへ来ているんだな、とわかるのが「僕らは街を光らせた」であり、前半はステージ上で暴れ回るようにして演奏していたメンバーたちが顔を見合わせて、音と呼吸を合わせるように、でも丁寧にというよりはあくまでパンクバンドとして力強く大胆に音を鳴らす。
「地獄の果てを
音楽の果てを
この歌の果てを
歓声の果てを」
という1サビの歌詞が2サビでは
「希望の果てを
音楽の果てを
この歌の果てを
歓声の果てを」
という歌詞に変わる。ハルカミライは直接的に社会の出来事に言及するようなことはしないけれど、この日演奏されたこの曲からはたしかに「地獄」が「希望」に変わるような日まで、
「俺たち強く生きていかなきゃね」
と願いを込めて歌っているかのようだった。
そしてこれまでも何度も何度もライブのクライマックスを描いてきた「アストロビスタ」では橋本が
「眠れない夜に私 ブルーハーツを聴くのさ」
と歌い始めると、
「みんなは何を聴く?」
と問いかけてから、
「独り占め出来るドキドキがあるんだ」
と歌を続ける。もちろんここにいた人たちが眠れない夜に1人で聴くのはハルカミライだろう。それはあんなに凄まじかったKOTORIのライブの後を担えるのはやっぱりハルカミライしかいない、と思うくらいに見ている我々の心を燃え上がらせ、拳を振り上げさせてくれるからだ。ライブではおなじみの「宇宙飛行士」のフレーズも入れながら、
「元気をくれて、力をくれて、本当にありがとうね」
と最後に加える。元気や力を貰っているのは間違いなく、元気や力に満ち溢れたライブを見ているこちらの方なのだが、そのハルカミライの元気や力の源泉に我々の存在があるんだとしたら、こんなに嬉しいことはない。一方通行でも与えられるだけでもなくて、お互いに力や元気を与えあってライブをやっていて、こうしてこの状況の世の中でも生きる力になっている。ハルカミライがこんなに凄いバンドであるという理由の土台に我々の存在がある。その事実がより一層、ハルカミライを聴いて、ライブを見て無敵になれるような気にさせてくれる。だからどんなライブだろうと何回だって見たくなるんだ。
そんなライブの最後に演奏されたのは、昨年リリースされた「ドーナツ船 ep」に収録された「ベターハーフ」。この曲以外はこれまでのライブでもおなじみの曲ばかりだっただけに、この曲が演奏されたことで、改めてニューアルバム「ニューマニア」の発売日が数日後に迫っていることに気付いた。激しさというよりは徹底的にメロディの強さを追求したこの曲はこれからもきっとこうして大事なライブの大事な場面で演奏される曲になるだろうな、とも思いながら、
「振り向いて車窓から
見える東京タワーってさ
小さいんだね
私たちおもちゃ箱で
遊んでたみたい」
というフレーズはこの武道館に来るまでの景色を歌っているかのようにすら感じた。それは東京タワーが、スカイツリーができた今も東京の代名詞であり続けているように、どんなに新しい会場ができたとしても、この日本武道館もまたロックバンドにとっての東京の代名詞であり続けているから。
「僕の心ずっとさらわれたままだから」
という締めのフレーズは、自分の心がこのバンドにさらわれたままなんだよな、と思わずにはいられなかった。もうとっくにこのキャパを飛び越えていると言ってもいいバンドだけれど、やっぱりいつかこの武道館でワンマンを見てみたいと思った。それくらいに、やっぱりこの4組での武道館ライブの最後を担えるバンドはハルカミライだったのだ。
1.PEAK'D YELLOW
2.君にしか
3.カントリーロード
4.ファイト!!
5.俺達が呼んでいる
6.Tough to be a Hugh
7.世界を終わらせて
8.僕らは街を光らせた
9.アストロビスタ
10.ベターハーフ
演奏後、アンコールはなかったけれど、その代わりにJMSのスタッフが司会となって、出演者全員での写真撮影。出演順にバンドを呼び込んでいるのに毎回ハルカミライの小松が出てこようとするのには笑ってしまうとともに、1人だけ撮影寸前まで出てこなかったHump Backの美咲は、チャットモンチーのラストライブでチャットモンチーのドラムを叩いた時に林とぴかが号泣していたのに本人が「なんで2人とも泣いてるの?」と言い放ったのを思い出させるくらいの大物っぷりを発揮していた。ハルカミライのアンコール聴きたかったっていうのもあるけれど。
この日、4組のライブを見ていて、自分が10代になったような気分だった。それくらいに、武道館でロックバンドのライブを観るということがどれだけ特別であるかということを、まだ武道館に慣れていなかった時のような新鮮な気持ちで見ては、そこに迸るそれぞれのバンドの思いや音に熱狂し、感動していたから。
でも「10代に戻った」っていう感じじゃない。それは自分が10代だった2000年代後半じゃなくて、この4バンドは2020年代の今を若者として生きていて、同じようにたくさんの観客が2020年代の今を若者としてこのバンドたちと生きているから。
そんな初期衝動が今でも自分の中からなくなっていないと感じさせてくれるバンドたちがちゃんといる。この2022年の3月4日のライブ自体は最初で最後だけれど、そのバンドたちが武道館でライブをやるのが最後ではありませんように。そしていつかこの4バンドがそれぞれ武道館でワンマンをやった後にまたこうやって集まってライブがやれますように。そんな最高な時がまた訪れるまで、俺たち強く生きてかなきゃね。
金曜日とはいえ平日の17時半という開演時間にはさすがにまだ満員という感じではなかったが、それは「今並んでたら開演間に合わないんじゃん?」というくらいに長蛇の列になっていた物販の影響もあると思われる。
場内にはACIDMAN「造花が笑う」、フジファブリック「赤黄色の金木犀」、エレファントカシマシ「風に吹かれて」などの名曲がBGMとして流れる中、17時半を少し過ぎたあたりで「ONE TIME ONLY」というこの日のライブタイトルを英語にしたフラッグがかかっただけの簡素極まりないステージに最初のバンドが登場する。
・FOMARE
暗転してSEが流れた瞬間にどよめきとも言っていいような空気になるのは急に暗転したからでもあり、SEでこのバンドがトップバッターであるということがわかったからでもあるだろう。今やTVのCMでも曲が流れている群馬のスリーピースバンド、FOMAREがこの1日の始まりを告げる。
3人全員が白いTシャツやスウェットを着ていたのは合わせたものかもしれないけれど、アマダシンスケ(ボーカル&ベース)がマイクの前に立つと
「武道館!ブチ上げて行こうぜ!FOMAREです!」
と叫び、そのまま
「カーテンの隙 灯る光」
と「Lani」を歌い始めるとまたもや客席はどよめきにも似た状態に。自分がフェスなどでライブを見た時にもクライマックスで演奏されていたキラーチューンから始まるというのはそうならざるを得ないが、きっとFOMAREはこの武道館のステージで自分たちが1番最初に鳴らす曲はこの曲にすると決めていたのだと思う。まさにブチ上げるべくアマダもカマタリョウガ(ギター)も間奏ではマイクスタンドから横に離れて演奏し、オグラユウタ(ドラム)の強靭なビートがそこに疾走感を与えてくれる。体だけでなく心までも震えるような、あまりに完璧な武道館ライブのスタートとしてのカッコ良さである。
続け様に演奏された、シンプルなスリーピースバンドならではのサウンドであるがゆえに武道館の天井まで真っ直ぐに響くような「Grey」ではアマダが観客の拳を振り上げるのを煽るように叫び、
「ここをどこだと思ってんだ!」
と叫ぶ。昨今の、特に関東以外の出身の若手バンドは武道館という場所に思い入れがなかったりするバンドも多いけれど、このバンドは明らかに強い思い入れがありまくるのがもうこの段階でわかる。この世代には珍しく対バンライブにACIDMANを呼んだりしているだけに、きっと自分が観客としてこの武道館に何回も来てライブを見てきて、先輩たちがここでどんなライブをしてきたのかを知っている。その場所に今自分たちが立っているという感慨がバンドにここでしか持ち得ない魔法のような特別な力を与えているということが、もうこの数日で関東地方も春らしい気候になったけれど、冬の曲だからこそのエモーションが迸る、この曲もまた武道館に立つんなら絶対に連れてきたかったんだろうなと思う「stay with me」という初期曲からも確かに感じられるから見ていて胸や目頭が熱くなってしまうのだ。
その武道館への想いを、
「FOMAREになってから7〜8年。ずっと見てきてくれた人もいると思うし、今日初めて見てくれる人だっていると思う。初めて会った場所が日本武道館っていうのは本当に奇跡なんじゃないかと思うから、これからも何回もライブハウスで会えたらいいなと思ってます」
と、武道館がずっと見てきたバンドの一つの集大成となる場であることをわかっているからこその言葉にするとともに、それでも自分たちが帰る場所、これからも生きていく場所はライブハウスであるとも口にする。
それは
「群馬のライブハウスで何回も歌ってきた曲」
と言って、黄色みが強いオレンジ色の照明が、ちょうど18時くらいであろう今現在の外の情景もこんな感じなのだろうか、とイメージさせてくれる、オグラのリズムがセクションごとに変わっていく様に彼の、バンドの器用さを感じさせる「夕暮れ」も含めて、FOMAREの曲はライブハウスで数え切れないくらいに演奏されてきて、そうしてこの武道館のスケールに見合うように育ってきたからだ。だからか、歌い出しからアマダのボーカルは驚くくらいに伸びやかであり、このライブ、このステージにかける気合いを感じさせるとともに、どこか都会的にも感じる出で立ち(特に金髪のカマタ)であるこのバンドが
「夕暮れがきれいだな
死ぬときもこんな感じがいいな
コロッケ屋のおばちゃんが言っていた
体には気をつけなさいよって
その通りだよ
この空気が好きなんだよ 僕は」
という素朴な歌詞を歌うことによって、きっと群馬で美しい夕暮れを数え切れないくらいに見てきたんだろうなと思う。まだまだ死にたくはないけれど、死ぬ時にこんなに美しい景色が目の前に広がっていてくれたらな、とは確かに思う。季節外れではあるけれど、「秋の夜」を続けて演奏したのも「夕暮れ」と同じ情景が浮かぶような曲だからであろう。
後半にさらにブチ上げるべく「Frozen」で再び加速し、スリーピースのギターロックバンドのカッコ良さをこれでもかというくらいに感じさせてくれると、アマダがこうして武道館に立てていることの感謝を何度も何度も口にするという思いの強さを感じさせ、現在ユニバーサルスタジオジャパンのCM曲として大量オンエア中の「愛する人」へ。カマタだけではなくてオグラもコーラスを重ねるのだが、
「当たり前だった毎日がただ恋しいだけなんだ」
という、アマダが曲に入る前に口にした、この曲の最も印象的なフレーズは学生時代の最後の思い出としてUSJに行く学生の気持ちを代弁しているようでもありながら、コロナ禍になってかつてと同じように、それこそ一緒に歌ったり、体をぶつけ合ったりして楽しむことが出来なくなってしまった、ライブを愛してきた人たちの気持ちをも代弁しているかのようだ。つまりはこの曲は学生だけでなく、コロナによって生活や楽しみや生き方が変わらざるを得なかった全ての人に向けられた曲であり、だからこそCMに起用されて話題になっているのだ。そのフレーズはカマタとオグラのボーカルで歌うという形であることに、ライブを見ることによって改めて気付かされる。
そして最後に演奏されたのは、FIRST TAKEで歌ってバズった「長い髪」ではなく、同じバラードというタイプの曲でありながら、
「ねぇ 僕は生きているよ 僕は生きてるよ
僕の声は聞こえているだろ?聞いてるから今ここにいるんだろ?
いつだって歌っていたいさそりゃ
僕を待っていてくれないか 僕なりの僕で歌を歌うから」
というフレーズが、間違いなくバンドにとっての一つの到達点であるこの武道館で歌われることによって、いつかこのバンドの歌がワンマンライブとしてこの場所で歌われるんじゃないかと思える「タバコ」だった。
持ち時間的には少し長めのフェスくらい。であるならばブチ上げるタイプの曲をひたすらに連発していくセトリだって組める。でもその持ち時間の中にバラード曲を入れ、しかもそれを最後に演奏する。それはかつてフェスのオープニングアクトで出演した時のライブでアマダが
「僕らはあなたと同じように、速い曲が好きで、激しい曲が好きで、踊れる曲が好きで、歌モノやバラードも好きなバンドです」
と言っていたことを思い出させた。そうした自分たちの愛する音楽を全て自分たちの音楽として鳴らしたい。そんな想いを感じるとともに、そこに貫かれているのはメロディの良さと、カッコいいスリーピースのロックバンドであるということ。だからそうしたあらゆるタイプの曲が全てFOMAREの音楽になっている。久しぶりに見たライブはそんなFOMAREの強さと魅力を再確認させてくれるとともに、FOMAREが我々と同じように音楽を、バンドを、ライブを、武道館という場所を愛してきたバンドであり人間だということだった。
1.Lani
2.Grey
3.stay with me
4.夕暮れ
5.秋の夜
6.Frozen
7.愛する人
8.タバコ
・Hump Back
おなじみのハナレグミのSEが流れてメンバーが登場してくる時にどこか安心感のようなものすら感じられるのは、Hump Backがすでにこの武道館でワンマンを行い、それがソールドアウトしたという、この規模の会場に立つのが当たり前になったバンドがこの会場に帰ってきたからだろう。Hump Back、そのワンマン以来4ヶ月ぶりに武道館に帰還。林萌々子(ボーカル&ギター)の赤いパンツもその時同様に目を惹く。
その林がギターを爪弾きながら、
「透明な君を好きになってしまった」
という、このバンドの歌詞がどんどんこのバンドにしか歌えない情緒を獲得してきているな、と感じさせるような、即興なのかあるいは新曲の断片だったりするのかというフレーズを歌ってから、一気にギターのサウンドがソリッドに変化して「月まで」で実質的なスタートを切る。ぴか(ベース)が演奏しながらぴょんぴょん飛び跳ねて楽しさを表現する姿は変わらないけれど、美咲(ドラム)は髪が長くなってきており、それに比例してドラムの音も見るたびに力強くなっているのを感じる。
そんなバンドの武道館に対する余裕と貫禄を感じさせるのは林のボーカルが武道館の高い天井まで真っ直ぐに伸びていくように響き渡る「クジラ」であり、初めてライブを見た時の少し頼りなく感じたのがはるか昔のことのようであり、なんなら別のバンドかのようにすら感じる。この広さ、この雰囲気の中でどうやって歌い、鳴らせばしっかり響くのかということを頭でも体でもわかっているかのようなどっしりとした安心感や安定感を感じさせてくれる。
このバンドにとってのショートチューンであり、バンドを武道館でのワンマンという規模にまで引き上げた昨年リリースのアルバム「ACHATTER」の1曲目である「宣誓」では
「今日も最初で最後」
と、この日のライブタイトルを歌詞の中に入れながら、林は
「あそこの男の人、めっちゃ跳んでる!」
と、アリーナ前方真ん中あたりでぴょんぴょん飛び跳ねまくっている観客を発見して嬉しそうに指を指す。
その飛び跳ねまくっていた観客に
「最後まで飛び跳ねまくっていてくれよ」
と声をかけたMCでは、3月ということもあり、この春に卒業した人がいるかを問いかけるとたくさんの腕が上がり、改めてこの日の客層の若さがわかるのだが、
「バンドを10年やってきて、私は少年少女に向けて歌っているんだって最近わかった」
という言葉は、一聴するとそうした卒業したばかりの年齢の人に向けて音楽を鳴らしているようにも感じられるし、そうなると少年少女と言えるような年齢ではない自分のような奴に向けて音を鳴らしてないんだろうか?と思ってしまいがちなのだが、そうではなくて、そうした少年少女らしさを未だに持っているからこそこうしてライブに来ている大人に向けても歌っているということが、
「大人になるのも結構楽しいで」
と言ってから「番狂わせ」が演奏されたことによってわかるのだが、そう言ってくれる、
「泣いたり笑ったり忙しい おもろい大人になりたいわ しょうもない大人になりたいわ」
と歌ってくれるバンドがいるからこそ、自分自身が少年少女だった頃に想像していたよりも、大人になってから楽しく生きていられていると思えるのだ。きっとこれからもこの曲は、このバンドのライブは何回だってそう思わせてくれるはずだ。
「スリーコード エイトビートに乗って
僕らの歌よ どうか突き抜けておくれよ」
というフレーズがこのバンドのテーマであるかのように響く「ティーンエイジサンセット」もまた明確に少年少女に向けた曲であるが、とっくに少年少女としての感覚や、ロックによる初期衝動を通り過ぎた自分でさえもこんなにこの曲が、このバンドのライブが「カッコいいな…」と思えるということは、実際にこのバンドの音楽やライブに触れてバンドを始めるような少年少女もたくさんいるんだろうなと思う。
そんな中で林が
「ラブソング、ラブソング、ラブソングを歌う」
と何度も繰り返し口に出してから演奏された「LILLY」は
「明日が怖くなるほどに 君が君が美しかった
夜を越え 朝迎え 君に会えたらそれでいいや」
というサビのフレーズがこのバンドとしてのあまりにロックなラブソングとして響くのだが、ここまでは本当にこのバンドの持つキラーチューン中のキラーチューンの連打である。それは武道館だからこそか、あるいは林も
「ずっと一緒にライブをやってきた友達や後輩」
というこの日の出演バンドの存在あってこそか。それはどちらもあるし、どちらでもない、今この瞬間のHump Backが鳴らしたいものということだろう。
しかしそんな林は最近は悲しくなるようなニュースばかり目にしてしまい、なかなか今日どんなテンションや感情でライブをやるのか、実際に始まるまで自分でもよくわかっていなかったということを語り始める。ライブを見ている限りではそんな影響は全く感じなかったけれど、それは間違いなくロシアとウクライナの問題のことだろう。林は武道館ワンマンの時も受験生が殺傷事件を起こしたニュースについて触れていたけれど、この日はそうして断定できる事柄や国名を敢えて言わなかったのは、自分と同様にそのことを考え始めると精神が落ちてしまう人もいることをわかった上での配慮だろうけれど、
「世界を救うことはできないけれど、でもやっぱりバンドが、音楽が、ライブハウスがあることで私は救われている。Hump Backというバンドの存在に、その音楽に私自身が救われている」
とも口にした。それは我々もそうだ。そうして目にしたニュースで精神的にキツくなったり、無力さに苛まれてしまうこともあるけれど、こうしてライブに来ることによってバンドの存在が、音楽が、鳴らしている姿がそんな暗闇から引っ張り上げてくれる。目の前で音を鳴らしてくれているバンドの存在に、我々も救われているのだ。
そんな言葉の後に演奏されたのは、この日のセトリの中では最も意外な選曲だった「きれいなもの」であるが、ハッキリとその歌詞の1文字1文字が聞き取れるバラードと言っていい曲調の曲だからこそ、
「忘れないように 忘れないように
小さく強く燃え続く 月のように いのちのように」
「君の小さな小さな涙は
とにかく綺麗だったんだ」
というフレーズが、今も北の方で流れているかもしれない罪なき人々の涙を想起させる。林は
「祈ったり願ったりするのは私には合わない」
と言っていたけれど、そういう人だから祈るでも願うでもなく音楽に自分の気持ちを乗せることができるのだろう。間違いなく、今この状況で鳴らされるべき曲が最大限の説得力を持って鳴らされていた。
そんなライブの最後に演奏されたのは、性に合わなくても、やはりどこか願いを込めているかのように響く「星丘公園」。ぴかと美咲のコーラスのハーモニーもまたこの規模にしっかり見合うものになっているということを感じさせつつ、
「君が泣いた夜にロックンロールが死んでしまった」
というサビのフレーズは、いくら我々がライブを見て泣いてしまったとしても、ロックンロールは死なないなと思った。それはこんなにもたくましく我々を救ってくれる、Hump Backのようなバンドがいる限り。明日になっても忘れることがないくらいに、時間が止まればいいって思っていた。
1.月まで
2.クジラ
3.宣誓
4.番狂わせ
5.ティーンエイジサンセット
6.LILLY
7.きれいなもの
8.星丘公園
・KOTORI
場内が暗転してメンバーが登場する際のSEが1曲目のイントロでもあるというのが近年のライブのおなじみのオープニングでもある。去年は東武動物公園で主催フェスを行い、両国国技館でワンマンを行ったKOTORIが、初めて日本武道館のステージに立つ。
そのSEからそのまま曲に入るように、髪色が金になり、長さが短くなった細川千弘(ドラム)が力強くリズムを刻み始め、そこに地を這うような佐藤知己のベースラインが重なっていく。ライブが始まる直前にアジカンの「転がる岩、君に朝が降る」がBGMとして流れていたからそう思うのだろうけれど、そのリズム隊のアッパーなだけではない構築感はアジカンが「ホームタウン」で刷新したロックバンドとしての低音の響きを感じさせるし、上坂仁志のギターのフレーズもどこか「ワールド ワールド ワールド」のギターのフレーズを彷彿とさせる。それは
「音楽で大切なものを守れますように」
と逆光の照明が顔がハッキリとは見えないようにメンバーを照らすことで願うように、祈るように横山優也(ボーカル&ギター)が歌う姿がより神聖なもののように見える「We Are The Future」で、サビのタイトルフレーズで横山の声にメンバーのコーラスが重なっていくとそのフレーズに呼応するようにたくさんの観客の腕が上がり、間奏で横山は
「武道館ー!」
と叫んで両腕を上げる。その姿からは、FOMAREと同様にこのバンドもまた武道館に強い思い入れを持っているバンドであるということを感じさせる。
その横山にスポットライトが照らしながら、
「心のずっと奥の方 ずっとずっと奥の方」
と弾き語りで歌い始めてから曲に入った「ジャズマスター」と、序盤からこのバンドならではの持ち味を存分に感じさせてくれる。それはこれまでのライブでもそうした照明などの演出が曲の持つ力を最大限に引き出すようなライブの作り方をしてきたということだ。その芸術性はこの日の中ではこのバンドしか持っていないものであるが、横山は曲の入りで歌ったフレーズ部分で曲中ではマイクスタンドから離れた。それはコロナ禍になる前は観客の合唱が響いていたコーラスフレーズだからであるが、今は歌うことができなくても、なんだか自分の脳内にはそのフレーズがしっかり響いているような感覚があった。
それは「1995」と、アッパーなだけではなくても、それでも近年の曲を中心にというよりは、このバンドにとっても初の武道館でのライブというのは一つの集大成であり、だからこそ短い時間の中でも自分たちのキャリアを代表するような曲を演奏するライブであることがわかる選曲であることも含めて、すでにこの時点でKOTORIの鳴らしている音が武道館を掌握している感すらあったのだが、それは個人的に「細川のドラムが武道館で響いている…」という感慨を感じさせるくらいに、KOTORIに入る前にやっていたShout it outでは届かなかった場所にこのバンドで立っていて、そこで加入前から生まれていたアッパーな曲にさらにロックバンドとしての衝動と情熱を与えて牽引するような、ドラムセット自体はシンプルであるが、もはや両腕、両足(細川はよく足を上げながらドラムを叩くことがある)をはじめとした体全体も含めてドラムセットなんじゃないかと思うくらいに体がドラムと連動しているし、強靭でありながらしなやかなビートが否が応でも体を揺さぶってくるからこそ感じられるものだろう。
「僕ら、またワンマンでここに戻ってこれるような最高のライブをします!もう戻って来れないかもしれないけれど(笑)」
という横山の挨拶的なMCは
「武道館に飲まれている(笑)」
と、聞いていた佐藤が大笑いするくらいに客席からのリアクションが薄かったのだが、上坂がどんどんステージ端の方まで移動して深く体を沈めながら演奏するくらいに気持ちがこもった「トーキョーナイトダイブ」は東京の象徴とも言えるようなこの武道館で鳴らされるために生まれた曲であるかのように、我々を音の中に飛び込ませてくれる。その姿を見て、こんなにもKOTORIが武道館に似合う存在だったのかと思ったし、それはこのバンドが武道館に憧れてきたバンドだからだろう。
するとゆったりとしたビートによってFOMAREと同じように長閑な夕方の風景を想起させる「RED」は曲が進むにつれて一気にスピードを増していき、そこに宿る衝動を真っ赤にステージを照らす照明がさらに増幅している。もはや細川のドラムは鬼神のごときオーラを放ってバンドを支配、牽引しているとすら思えるほど。というかこうしたリズムが速く、強くなっていくような展開の曲ほど細川のドラマーとしての凄まじさをより発揮できる曲だと言えるだろう。
そして横山が
「ついにこの瞬間が来た!」
と言って始まったのは、明らかにテンポが速くなりまくり、音量も爆音になるという、全ての持てる力を音に注ぎ込んだかのような「素晴らしい世界」であり、間奏で横山も
「僕らの音楽が武道館で鳴ってるって本当に信じられないし、とんでもないことですわ!」
と叫ぶ。上坂は思いっきりギターを掻き鳴らし、常にメンバーの方を向いた、ミスター冷静と言えるような佐藤すらもステージ前に歩み出て客席の方を指差していた。それくらいにバンド全員が自分たちの持てる力をはるかに超えたライブをやれていることをわかっていたのだろう。MCで「武道館に飲まれている」と言っていたばかりのバンドが、自分たちの音で武道館を飲み込んだ瞬間であり、よく「武道館には魔物がいる」とも言うけれど、その武道館の魔物すらもKOTORIというバンドに飲み込まれていたかのようだった。この凄まじさはビールでも飲んで忘れようとしても絶対に忘れることはできない、気付いた時には終わっている最高な時であり、そうでないことがたくさんある世の中であることはわかっているけれど、この瞬間だけは涙が止まらないくらいに素晴らしい世界だった。憧れとはこんなにもバンドに力を与えてくれるものなのかと。
そのまま細川が激しくドラムを連打する「羽」と、きっとKOTORIもFOMAREと同様に「自分たちが武道館でライブをやる時にはこの曲をやる」というのを決めていたんだろうなと思えるセトリ。それはワンマンではない持ち時間だからこそ、緩急をつけるというよりもひたすらにバンドの持つエモーションを炸裂させる、この日の他のバンドたちと共に居並んでもロックさ、パンクさによってKOTORIがカッコいいロックバンドであることを存分に感じさせてくれる流れだ。
そして最後は薄っすらとした光に包まれる神聖な雰囲気の中で轟音ギターサウンドとともに深くリヴァーブがかかった横山のボーカルが響き渡る「YELLOW」で、歌詞にそのフレーズが登場すると照明も黄色に切り替わる。その色の移り変わりはそうしたタイトルを冠した曲を作ってきて、それに見合う演出のライブをやってきたKOTORIだからこそできることであるが、アウトロでは横山がギターを床に置いて、メンバー全員で向かい合って、横山が腕を振り上げることによってキメを打つ。そのあまりに完璧なエンディングも含めて、このライブへの絶大な手応えを感じたのであろう横山はステージから去る際にガッツポーズを繰り返していた。その姿がどこか微笑ましく感じるのもまた横山らしいとも言えるのだけれど、きっとずっとKOTORIを追いかけてきた人たちもそうしてガッツポーズをしたくなっただろうな、と思うくらいに改心のライブだった。
あらゆる形態の中でロックバンドのライブが1番好きなのは、「こういうライブになるだろう」という予想やイメージを遥かに上回るような瞬間を見せてくれるのが、自分たちで音を鳴らしているロックバンドのライブだからだ。
この日のKOTORIの初の武道館でのライブはまさにそんな、メンバーもファンも予想したり期待していたものを遥かに超えるような瞬間であったし、これまで数え切れないくらいに(おそらく100回は確実に超えている)忘れられないような素晴らしいライブを見てきた武道館でのライブの中でもトップクラスに素晴らしいライブだった。
だからこそKOTORIにはまた武道館に、今度はワンマンで立って欲しい。この日のKOTORIの武道館を塗り替えることができるのは、ここでワンマンをやる時だけだろうから。きっとこの日このライブを目撃した人は全員その機会には足を運んでくれるだろうし、この規模の会場や、今の規模よりももっと大きな会場やフェスのステージに立つべきバンドだ。そう思うくらいに、この日のこのイベントはKOTORIというバンドの凄まじさを示すためにあったのかもしれない。
1.We Are The Future
2.ジャズマスター
3.1995
4.トーキョーナイトダイブ
5.RED
6.素晴らしい世界
7.羽
8.YELLOW
・ハルカミライ
そんな凄まじかったKOTORIのライブの後に流れていたBGMがcinema staffの「KARAKURI in the skywalkers」から新世界リチウムの「喝采」へと変わると、先にステージには小松謙太(ドラム)、須藤俊(ベース)、関大地(ギター)の3人が先にステージに登場。この日のトリは昨年にはこの武道館のキャパをはるかに上回る幕張メッセ9〜11ホールでもワンマンを行った、ハルカミライである。
3人がドラムセットの前に集まって気合いを入れると、橋本学(ボーカル)は巨大なフラッグを抱えてステージに登場。そこにはこのイベントのトリを務めるバンドとしての背負っている物の責任や誇りを感じさせるのだが、その際にフラッグを引っ掛けて関のマイクスタンドを倒してしまうというのもご愛嬌というか、実にハルカミライらしいというか。
橋本がそのフラッグをマイクスタンドに持ち替えると、真っ白な光の照明が4人を照らしながら、
「ただ僕は正体を確実を知りたいんだ」
と声を揃えて「PEAK'D YELLOW」を歌い始め、小松のビートが一気に疾走し始め、客席では無数の腕が上がる。そのオープニングはタイトル的に先ほどのKOTORIの「YELLOW」へのアンサーとも取れなくもないが、橋本が日本国旗の真下で
「日本武道館!」
と叫ぶ姿を見て、本当に日本人で良かったと思えた。今や世界ではロックバンドがいなくなってきていて…という言説もよく耳にするけれど、日本にはこんなにカッコよくて頼もしいロックバンドがいてくれるのだから。
そこからは「君にしか」からのおなじみの流れと言えるものへと突入していくのだが、この武道館という場所でのこの
「目の前に何人いようが君の目を見ていたいの」
というフレーズの破壊力は、やっぱりハルカミライは自分のために歌ってくれていると思う。きっとみんな腕を上げながらマスクの奥で声を出すことなく歌っていたんじゃないかと思う。
それが「カントリーロード」へと繋がるのもハルカミライのライブの冒頭のおなじみの流れであるが、橋本のサビでのファルセットも含めた歌唱の素晴らしさ、声量の大きさが武道館の隅から隅まで響く。それは早くもTシャツを脱ぎ捨てて上半身裸になった橋本が
「武道館、めちゃくちゃ似合ってるんじゃないのかー!」
と言うくらいに自分たちも自信を持っているということだろうけれど、関はいつものようにステージ端のスピーカーの上によじ登ってギターを弾くと、間奏で
橋本「さっきHump Backの萌々ちゃん(林)が「私たちだけ武道館2回目」って言ってたけど、俺たちも2回目です、すいません!」
須藤「きっと萌々ちゃんはワンマンで武道館やんないと認めないっていうタイプだよね。ああいう人と結婚したいよね(笑)」
橋本「萌々ちゃんと結婚したいの!?(笑)」
という驚きの告白から、関がスピーカーから飛び降りて、橋本が脱いだTシャツの上に着地して滑りながらもギターを弾いて最後のサビへと突入していき、
「抱きしめてくれ 歓びの歌」
という締めのフレーズが一層伸びやかに、まさに自分のことを、ここにいる一人一人を抱きしめるように響き渡る。
「今日も余裕で最高だぜ!」
という橋本の言葉を示すかのように。
するとこの日は珍しく須藤がちゃんとベースを弾くという形で演奏されたショートチューン「ファイト!!」では関はステージ上でスライディングをかまし、橋本はここがライブ以外には柔道などの大会で使われている武道館のステージだからか、ステージ上で受け身を取るかのように転げ回る姿が、コロナ禍で我々観客側はまだいろんな制限を守らなくてはいけないけれど、ハルカミライのライブには全く制限がないということを示すかのように暴れ回っている。
ハルカミライは例えばKOTORIの細川のような、一見してとんでもない演奏技術を持ったメンバーがいるようなバンドではないけれど、それでも「俺達が呼んでいる」でのドカドカとした爆音のパンクサウンドにはこの4人で鳴らしているという人間性が強く表れている。誰でもできそうに見えて絶対に他の人が真似してもこうはならないというか。それは技巧を尽くした音楽よりもはるかに難しいことだと自分は思っている。
「一つになろうなんて全く思わない。でもここにいるみんなが同じ一つの音楽、一つの曲を歌うのは素晴らしいことだと思う!」
と橋本は自身のライブの在り方について口にしてから「Tough to be a Hugh」のサビをアカペラで歌うのだが、須藤が
「口は閉じたままで歌ってね」
とフォローするこのご時世の中だからこその優しさもまたハルカミライらしいものだ。めちゃくちゃやること、やりたいようにやることが誰かの不安や迷惑につながってしまったら意味がないことをわかっているというか。それは
「高いスポーツカーを買ってぶっ飛ばすようにスピード出すんじゃなくて、車が傷つかないように法定速度をちゃんと守って運転するのが俺なりのパンク」
というインタビューでのパンク観に対する発言と一致している。
そんなハルカミライならではの優しさとパンクさをメロディと歌詞で感じさせてくれる「世界を終わらせて」では橋本がやはりサビのフレーズを先にアカペラで歌い(その間に小松も上半身裸になるのもおなじみ)、
「歌が上手いとめちゃくちゃ気持ちいいぜ!」
と叫ぶ。パンクバンドでそう言うバンドも、そう感じるバンドもなかなかいない。歌唱力や演奏力よりもとにかく衝動、スピードというのがパンクという音楽だし、ハルカミライはそれも確かに持っているけれど、その歌唱力があるからこそこんなに広い会場でたくさんの人に届くパンクになったとも言えるはずだ。
ハルカミライのライブは30曲くらい演奏するようなワンマンでも本当に体感としては一瞬で終わってしまうと感じるものであり、だからこそこの日も早くもクライマックスへ来ているんだな、とわかるのが「僕らは街を光らせた」であり、前半はステージ上で暴れ回るようにして演奏していたメンバーたちが顔を見合わせて、音と呼吸を合わせるように、でも丁寧にというよりはあくまでパンクバンドとして力強く大胆に音を鳴らす。
「地獄の果てを
音楽の果てを
この歌の果てを
歓声の果てを」
という1サビの歌詞が2サビでは
「希望の果てを
音楽の果てを
この歌の果てを
歓声の果てを」
という歌詞に変わる。ハルカミライは直接的に社会の出来事に言及するようなことはしないけれど、この日演奏されたこの曲からはたしかに「地獄」が「希望」に変わるような日まで、
「俺たち強く生きていかなきゃね」
と願いを込めて歌っているかのようだった。
そしてこれまでも何度も何度もライブのクライマックスを描いてきた「アストロビスタ」では橋本が
「眠れない夜に私 ブルーハーツを聴くのさ」
と歌い始めると、
「みんなは何を聴く?」
と問いかけてから、
「独り占め出来るドキドキがあるんだ」
と歌を続ける。もちろんここにいた人たちが眠れない夜に1人で聴くのはハルカミライだろう。それはあんなに凄まじかったKOTORIのライブの後を担えるのはやっぱりハルカミライしかいない、と思うくらいに見ている我々の心を燃え上がらせ、拳を振り上げさせてくれるからだ。ライブではおなじみの「宇宙飛行士」のフレーズも入れながら、
「元気をくれて、力をくれて、本当にありがとうね」
と最後に加える。元気や力を貰っているのは間違いなく、元気や力に満ち溢れたライブを見ているこちらの方なのだが、そのハルカミライの元気や力の源泉に我々の存在があるんだとしたら、こんなに嬉しいことはない。一方通行でも与えられるだけでもなくて、お互いに力や元気を与えあってライブをやっていて、こうしてこの状況の世の中でも生きる力になっている。ハルカミライがこんなに凄いバンドであるという理由の土台に我々の存在がある。その事実がより一層、ハルカミライを聴いて、ライブを見て無敵になれるような気にさせてくれる。だからどんなライブだろうと何回だって見たくなるんだ。
そんなライブの最後に演奏されたのは、昨年リリースされた「ドーナツ船 ep」に収録された「ベターハーフ」。この曲以外はこれまでのライブでもおなじみの曲ばかりだっただけに、この曲が演奏されたことで、改めてニューアルバム「ニューマニア」の発売日が数日後に迫っていることに気付いた。激しさというよりは徹底的にメロディの強さを追求したこの曲はこれからもきっとこうして大事なライブの大事な場面で演奏される曲になるだろうな、とも思いながら、
「振り向いて車窓から
見える東京タワーってさ
小さいんだね
私たちおもちゃ箱で
遊んでたみたい」
というフレーズはこの武道館に来るまでの景色を歌っているかのようにすら感じた。それは東京タワーが、スカイツリーができた今も東京の代名詞であり続けているように、どんなに新しい会場ができたとしても、この日本武道館もまたロックバンドにとっての東京の代名詞であり続けているから。
「僕の心ずっとさらわれたままだから」
という締めのフレーズは、自分の心がこのバンドにさらわれたままなんだよな、と思わずにはいられなかった。もうとっくにこのキャパを飛び越えていると言ってもいいバンドだけれど、やっぱりいつかこの武道館でワンマンを見てみたいと思った。それくらいに、やっぱりこの4組での武道館ライブの最後を担えるバンドはハルカミライだったのだ。
1.PEAK'D YELLOW
2.君にしか
3.カントリーロード
4.ファイト!!
5.俺達が呼んでいる
6.Tough to be a Hugh
7.世界を終わらせて
8.僕らは街を光らせた
9.アストロビスタ
10.ベターハーフ
演奏後、アンコールはなかったけれど、その代わりにJMSのスタッフが司会となって、出演者全員での写真撮影。出演順にバンドを呼び込んでいるのに毎回ハルカミライの小松が出てこようとするのには笑ってしまうとともに、1人だけ撮影寸前まで出てこなかったHump Backの美咲は、チャットモンチーのラストライブでチャットモンチーのドラムを叩いた時に林とぴかが号泣していたのに本人が「なんで2人とも泣いてるの?」と言い放ったのを思い出させるくらいの大物っぷりを発揮していた。ハルカミライのアンコール聴きたかったっていうのもあるけれど。
この日、4組のライブを見ていて、自分が10代になったような気分だった。それくらいに、武道館でロックバンドのライブを観るということがどれだけ特別であるかということを、まだ武道館に慣れていなかった時のような新鮮な気持ちで見ては、そこに迸るそれぞれのバンドの思いや音に熱狂し、感動していたから。
でも「10代に戻った」っていう感じじゃない。それは自分が10代だった2000年代後半じゃなくて、この4バンドは2020年代の今を若者として生きていて、同じようにたくさんの観客が2020年代の今を若者としてこのバンドたちと生きているから。
そんな初期衝動が今でも自分の中からなくなっていないと感じさせてくれるバンドたちがちゃんといる。この2022年の3月4日のライブ自体は最初で最後だけれど、そのバンドたちが武道館でライブをやるのが最後ではありませんように。そしていつかこの4バンドがそれぞれ武道館でワンマンをやった後にまたこうやって集まってライブがやれますように。そんな最高な時がまた訪れるまで、俺たち強く生きてかなきゃね。
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