マカロニえんぴつ 「マカロックツアーvol.13 〜あっという間の10周年☆変わらずあなたと鳴らし廻り!篇〜」 @日本武道館 2/16
- 2022/02/17
- 21:19
世間的に見たら「なんでもないよ、」や「恋人ごっこ」でヒットして出てきた若手バンドという認識かもしれないが、すでにマカロニえんぴつは結成してから10年も経過している経験を持つバンドである。
そんな10年間の中ですでに昨年には横浜アリーナでワンマンも行っているだけに、今回の10周年ツアーが日本武道館2daysから始まるというのもどこか納得がいくというか、終着地点としての武道館ではなく、ここから始まるという意味での武道館ということである。この日は2daysの2日目。
検温と消毒と接触アプリの確認を経て武道館の中に入ると、ソールドアウトの座席はフルキャパとなっている。確かにこの状況ゆえに来れなくなったという人もいるかもしれないが、このスタンドの真横から最上段までしっかり埋まりきっているというのが今のバンドの状況を示していると言っていいだろう。
開演前にはユニコーンなどのメンバーのルーツである音楽が流れながら、18時30分を少し過ぎたところで場内がいきなり暗転。どんなライブでも思うが、これで少し声が上がってしまうのは仕方がないと言ってもいいくらいにやっぱりこうして急に暗くなると驚く。
するとおなじみのビートルズ「Hey Bulldog」が流れてメンバーが登場。1番最初に現れた田辺由明(ギター)は客席に向かってタオルを掲げ、長谷川大喜(キーボード)は笑顔で頭を下げ、高野賢也(ベース)も田辺同様にタオルを掲げてからそれぞれが楽器を抱えると、はっとり(ボーカル&ギター)が最後にステージに登場して一際大きい拍手が起こる。ドラムはおなじみのサポートメンバーであり、メンバーの大学の後輩でもある高浦"suzy"充孝である。
すでに前日もこの武道館でワンマンを行っており、2daysの2日目とはいえ、この日が初めて観るマカロニえんぴつの武道館である身からすると、武道館の1曲目にどの曲を選ぶのか?というのは非常に大きなポイントだ。ある意味ではその1曲目の選曲によってこの武道館でのライブをどんなものにしようとしているのかがわかるからだ。
そんな1曲目にインディーズ期の代表曲の一つと言っていい「鳴らせ」を選んだというのは武道館でのライブで、さらにはバンドの10周年のライブで
「鳴らせ響くまで
ここにいるって
ちゃんとここにいるってさ 叫ぶんだ
ダメならとばせ
とばしていいんだ
ずっと同じ歌うたってていいんだ」
というフレーズの通りにマカロニえんぴつというロックバンドの存在証明をしに来たということだ。高い武道館の天井まで届くくらいに伸びやかなバンドのサウンドとはっとりのボーカルは、もしかしたらこの曲が生まれた時にすでにこうしてこの場所でこの曲を鳴らすイメージがあったんじゃないかと思ってしまうほどだ。
「よろしくお願いします!」
とはっとりが挨拶すると、長谷川の流麗なピアノのメロディが奏でられるとともに、ステージ前に置かれたミラーボールが輝き、田辺と高野が手を高く挙げて手拍子をすると、観客もその姿に合わせて手拍子をする「レモンパイ」で、タイトルに合わせた黄色い照明がミラーボールに反射することによってまさにレモンが輝いているような光に武道館が包まれていく。自分は下手側の真横のスタンドから見ていたので、高浦の姿がスピーカーに被って全く見えなかったのだが、その分1番近い立ち位置の高野が手拍子をしているこちらに向かって親指を突き出してくれる。それは一際高く腕を上げて手拍子をしていた自分に向けられていたんじゃないかと思うくらいに完全に目が合っていたけれど、きっと周りの人もみんなそう思っていたはずだ。
すでにいろんなメディアにも出演しているために話題にもなっているが、バンドは先月にフルアルバム「ハッピーエンドへの期待は」をリリースしたばかりということで、10周年ツアーでありながらもそのアルバムのレコ発ツアーという側面も持っているであろう今回のツアーで、1番最初に演奏されたアルバム収録曲は意外にも「トマソン」であった。
メンバーの背面にはポップなタッチで風景を描いたアニメーションが流れているのだが、それがいきなりレゲエ的なサウンドになるという急展開を、あくまでポップなものとして成り立たせているこの曲に実に良く似合っている。そんな曲でも田辺はフライングVでハードロック由来のサウンドを鳴らしているというのも、それぞれが好きなもの、やりたいことを全て融合させているという感じで実に痛快であるが(作曲は高野)、このタイトルの「トマソン」は1981年〜1982年に読売ジャイアンツに在籍していた、ゲーリー・トマソンという選手が高い期待に見合う活躍を出来なかったことから「トマ損」と言われたりして、「不必要なもの」の代名詞として「トマソン」が定着してしまったのだが、阪神タイガース時代の今岡誠が自身の少年時代のヒーローであるはっとりはリアルタイムでトマソンがプレーしていたことは知らなくても、その選手の名前やエピソードは知っていて使っているのだろう。(自分もトマソン在籍時はまだ生まれてないからリアルタイムでは知らないけど)
前述の通りにマカロニえんぴつはすでに昨年5月に横浜アリーナでワンマンを行っているのだが、その際には特大のタイアップがついていて、かつリリース直後というタイミングでもあったためにアンコールで演奏していた「はしりがき」が早くもこの序盤で演奏されるようになっている。確かに疾走感溢れるバンドサウンドは前半で一気にライブに勢いを与えてくれるとはいえ、こんなにあっさりと演奏されるというのは驚きである。
年末から年始にかけてもバンドはいろんなフェスやイベントなどに出演しまくってきたが、その前に行われていたホールツアーでははっとりの喉の調子があんまり良くなくて観客に心配された、ということをインタビューでも語っていたが、この日は喉は全く問題ないくらいに武道館に見合う歌声を響かせている、というかホールツアーに行けなかった身としてはそうした喉の調子が悪かったというのが俄かに想像できない感すらある。それくらいに自分が見てきたライブでは調子が悪いなんて感じたことが一度もなかったからだ。
「今日は歴史的な日になります。というか、これが歴史です!」
というはっとりの挨拶は紛れもなくOasisが1996年にネブワースで行った、25万人を動員したと言われているライブでノエル・ギャラガーが放った「This is history!」という言葉へのオマージュであろう。そうした先人たちへのリスペクトはマカロニえんぴつの音楽にもしっかり現れている。
するとメンバーの背面はスクリーンから巨大なバルーンアートへと切り替わるのであるが、そのバルーンアートに照明が当たってきらめく中で長谷川のピアノとはっとりのボーカルのみによって始まり、そこに削ぎ落とされまくったメンバーそれぞれのサウンドとコーラスが重なっていくのは大ヒットを記録した「なんでもないよ、」なのだが、まさかこの曲もこんなに序盤で演奏されるとは。
「君といるときの僕が好きだ」
という最後のフレーズをはっとりが歌う時にはその歌だけになり、はっとりにピンスポットが当たる。その瞬間、この歌詞は1対1のラブソングではなくて、マカロニえんぴつというバンドと我々観客、ファンとのラブソングになる。こうして目の前にいてくれるから、ロックバンドでいることができていると。そしてそれはバンドからの一方的な愛ではなくて、この曲がすでに特別なものになっている我々からバンドへの愛でもあるという、双方向のものになっている。そこにこそマカロニえんぴつのラブソングがこんなにも愛されている理由があると確かに思えた瞬間だった。たくさんのアーティストが出演するフェスやイベントではなく、ここにいる全員がマカロニえんぴつを見たいというだけで集まっているワンマンで鳴らされたからこそ。
それはアルバムに収録された、ロックなギターリフがサビで響く新曲の「好きだった (はずだった)」の
「好きなんだ 好きなんだ あなたとのあたし
好きなんだ 好きなんだ あなたが思うよりもずっと」
というフレーズも同様であり、やはりこうしてライブで聴くことによって歌詞の対象に自分も含まれているかのような主体性を感じるのは、ひたすらにライブをしまくって生きてきたマカロニえんぴつというバンドが、今目の前にいる人に、我々に語りかけるように歌い、演奏しているからだ。はっとりは少し歌詞が飛んでいた部分もあったけれど、2日目とはいえやはり武道館ならではの緊張感のようなものを感じていたのだろうか。
さらには最近のフェスやイベントなどでも最後を担う曲でもある「ヤングアダルト」までもがこの前半で早くも演奏されるという、「これ後半どうするの?」とすら思ってしまうくらいのキラーチューンの連打に次ぐ連打っぷり。
「でもさ」
などのフレーズをまさに我々観客に向かって語りかけるように強調してはっとりが歌うのもライブだからこそであるが、
「夜を越えるための唄が死なないように
手首からもう涙が溢れないように
無駄な話をしよう 果てるまで呑もう
僕らは美しい
明日もヒトでいれるために愛を集めてる」
というフレーズの持つ力はリリース前よりも今の方が圧倒的に強くなった。それは唄が、音楽が殺されそうになってしまうような瞬間をこの2年弱の間に何回も経験してきてしまったからだし、はっとりもそんな状況に唄への、音楽への愛を溢れる言葉で必死に抗ってきた。そうした日々の感情がこの曲には確かに刻まれているし、やはりそうした不安な夜を越えるためにこそ音楽はあると思っている。そうした夜を越えてこの日こうして集まることができている。まだ前半だけれども、やはりこの曲は演奏されるとその時点でのクライマックスを描いてしまう。この日もそれを確かに感じていた。それくらいに名曲だということだ。
さらにさらに、田辺と高野という低めのコーラスを担当する2人が、
「ひー、ふー、みー、よっ」
とカウントし、長谷川があのイントロのシンセのフレーズを奏でて始まったのは「恋人ごっこ」。いくら10周年ツアーの武道館ワンマンとはいえ、なんなんだこの曲順は。フェスでやるにしてもあまりに強すぎる曲をワンマンの前半でこんなにも連発している。それはそうしたセトリを組めるくらいに、この曲たちを更新できる曲をこの後にちゃんと用意してあるということも意味しているが、改めてこんなにも連打されると、ここ数年のマカロニえんぴつのソングライティングの凄まじさに圧倒されてしまう。もちろん
「もう一度あなたと居られるのなら
きっともっともっとちゃんと
ちゃんと愛を伝える」
というフレーズからのバンドの演奏のテンションとはっとりの歌唱の高まりっぷりは、この曲をこうしてこの場所で聴くことができて本当に幸せであると思えた瞬間だった。
すると一度メンバーたちがステージから捌けて、アコギを持ったはっとりにピンスポットが当たり、弾き語りで演奏されたのは、アルバムにもこの形で収録された「キスをしよう」。
何ならはっとりのソロでリリースしてもおかしくないというか、本来ならそうすべき曲をバンド名義で収録して、ライブでもはっとりの弾き語りで演奏している。「なんでもないよ、」の削ぎ落としたサウンドに関してもメンバー(特に田辺と高野)は
「曲が1番良い形になれば自分が演奏しなくてもいい」
的なことを語っていたが、この曲はその極地だ。弾き語りすらも許してしまうメンバーの度量の広さは本当に凄いと思うけれど、それをあくまで「マカロニえんぴつの音楽」として世に送り出したということは4人のその意識が全くブレていないことの証明でもあるし、すでに何でもバンドでやっているマカロニえんぴつがこれから先にもっとなんだってできるということだ。はっとりは2コーラス目で歌詞を間違えてすぐさま歌い直したが、曲を最初からやり直すでも一旦止めるでもなくすぐに歌い直せるのは弾き語りならではであると言える。
その歌詞を間違えたことを、
「甲子園と武道館には魔物がいるね!歌詞間違えたことないのにね!」
と口にすると、ステージに戻ってきた長谷川は
「え?(笑)」
と、あたかも「よく間違えてますけど?」というようなリアクションを取るのが実に長谷川らしい素直さを示している。
するとライブ開始時から、「これはどのタイミングで使うんだろう?」と思っていた、明らかにストリングス隊が座って演奏するための椅子が高浦のドラムセットの両サイドに移動されると、総勢8名のストリングス隊、はっとり命名の
「SSFM(ストレンジ・ストリングス・フォー・マカロック)」
の皆さんがステージに登場。全員白シャツということでステージの見た目も爽やかになるのだが、この椅子を見た際に自分は「恋人ごっこ」あたりの曲でストリングス入れるんだろうなぁ。なんならイントロとか絶対ストリングスで演奏するような曲だもんなぁ。と思っていたのだが、すでにその「恋人ごっこ」は演奏されているために、自分の予想はあっけなく外れたことになる。というかバンド側の「そんな予想通りなことはやりません」という術中に見事にハメられてしまったかのようだ。
そのストリングスを入れた編成で最初に演奏されたのは「春の嵐」なのだが、この形で演奏されることによって、そのストリングスのサウンドも、アウトロのはっとりのギターも完全にOasis「Whatever」のオマージュであることが実に良くわかる。壮大な種明かしを武道館で味あわされているかのようでもあるし、マカロニえんぴつがどんなに突飛なアレンジをしてもそのメロディのキャッチーさが揺らぐことがないのはそのOasisからの影響が大きいんじゃないかと思う。
イントロで高浦のドラムのみになるフレーズから、バンドの彼への信頼が感じられる「メレンゲ」もまた、こうしてストリングスのサウンドが加わることによって、「ああ、わかる!」と思わされてしまう。それくらい似合うというか、スクリーンに雪山の映像が映し出されたのも含めて、日本の冬の名曲J-POPを彷彿とさせるようなサウンドになっている。特に
「もう空は飛べない 独りでは
また僕を好きになりたい 生まれ変わったりする以外で」
という最後のサビに至るフレーズのはっとりの声とストリングスの重なりっぷりは、この曲が吹奏楽団やオーケストラにカバーされるような光景まで想像させた。まだ関東にも雪が降ったりするような時期だからこそ、よりこの曲のこのアレンジが今のためのものとして聴こえたのだ。
そしてストリングス隊の背後からも小さなたくさんの照明がメンバーを照らした、はっとりがサビをアカペラで歌ってからバンドとストリングスの音が加わるという形で始まった「青春と一瞬」。このストリングス隊が加わっての演奏中は観客はみんな座って聴いていたのだが、そうして意識を集中することによってよりこの曲の壮大なメロディを改めて感じることができる。やはりこの曲でも
「染まりたいね
使い切っていたい 黄金の色に咲く春
よだれまみれ 出来心の恋も剥き出しで」
というCメロでのストリングスの重なり方が実に素晴らしいのだが、それに続く
「誰にも僕らのすばらしい日々は奪えない」
というフレーズを今聴くことの説得力たるや。こうしたライブという素晴らしい日々や時間だって誰にも奪えないというか、奪わせたくない。そう強く思える一瞬が目の前に広がっているからだ。いつでも僕らに時間が少し足りないのは、見たくても追い切れないくらいにマカロニえんぴつがあらゆる地方に行ってライブをやりまくっているからだ。
そうして座席に座ってライブを見ているからこそ、メンバーやストリングス隊だけではなくて、ステージ袖でライブを見ているローディーなどのスタッフの姿までもよく見えた。我々が座っていることからもわかる通りに、決して体を動かしたりする曲でもないし、ストリングスが入ったアレンジではよりそういうものではなくなっている。
それでもサウンドやリズムに合わせて体を揺らしているスタッフたちの姿を見て、メジャーデビューまでにかなり慎重に決断してきたバンドがしてきた選択肢が間違ってなかったというか、今、本当にマカロニえんぴつの音楽を愛してくれている人たちとチームが組めているんだなと思った。というか、そういう人じゃないとこのバンドとは一緒に仕事が出来ないのだろう。それくらいに音楽への愛が原動力になってここまでの存在になったバンドだから。
SSFMの方々がステージから去ると、
はっとり「良く言われるクソMCの時間です!(笑)」
と、自分たちのMCの評判が良くないことを自虐的に紹介してからMCに入るという、実にやりにくそうな入り方をするのだが、それでもこの日のMCらしいMCはここが初。それくらいに次々に名曲を連打してきたライブだったということである。
10周年ツアーらしく、MCの内容はメンバーそれぞれが10年間の印象的なことを振り返るというものなのだが、
田辺「昔、福岡でライブがあった時に、当時まだローディーさんもいなくて、スペアのギターがバンド内で1本しかないのに、最後の曲の前で俺のギターとはっとりのギターが弦が同時に切れて。スペア使おうと思ったんだけど、はっとりも弦が切れてたからすぐに裏で張り替えようと思って。
その時にはっとりが俺のアンプにギター繋いで、俺が戻ってくるまでMCで繋いでくれるのかと思ったら、張り替えてる間に最後の曲のイントロが始まってて(笑)あれ〜?って(笑)
見てた対バンの人も爆笑していたんだけど、その人たちがギター貸してくれよっていう(笑)で、急いで弦を張り替えてステージに戻ったら、はっとりの持ってるギターが俺のアンプに刺さってるから、張り替えたのにギターを刺すアンプがなくて、ずっと弾いてるフリしてた(笑)」
長谷川「まだお客さんが10人くらいしかいなかった頃に、当時周りのバンドが結構盛り上げるのが上手いバンドの中で、僕らは淡々と演奏する、っていうタイプだったんだけど、ある時急にはっとりくんが変なダンスをお客さんに踊らせて(笑)
廃盤になったCDに入ってた曲で、全英語歌詞の曲で、「男女平等ダンス」って名付けてたんだけど、ライブのブッカーの人は結構ノリノリでやってくれていたんだけど、お客さんは明らかに戸惑ってて(笑)
そしたらはっとりくんが
「あなたも!あなたも!」
みたいな感じで無理矢理踊らせ始めて(笑)しかも本人は途中で飽きたのか、違う踊りをしてるっていう(笑)あの時のお客さんはかわいそうだったなぁ(笑)」
高野「その自主制作のCDを作ってた頃って、俺がジャケット画像印刷して、CD焼いたりしていて。ライブ前日の夜にはっとりから
「ジャケットのデザインできたから送る!」
って言われて(笑)そこから徹夜で印刷したりして(笑)
そういうスタッフ業務をやったりしていたから、ライブに物販で売るCDとかを持ってきてるのに、ベースを家に忘れてくることもあったりした(笑)」
という、それぞれがはっとりの暴君エピソードを開陳することになり、はっとりも
「俺の株下げようとしてる?(笑)」
と訝しんでしまうほど。そうしたあらゆる経験や思い出を今でも鮮明に覚えているというのが、この10年間が良いものだったと思えることであるのだが、そんな暴君はっとりは自身をロックスターと称しながら、
「俺は今日、今この瞬間が1番忘れられない記憶になってます!」
と、ロックスターとしてそれらしく締めると、
「アルバムには明らかにやりすぎな曲があって(笑)アルバムの中でもライブでセトリを組んでも、その曲が入ると流れがぶっ壊れるんで、今日はやらずに次のツアーで…」
と話す横で頭にタオルを巻き、より巨大なタオルを横で振ろうとしている田辺。その問題作的な曲は熱波師検定も合格しているほどのサウナラヴァーな彼が作曲した「TONTTU」であり、まさにサウナの中にいるかの如くに大量のスモークが焚かれる中で、田辺が大好きなマイケル・シェンカーグループなり、モトリー・クルーなりが武道館にやってきたのかと思ってしまうような、メンバーが金の長髪のカツラを被って革ジャンを着用するという、形から入るハードロックバンドさを出しながらも、サウンドも田辺の趣向全開でハードロックでしかない。
そもそも現在のメジャーシーンどころか、ロックシーンにもこんなにハードロックなサウンドのギターを鳴らすバンドはいない。というかもはややる必要がないくらいのものになりつつある。
でもそのサウンドが大好きで、それによって音楽に、ロックに目覚めた。自分が田辺のギターや彼の人格が好きなのはそうした思いが溢れまくっていて、それを自身が作る曲に込めているから。それがマカロニえんぴつというバンドを最もロックバンドたらしめている要素だとも思っているし、その曲を他のメンバーが「マカロニえんぴつの音楽」として成立させてくれる。だから一緒にカツラも被るし、ステージから炎が噴き出すという実にハードロックバンドらしい演出だって一緒にやってくれる。(スクリーンには田辺の熱波師としての姿も映し出される)
そうした全てが、マカロニえんぴつというバンドを本当に良いバンドだなと思わせてくれる。まさかのセリフというか小芝居的なパートすらある曲であり、TONTTUと会話する主人公=田辺、吹き飛ばされるやつら=はっとり&高野、常連客=長谷川という配役であることもライブでその小芝居がそのまま展開されることによってわかるのだが、単なる飛び道具的な曲という以上に、アルバムの中で重要な位置を占めている曲だと思う。個人的にもライブで最も楽しみにしていた曲と言えるかもしれない。
そんな演出盛りまくりの曲の後なだけに、カツラや革ジャンを脱いだりした後に「ワルツのレター」が演奏されるのだが、この曲に申し訳ないくらいに火柱の火薬の匂いばかりが鼻に残るという、「TONTTU」の残り火的な印象になってしまっている。それだけ「TONTTU」のインパクトがあらゆる意味で強すぎるということもあるが、また違う曲順でこの曲を聴いてみたいところだ。
イントロで高野もシンセを操ってノイジーなサウンドが場内に響き渡ると、スクリーンには猫などのとりとめも一貫性もないくらいに様々なものが揺れるように映し出されるというサイケデリックな映像が流れるのがおなじみの「STAY with ME」。ワンマンでは定番の曲であるけれど、この曲での高浦の力強くかつしなやかなビートは聴いているこちらのテンションをさらに高揚させてくれる。そういう意味ではビートルズ的なサイケデリックポップというイメージ以上にロックな曲と言えるのかもしれない。
その高浦のビートがさらに疾走感を増していき、彼の存在が完全にバンドに欠かせないものになっていることを感じさせる「ハートロッカー」では舞うようにしてベースを弾く高野を、エアベースをする長谷川がステージの端まで追いかけるという、ステージが広い武道館だからこそより映えるやり取りが展開される。その2人の笑顔を見るとこちらもついつい笑顔になってしまうし、それこそがマカロニえんぴつのグッドミュージックの効能かもしれない。はっとりは
「妄想の奥で あぁ 世界を回すよ
世界を回すよ あぁ 正解を壊すよ」
という締めのフレーズをより一層張り上げるように歌う。終盤になるにつれてさらに声が出ているように感じられるくらいにタフになっている。
その歌声のタフさは元はDISH//に提供された「僕らが強く。」の
「笑ってたいんじゃなくてね、笑い合ってたいのだ
今までも ずっとこれからも
分かってないことをちゃんと分かち合ってたいのさ」
という象徴的なフレーズにより説得力を与えている。
もう本当にこの歌詞の通りで、1人で笑いたいんじゃなくて、こうやって目の前で笑い合いたいのだ。それは誰かとの1対1の関係かもしれないし、こうした自分とバンドとの関係かもしれない。それが何よりも幸せで、大切で、かけがえのないことであるということをこの曲をライブで聴くことによって感じることができるし、それは「なんでもないよ、」の
「君といるときの僕が好きだ」
というフレーズにも通じるものだ。そういう意味ではこの「ハッピーエンドへの期待は」というアルバムに一貫しているのはそうした両者の存在があるということというメッセージなのかもしれない。
そして最後の曲の前にははっとりがやはり熱い言葉を口にする。それはワンマンだけではなくどんなライブでもその時その時のはっとりの心情が刻まれたものになっているのだが、この日は
「次に歌う曲にあるフレーズを10年経ってもずっと歌えている。「1人じゃないよ」って思わせてくれたバンドも、逆に「1人でもいいんだ」って思わせてくれたバンドも。
俺たちっていうか、あえてここは俺って言わせてもらいます。俺の原動力は憧れです。俺は誰かの憧れでここに立っているんじゃなくて、自分の意志で立っている。あなたが何も持っていないなんて思わないで。あなたは何かのプロだから。それに気付いた人から絶望から抜けられると思います」
と、バンドでありながらもはっとり個人の、ここまで来れた、10年間続けてこれた原動力を口にして「あこがれ」を、まるでここで歌うべき曲だったかのように歌い、鳴らす。
この曲を聴くと、マカロニえんぴつがロッキンに初出演した2018年のWING TENTでのライブを思い出す。15年くらい通い続けてきたあのフェスでもかつてないくらいの猛暑だったあの日に、その暑さをバンドの熱さにするかのように、30分の持ち時間で8曲演奏し、しかも5分巻くという凄まじいスピードで駆け抜けたあの日の最後に演奏されたのもこの曲だったけれど、あの時はまだあのフェスが、あの時にもっと大きなステージに出ているバンドたちが、初めてそこに立ったマカロニえんぴつの憧れのように響いていた。
でもあれからわずか4年で、マカロニえんぴつはそのフェスのメインステージに立つバンドになった。(昨年開催出来なかったし開催地も変わるので、GRASS STAGEに立つマカロニえんぴつという、初出演を見ているからこそ見たかった景色はもう見ることが出来なくなってしまったが)
つまり、この武道館のステージに立つマカロニえんぴつの姿はまさに今誰かの憧れになっている。だからあの時の「あこがれ」とは全く響き方が違う。どこまでも堂々と、ここに立つべきバンドとしての歌唱力と演奏力と説得力でこの曲を鳴らしている。
「どんなに頑張ったって
あなたにはなれないけど
憧れだけで生きていけるさ
才能ないとか
やめちまえとか言われても
憧れはやめられないから」
という歌詞の通りのことを何度となく言われたこともあった10年間だったと思う。それでもやめないでくれて、憧れ続けていてくれて本当にありがとうと思う。その結果として、こんな景色を見せてくれているのだから。そんなバンドに自分も間違いなく憧れている。
アンコールではメンバーがこのツアーのTシャツに着替えて登場し、よく「ダサ可愛い」と言われることもあるというバンドのグッズをアピールするのだが、思ったよりも早く登場したのも含めて、予定の時間よりも押していたのかもしれない。だからこそはっとりは最後に
「ロックバンドはCDを出して…今だったら配信で曲を出してツアーを回る。これからもそうやって生きていきます!そのどこかでまた会いましょう!」
と口にして、アルバムタイトル曲にして1曲目に収録されている「ハッピーエンドへの期待は」を演奏する。アルバムでは壮大なオープニングを告げていたこの曲が、このツアーではアンコールの始まりという終わりにして始まりを鳴らしている。
「どの夜のことを思い出してしまってもね
悲しくはないのだ
ハッピーエンドへの期待は捨てるなよ?どうか元気でね」
と歌う通りに、いつかこのバンドと一緒に過ごす日々にも終わりが来る。その時にはハッピーエンドと言えるような景色が見れていますように、とメンバーが重ねていくアウトロのコーラスを聴きながら思っていた。
そして、
「最後はマカロッカーのために、OKKAKEのためだけに歌います!」
と言って演奏されたのは、ファンクラブの名前にもなった「OKKAKE」。
「「大事なお知らせ」にまた大事にされなかった
信じてたのにあなたの事 あなたたちの音楽
腹立つなあ」
「「バンドはね、生き物だから」
とか、分かってんだってそんなこと
魅せてくれた情けない生き樣は
焼き付いて離れないや」
という歌詞は我々と同じようにロックバンドの活動や生き様にドキドキして生きてきた人だからこそ書けるものであり、こんなにも共感できる歌詞はそうそうないな、と思っていると、最後に客電が全て点いて場内が明るくなるという憧れのバンドたちがこれまでに見せてきた、武道館のアンコールの最後ならではの演出の中で
「ずっと歌っていてくれよな?
売れそうにない音程で
グッと来たあの瞬間から正義なんです永久に
だから歌っていてあげる一生ね、
まだ流行らない名曲を叫んでいる」
というフレーズを歌う。マカロニえんぴつの名曲はすでに流行ってると言わざるを得ないレベルになっているけれども、もしそうじゃなくなるような時が来たとしても、こうやってずっと歌ってくれている気がする。やっぱり、ごめん凄い好き。
演奏が終わるとステージで観客を背にしての写真撮影。いつかこれが初めての武道館として懐かしいものになるくらいに、これからも何度だってこのステージに立って、こうやって写真撮影をするはず。メンバーたちが観客に手を振りながら去っていく中で、はっとりはまるでビートたけしの動きのように、指を銃のようにして観客に向けまくっていた。その姿はどこか武道館という記念碑的な場所でのライブを終えた開放感を感じさせた。
現時点でもすでに恐ろしくなるくらいの名曲の連打っぷり。しかしそれはこれから先もどんどん増えていく。この日こうして演奏された曲にも、名曲がさらに増えることによってライブで演奏されなくなる曲が出てくるかもしれない。それでも、いつだってマカロニえんぴつは「どんな曲が演奏されても聴きたい曲しかない」というバンドであり続けてくれるはずだし、それをロックバンドとして示した武道館ワンマン。この日の全てが、マカロニえんぴつという我々が愛した音楽だった。
1.鳴らせ
2.レモンパイ
3.トマソン
4.はしりがき
5.なんでもないよ、
6.好きだった (はずだった)
7.ヤングアダルト
8.恋人ごっこ
9.キスをしよう
10.春の嵐
11.メレンゲ
12.青春と一瞬
13.TONTTU
14.ワルツのレター
15.STAY with ME
16.ハートロッカー
17.僕らが強く。
18.あこがれ
encore
19.ハッピーエンドへの期待は
20.OKKAKE
そんな10年間の中ですでに昨年には横浜アリーナでワンマンも行っているだけに、今回の10周年ツアーが日本武道館2daysから始まるというのもどこか納得がいくというか、終着地点としての武道館ではなく、ここから始まるという意味での武道館ということである。この日は2daysの2日目。
検温と消毒と接触アプリの確認を経て武道館の中に入ると、ソールドアウトの座席はフルキャパとなっている。確かにこの状況ゆえに来れなくなったという人もいるかもしれないが、このスタンドの真横から最上段までしっかり埋まりきっているというのが今のバンドの状況を示していると言っていいだろう。
開演前にはユニコーンなどのメンバーのルーツである音楽が流れながら、18時30分を少し過ぎたところで場内がいきなり暗転。どんなライブでも思うが、これで少し声が上がってしまうのは仕方がないと言ってもいいくらいにやっぱりこうして急に暗くなると驚く。
するとおなじみのビートルズ「Hey Bulldog」が流れてメンバーが登場。1番最初に現れた田辺由明(ギター)は客席に向かってタオルを掲げ、長谷川大喜(キーボード)は笑顔で頭を下げ、高野賢也(ベース)も田辺同様にタオルを掲げてからそれぞれが楽器を抱えると、はっとり(ボーカル&ギター)が最後にステージに登場して一際大きい拍手が起こる。ドラムはおなじみのサポートメンバーであり、メンバーの大学の後輩でもある高浦"suzy"充孝である。
すでに前日もこの武道館でワンマンを行っており、2daysの2日目とはいえ、この日が初めて観るマカロニえんぴつの武道館である身からすると、武道館の1曲目にどの曲を選ぶのか?というのは非常に大きなポイントだ。ある意味ではその1曲目の選曲によってこの武道館でのライブをどんなものにしようとしているのかがわかるからだ。
そんな1曲目にインディーズ期の代表曲の一つと言っていい「鳴らせ」を選んだというのは武道館でのライブで、さらにはバンドの10周年のライブで
「鳴らせ響くまで
ここにいるって
ちゃんとここにいるってさ 叫ぶんだ
ダメならとばせ
とばしていいんだ
ずっと同じ歌うたってていいんだ」
というフレーズの通りにマカロニえんぴつというロックバンドの存在証明をしに来たということだ。高い武道館の天井まで届くくらいに伸びやかなバンドのサウンドとはっとりのボーカルは、もしかしたらこの曲が生まれた時にすでにこうしてこの場所でこの曲を鳴らすイメージがあったんじゃないかと思ってしまうほどだ。
「よろしくお願いします!」
とはっとりが挨拶すると、長谷川の流麗なピアノのメロディが奏でられるとともに、ステージ前に置かれたミラーボールが輝き、田辺と高野が手を高く挙げて手拍子をすると、観客もその姿に合わせて手拍子をする「レモンパイ」で、タイトルに合わせた黄色い照明がミラーボールに反射することによってまさにレモンが輝いているような光に武道館が包まれていく。自分は下手側の真横のスタンドから見ていたので、高浦の姿がスピーカーに被って全く見えなかったのだが、その分1番近い立ち位置の高野が手拍子をしているこちらに向かって親指を突き出してくれる。それは一際高く腕を上げて手拍子をしていた自分に向けられていたんじゃないかと思うくらいに完全に目が合っていたけれど、きっと周りの人もみんなそう思っていたはずだ。
すでにいろんなメディアにも出演しているために話題にもなっているが、バンドは先月にフルアルバム「ハッピーエンドへの期待は」をリリースしたばかりということで、10周年ツアーでありながらもそのアルバムのレコ発ツアーという側面も持っているであろう今回のツアーで、1番最初に演奏されたアルバム収録曲は意外にも「トマソン」であった。
メンバーの背面にはポップなタッチで風景を描いたアニメーションが流れているのだが、それがいきなりレゲエ的なサウンドになるという急展開を、あくまでポップなものとして成り立たせているこの曲に実に良く似合っている。そんな曲でも田辺はフライングVでハードロック由来のサウンドを鳴らしているというのも、それぞれが好きなもの、やりたいことを全て融合させているという感じで実に痛快であるが(作曲は高野)、このタイトルの「トマソン」は1981年〜1982年に読売ジャイアンツに在籍していた、ゲーリー・トマソンという選手が高い期待に見合う活躍を出来なかったことから「トマ損」と言われたりして、「不必要なもの」の代名詞として「トマソン」が定着してしまったのだが、阪神タイガース時代の今岡誠が自身の少年時代のヒーローであるはっとりはリアルタイムでトマソンがプレーしていたことは知らなくても、その選手の名前やエピソードは知っていて使っているのだろう。(自分もトマソン在籍時はまだ生まれてないからリアルタイムでは知らないけど)
前述の通りにマカロニえんぴつはすでに昨年5月に横浜アリーナでワンマンを行っているのだが、その際には特大のタイアップがついていて、かつリリース直後というタイミングでもあったためにアンコールで演奏していた「はしりがき」が早くもこの序盤で演奏されるようになっている。確かに疾走感溢れるバンドサウンドは前半で一気にライブに勢いを与えてくれるとはいえ、こんなにあっさりと演奏されるというのは驚きである。
年末から年始にかけてもバンドはいろんなフェスやイベントなどに出演しまくってきたが、その前に行われていたホールツアーでははっとりの喉の調子があんまり良くなくて観客に心配された、ということをインタビューでも語っていたが、この日は喉は全く問題ないくらいに武道館に見合う歌声を響かせている、というかホールツアーに行けなかった身としてはそうした喉の調子が悪かったというのが俄かに想像できない感すらある。それくらいに自分が見てきたライブでは調子が悪いなんて感じたことが一度もなかったからだ。
「今日は歴史的な日になります。というか、これが歴史です!」
というはっとりの挨拶は紛れもなくOasisが1996年にネブワースで行った、25万人を動員したと言われているライブでノエル・ギャラガーが放った「This is history!」という言葉へのオマージュであろう。そうした先人たちへのリスペクトはマカロニえんぴつの音楽にもしっかり現れている。
するとメンバーの背面はスクリーンから巨大なバルーンアートへと切り替わるのであるが、そのバルーンアートに照明が当たってきらめく中で長谷川のピアノとはっとりのボーカルのみによって始まり、そこに削ぎ落とされまくったメンバーそれぞれのサウンドとコーラスが重なっていくのは大ヒットを記録した「なんでもないよ、」なのだが、まさかこの曲もこんなに序盤で演奏されるとは。
「君といるときの僕が好きだ」
という最後のフレーズをはっとりが歌う時にはその歌だけになり、はっとりにピンスポットが当たる。その瞬間、この歌詞は1対1のラブソングではなくて、マカロニえんぴつというバンドと我々観客、ファンとのラブソングになる。こうして目の前にいてくれるから、ロックバンドでいることができていると。そしてそれはバンドからの一方的な愛ではなくて、この曲がすでに特別なものになっている我々からバンドへの愛でもあるという、双方向のものになっている。そこにこそマカロニえんぴつのラブソングがこんなにも愛されている理由があると確かに思えた瞬間だった。たくさんのアーティストが出演するフェスやイベントではなく、ここにいる全員がマカロニえんぴつを見たいというだけで集まっているワンマンで鳴らされたからこそ。
それはアルバムに収録された、ロックなギターリフがサビで響く新曲の「好きだった (はずだった)」の
「好きなんだ 好きなんだ あなたとのあたし
好きなんだ 好きなんだ あなたが思うよりもずっと」
というフレーズも同様であり、やはりこうしてライブで聴くことによって歌詞の対象に自分も含まれているかのような主体性を感じるのは、ひたすらにライブをしまくって生きてきたマカロニえんぴつというバンドが、今目の前にいる人に、我々に語りかけるように歌い、演奏しているからだ。はっとりは少し歌詞が飛んでいた部分もあったけれど、2日目とはいえやはり武道館ならではの緊張感のようなものを感じていたのだろうか。
さらには最近のフェスやイベントなどでも最後を担う曲でもある「ヤングアダルト」までもがこの前半で早くも演奏されるという、「これ後半どうするの?」とすら思ってしまうくらいのキラーチューンの連打に次ぐ連打っぷり。
「でもさ」
などのフレーズをまさに我々観客に向かって語りかけるように強調してはっとりが歌うのもライブだからこそであるが、
「夜を越えるための唄が死なないように
手首からもう涙が溢れないように
無駄な話をしよう 果てるまで呑もう
僕らは美しい
明日もヒトでいれるために愛を集めてる」
というフレーズの持つ力はリリース前よりも今の方が圧倒的に強くなった。それは唄が、音楽が殺されそうになってしまうような瞬間をこの2年弱の間に何回も経験してきてしまったからだし、はっとりもそんな状況に唄への、音楽への愛を溢れる言葉で必死に抗ってきた。そうした日々の感情がこの曲には確かに刻まれているし、やはりそうした不安な夜を越えるためにこそ音楽はあると思っている。そうした夜を越えてこの日こうして集まることができている。まだ前半だけれども、やはりこの曲は演奏されるとその時点でのクライマックスを描いてしまう。この日もそれを確かに感じていた。それくらいに名曲だということだ。
さらにさらに、田辺と高野という低めのコーラスを担当する2人が、
「ひー、ふー、みー、よっ」
とカウントし、長谷川があのイントロのシンセのフレーズを奏でて始まったのは「恋人ごっこ」。いくら10周年ツアーの武道館ワンマンとはいえ、なんなんだこの曲順は。フェスでやるにしてもあまりに強すぎる曲をワンマンの前半でこんなにも連発している。それはそうしたセトリを組めるくらいに、この曲たちを更新できる曲をこの後にちゃんと用意してあるということも意味しているが、改めてこんなにも連打されると、ここ数年のマカロニえんぴつのソングライティングの凄まじさに圧倒されてしまう。もちろん
「もう一度あなたと居られるのなら
きっともっともっとちゃんと
ちゃんと愛を伝える」
というフレーズからのバンドの演奏のテンションとはっとりの歌唱の高まりっぷりは、この曲をこうしてこの場所で聴くことができて本当に幸せであると思えた瞬間だった。
すると一度メンバーたちがステージから捌けて、アコギを持ったはっとりにピンスポットが当たり、弾き語りで演奏されたのは、アルバムにもこの形で収録された「キスをしよう」。
何ならはっとりのソロでリリースしてもおかしくないというか、本来ならそうすべき曲をバンド名義で収録して、ライブでもはっとりの弾き語りで演奏している。「なんでもないよ、」の削ぎ落としたサウンドに関してもメンバー(特に田辺と高野)は
「曲が1番良い形になれば自分が演奏しなくてもいい」
的なことを語っていたが、この曲はその極地だ。弾き語りすらも許してしまうメンバーの度量の広さは本当に凄いと思うけれど、それをあくまで「マカロニえんぴつの音楽」として世に送り出したということは4人のその意識が全くブレていないことの証明でもあるし、すでに何でもバンドでやっているマカロニえんぴつがこれから先にもっとなんだってできるということだ。はっとりは2コーラス目で歌詞を間違えてすぐさま歌い直したが、曲を最初からやり直すでも一旦止めるでもなくすぐに歌い直せるのは弾き語りならではであると言える。
その歌詞を間違えたことを、
「甲子園と武道館には魔物がいるね!歌詞間違えたことないのにね!」
と口にすると、ステージに戻ってきた長谷川は
「え?(笑)」
と、あたかも「よく間違えてますけど?」というようなリアクションを取るのが実に長谷川らしい素直さを示している。
するとライブ開始時から、「これはどのタイミングで使うんだろう?」と思っていた、明らかにストリングス隊が座って演奏するための椅子が高浦のドラムセットの両サイドに移動されると、総勢8名のストリングス隊、はっとり命名の
「SSFM(ストレンジ・ストリングス・フォー・マカロック)」
の皆さんがステージに登場。全員白シャツということでステージの見た目も爽やかになるのだが、この椅子を見た際に自分は「恋人ごっこ」あたりの曲でストリングス入れるんだろうなぁ。なんならイントロとか絶対ストリングスで演奏するような曲だもんなぁ。と思っていたのだが、すでにその「恋人ごっこ」は演奏されているために、自分の予想はあっけなく外れたことになる。というかバンド側の「そんな予想通りなことはやりません」という術中に見事にハメられてしまったかのようだ。
そのストリングスを入れた編成で最初に演奏されたのは「春の嵐」なのだが、この形で演奏されることによって、そのストリングスのサウンドも、アウトロのはっとりのギターも完全にOasis「Whatever」のオマージュであることが実に良くわかる。壮大な種明かしを武道館で味あわされているかのようでもあるし、マカロニえんぴつがどんなに突飛なアレンジをしてもそのメロディのキャッチーさが揺らぐことがないのはそのOasisからの影響が大きいんじゃないかと思う。
イントロで高浦のドラムのみになるフレーズから、バンドの彼への信頼が感じられる「メレンゲ」もまた、こうしてストリングスのサウンドが加わることによって、「ああ、わかる!」と思わされてしまう。それくらい似合うというか、スクリーンに雪山の映像が映し出されたのも含めて、日本の冬の名曲J-POPを彷彿とさせるようなサウンドになっている。特に
「もう空は飛べない 独りでは
また僕を好きになりたい 生まれ変わったりする以外で」
という最後のサビに至るフレーズのはっとりの声とストリングスの重なりっぷりは、この曲が吹奏楽団やオーケストラにカバーされるような光景まで想像させた。まだ関東にも雪が降ったりするような時期だからこそ、よりこの曲のこのアレンジが今のためのものとして聴こえたのだ。
そしてストリングス隊の背後からも小さなたくさんの照明がメンバーを照らした、はっとりがサビをアカペラで歌ってからバンドとストリングスの音が加わるという形で始まった「青春と一瞬」。このストリングス隊が加わっての演奏中は観客はみんな座って聴いていたのだが、そうして意識を集中することによってよりこの曲の壮大なメロディを改めて感じることができる。やはりこの曲でも
「染まりたいね
使い切っていたい 黄金の色に咲く春
よだれまみれ 出来心の恋も剥き出しで」
というCメロでのストリングスの重なり方が実に素晴らしいのだが、それに続く
「誰にも僕らのすばらしい日々は奪えない」
というフレーズを今聴くことの説得力たるや。こうしたライブという素晴らしい日々や時間だって誰にも奪えないというか、奪わせたくない。そう強く思える一瞬が目の前に広がっているからだ。いつでも僕らに時間が少し足りないのは、見たくても追い切れないくらいにマカロニえんぴつがあらゆる地方に行ってライブをやりまくっているからだ。
そうして座席に座ってライブを見ているからこそ、メンバーやストリングス隊だけではなくて、ステージ袖でライブを見ているローディーなどのスタッフの姿までもよく見えた。我々が座っていることからもわかる通りに、決して体を動かしたりする曲でもないし、ストリングスが入ったアレンジではよりそういうものではなくなっている。
それでもサウンドやリズムに合わせて体を揺らしているスタッフたちの姿を見て、メジャーデビューまでにかなり慎重に決断してきたバンドがしてきた選択肢が間違ってなかったというか、今、本当にマカロニえんぴつの音楽を愛してくれている人たちとチームが組めているんだなと思った。というか、そういう人じゃないとこのバンドとは一緒に仕事が出来ないのだろう。それくらいに音楽への愛が原動力になってここまでの存在になったバンドだから。
SSFMの方々がステージから去ると、
はっとり「良く言われるクソMCの時間です!(笑)」
と、自分たちのMCの評判が良くないことを自虐的に紹介してからMCに入るという、実にやりにくそうな入り方をするのだが、それでもこの日のMCらしいMCはここが初。それくらいに次々に名曲を連打してきたライブだったということである。
10周年ツアーらしく、MCの内容はメンバーそれぞれが10年間の印象的なことを振り返るというものなのだが、
田辺「昔、福岡でライブがあった時に、当時まだローディーさんもいなくて、スペアのギターがバンド内で1本しかないのに、最後の曲の前で俺のギターとはっとりのギターが弦が同時に切れて。スペア使おうと思ったんだけど、はっとりも弦が切れてたからすぐに裏で張り替えようと思って。
その時にはっとりが俺のアンプにギター繋いで、俺が戻ってくるまでMCで繋いでくれるのかと思ったら、張り替えてる間に最後の曲のイントロが始まってて(笑)あれ〜?って(笑)
見てた対バンの人も爆笑していたんだけど、その人たちがギター貸してくれよっていう(笑)で、急いで弦を張り替えてステージに戻ったら、はっとりの持ってるギターが俺のアンプに刺さってるから、張り替えたのにギターを刺すアンプがなくて、ずっと弾いてるフリしてた(笑)」
長谷川「まだお客さんが10人くらいしかいなかった頃に、当時周りのバンドが結構盛り上げるのが上手いバンドの中で、僕らは淡々と演奏する、っていうタイプだったんだけど、ある時急にはっとりくんが変なダンスをお客さんに踊らせて(笑)
廃盤になったCDに入ってた曲で、全英語歌詞の曲で、「男女平等ダンス」って名付けてたんだけど、ライブのブッカーの人は結構ノリノリでやってくれていたんだけど、お客さんは明らかに戸惑ってて(笑)
そしたらはっとりくんが
「あなたも!あなたも!」
みたいな感じで無理矢理踊らせ始めて(笑)しかも本人は途中で飽きたのか、違う踊りをしてるっていう(笑)あの時のお客さんはかわいそうだったなぁ(笑)」
高野「その自主制作のCDを作ってた頃って、俺がジャケット画像印刷して、CD焼いたりしていて。ライブ前日の夜にはっとりから
「ジャケットのデザインできたから送る!」
って言われて(笑)そこから徹夜で印刷したりして(笑)
そういうスタッフ業務をやったりしていたから、ライブに物販で売るCDとかを持ってきてるのに、ベースを家に忘れてくることもあったりした(笑)」
という、それぞれがはっとりの暴君エピソードを開陳することになり、はっとりも
「俺の株下げようとしてる?(笑)」
と訝しんでしまうほど。そうしたあらゆる経験や思い出を今でも鮮明に覚えているというのが、この10年間が良いものだったと思えることであるのだが、そんな暴君はっとりは自身をロックスターと称しながら、
「俺は今日、今この瞬間が1番忘れられない記憶になってます!」
と、ロックスターとしてそれらしく締めると、
「アルバムには明らかにやりすぎな曲があって(笑)アルバムの中でもライブでセトリを組んでも、その曲が入ると流れがぶっ壊れるんで、今日はやらずに次のツアーで…」
と話す横で頭にタオルを巻き、より巨大なタオルを横で振ろうとしている田辺。その問題作的な曲は熱波師検定も合格しているほどのサウナラヴァーな彼が作曲した「TONTTU」であり、まさにサウナの中にいるかの如くに大量のスモークが焚かれる中で、田辺が大好きなマイケル・シェンカーグループなり、モトリー・クルーなりが武道館にやってきたのかと思ってしまうような、メンバーが金の長髪のカツラを被って革ジャンを着用するという、形から入るハードロックバンドさを出しながらも、サウンドも田辺の趣向全開でハードロックでしかない。
そもそも現在のメジャーシーンどころか、ロックシーンにもこんなにハードロックなサウンドのギターを鳴らすバンドはいない。というかもはややる必要がないくらいのものになりつつある。
でもそのサウンドが大好きで、それによって音楽に、ロックに目覚めた。自分が田辺のギターや彼の人格が好きなのはそうした思いが溢れまくっていて、それを自身が作る曲に込めているから。それがマカロニえんぴつというバンドを最もロックバンドたらしめている要素だとも思っているし、その曲を他のメンバーが「マカロニえんぴつの音楽」として成立させてくれる。だから一緒にカツラも被るし、ステージから炎が噴き出すという実にハードロックバンドらしい演出だって一緒にやってくれる。(スクリーンには田辺の熱波師としての姿も映し出される)
そうした全てが、マカロニえんぴつというバンドを本当に良いバンドだなと思わせてくれる。まさかのセリフというか小芝居的なパートすらある曲であり、TONTTUと会話する主人公=田辺、吹き飛ばされるやつら=はっとり&高野、常連客=長谷川という配役であることもライブでその小芝居がそのまま展開されることによってわかるのだが、単なる飛び道具的な曲という以上に、アルバムの中で重要な位置を占めている曲だと思う。個人的にもライブで最も楽しみにしていた曲と言えるかもしれない。
そんな演出盛りまくりの曲の後なだけに、カツラや革ジャンを脱いだりした後に「ワルツのレター」が演奏されるのだが、この曲に申し訳ないくらいに火柱の火薬の匂いばかりが鼻に残るという、「TONTTU」の残り火的な印象になってしまっている。それだけ「TONTTU」のインパクトがあらゆる意味で強すぎるということもあるが、また違う曲順でこの曲を聴いてみたいところだ。
イントロで高野もシンセを操ってノイジーなサウンドが場内に響き渡ると、スクリーンには猫などのとりとめも一貫性もないくらいに様々なものが揺れるように映し出されるというサイケデリックな映像が流れるのがおなじみの「STAY with ME」。ワンマンでは定番の曲であるけれど、この曲での高浦の力強くかつしなやかなビートは聴いているこちらのテンションをさらに高揚させてくれる。そういう意味ではビートルズ的なサイケデリックポップというイメージ以上にロックな曲と言えるのかもしれない。
その高浦のビートがさらに疾走感を増していき、彼の存在が完全にバンドに欠かせないものになっていることを感じさせる「ハートロッカー」では舞うようにしてベースを弾く高野を、エアベースをする長谷川がステージの端まで追いかけるという、ステージが広い武道館だからこそより映えるやり取りが展開される。その2人の笑顔を見るとこちらもついつい笑顔になってしまうし、それこそがマカロニえんぴつのグッドミュージックの効能かもしれない。はっとりは
「妄想の奥で あぁ 世界を回すよ
世界を回すよ あぁ 正解を壊すよ」
という締めのフレーズをより一層張り上げるように歌う。終盤になるにつれてさらに声が出ているように感じられるくらいにタフになっている。
その歌声のタフさは元はDISH//に提供された「僕らが強く。」の
「笑ってたいんじゃなくてね、笑い合ってたいのだ
今までも ずっとこれからも
分かってないことをちゃんと分かち合ってたいのさ」
という象徴的なフレーズにより説得力を与えている。
もう本当にこの歌詞の通りで、1人で笑いたいんじゃなくて、こうやって目の前で笑い合いたいのだ。それは誰かとの1対1の関係かもしれないし、こうした自分とバンドとの関係かもしれない。それが何よりも幸せで、大切で、かけがえのないことであるということをこの曲をライブで聴くことによって感じることができるし、それは「なんでもないよ、」の
「君といるときの僕が好きだ」
というフレーズにも通じるものだ。そういう意味ではこの「ハッピーエンドへの期待は」というアルバムに一貫しているのはそうした両者の存在があるということというメッセージなのかもしれない。
そして最後の曲の前にははっとりがやはり熱い言葉を口にする。それはワンマンだけではなくどんなライブでもその時その時のはっとりの心情が刻まれたものになっているのだが、この日は
「次に歌う曲にあるフレーズを10年経ってもずっと歌えている。「1人じゃないよ」って思わせてくれたバンドも、逆に「1人でもいいんだ」って思わせてくれたバンドも。
俺たちっていうか、あえてここは俺って言わせてもらいます。俺の原動力は憧れです。俺は誰かの憧れでここに立っているんじゃなくて、自分の意志で立っている。あなたが何も持っていないなんて思わないで。あなたは何かのプロだから。それに気付いた人から絶望から抜けられると思います」
と、バンドでありながらもはっとり個人の、ここまで来れた、10年間続けてこれた原動力を口にして「あこがれ」を、まるでここで歌うべき曲だったかのように歌い、鳴らす。
この曲を聴くと、マカロニえんぴつがロッキンに初出演した2018年のWING TENTでのライブを思い出す。15年くらい通い続けてきたあのフェスでもかつてないくらいの猛暑だったあの日に、その暑さをバンドの熱さにするかのように、30分の持ち時間で8曲演奏し、しかも5分巻くという凄まじいスピードで駆け抜けたあの日の最後に演奏されたのもこの曲だったけれど、あの時はまだあのフェスが、あの時にもっと大きなステージに出ているバンドたちが、初めてそこに立ったマカロニえんぴつの憧れのように響いていた。
でもあれからわずか4年で、マカロニえんぴつはそのフェスのメインステージに立つバンドになった。(昨年開催出来なかったし開催地も変わるので、GRASS STAGEに立つマカロニえんぴつという、初出演を見ているからこそ見たかった景色はもう見ることが出来なくなってしまったが)
つまり、この武道館のステージに立つマカロニえんぴつの姿はまさに今誰かの憧れになっている。だからあの時の「あこがれ」とは全く響き方が違う。どこまでも堂々と、ここに立つべきバンドとしての歌唱力と演奏力と説得力でこの曲を鳴らしている。
「どんなに頑張ったって
あなたにはなれないけど
憧れだけで生きていけるさ
才能ないとか
やめちまえとか言われても
憧れはやめられないから」
という歌詞の通りのことを何度となく言われたこともあった10年間だったと思う。それでもやめないでくれて、憧れ続けていてくれて本当にありがとうと思う。その結果として、こんな景色を見せてくれているのだから。そんなバンドに自分も間違いなく憧れている。
アンコールではメンバーがこのツアーのTシャツに着替えて登場し、よく「ダサ可愛い」と言われることもあるというバンドのグッズをアピールするのだが、思ったよりも早く登場したのも含めて、予定の時間よりも押していたのかもしれない。だからこそはっとりは最後に
「ロックバンドはCDを出して…今だったら配信で曲を出してツアーを回る。これからもそうやって生きていきます!そのどこかでまた会いましょう!」
と口にして、アルバムタイトル曲にして1曲目に収録されている「ハッピーエンドへの期待は」を演奏する。アルバムでは壮大なオープニングを告げていたこの曲が、このツアーではアンコールの始まりという終わりにして始まりを鳴らしている。
「どの夜のことを思い出してしまってもね
悲しくはないのだ
ハッピーエンドへの期待は捨てるなよ?どうか元気でね」
と歌う通りに、いつかこのバンドと一緒に過ごす日々にも終わりが来る。その時にはハッピーエンドと言えるような景色が見れていますように、とメンバーが重ねていくアウトロのコーラスを聴きながら思っていた。
そして、
「最後はマカロッカーのために、OKKAKEのためだけに歌います!」
と言って演奏されたのは、ファンクラブの名前にもなった「OKKAKE」。
「「大事なお知らせ」にまた大事にされなかった
信じてたのにあなたの事 あなたたちの音楽
腹立つなあ」
「「バンドはね、生き物だから」
とか、分かってんだってそんなこと
魅せてくれた情けない生き樣は
焼き付いて離れないや」
という歌詞は我々と同じようにロックバンドの活動や生き様にドキドキして生きてきた人だからこそ書けるものであり、こんなにも共感できる歌詞はそうそうないな、と思っていると、最後に客電が全て点いて場内が明るくなるという憧れのバンドたちがこれまでに見せてきた、武道館のアンコールの最後ならではの演出の中で
「ずっと歌っていてくれよな?
売れそうにない音程で
グッと来たあの瞬間から正義なんです永久に
だから歌っていてあげる一生ね、
まだ流行らない名曲を叫んでいる」
というフレーズを歌う。マカロニえんぴつの名曲はすでに流行ってると言わざるを得ないレベルになっているけれども、もしそうじゃなくなるような時が来たとしても、こうやってずっと歌ってくれている気がする。やっぱり、ごめん凄い好き。
演奏が終わるとステージで観客を背にしての写真撮影。いつかこれが初めての武道館として懐かしいものになるくらいに、これからも何度だってこのステージに立って、こうやって写真撮影をするはず。メンバーたちが観客に手を振りながら去っていく中で、はっとりはまるでビートたけしの動きのように、指を銃のようにして観客に向けまくっていた。その姿はどこか武道館という記念碑的な場所でのライブを終えた開放感を感じさせた。
現時点でもすでに恐ろしくなるくらいの名曲の連打っぷり。しかしそれはこれから先もどんどん増えていく。この日こうして演奏された曲にも、名曲がさらに増えることによってライブで演奏されなくなる曲が出てくるかもしれない。それでも、いつだってマカロニえんぴつは「どんな曲が演奏されても聴きたい曲しかない」というバンドであり続けてくれるはずだし、それをロックバンドとして示した武道館ワンマン。この日の全てが、マカロニえんぴつという我々が愛した音楽だった。
1.鳴らせ
2.レモンパイ
3.トマソン
4.はしりがき
5.なんでもないよ、
6.好きだった (はずだった)
7.ヤングアダルト
8.恋人ごっこ
9.キスをしよう
10.春の嵐
11.メレンゲ
12.青春と一瞬
13.TONTTU
14.ワルツのレター
15.STAY with ME
16.ハートロッカー
17.僕らが強く。
18.あこがれ
encore
19.ハッピーエンドへの期待は
20.OKKAKE
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