くるり 結成25周年記念公演 〜くるりの25回転〜 @東京ガーデンシアター 2/11
- 2022/02/12
- 19:46
かつてのライブ(確か2006〜2007年くらい)で岸田繁(ボーカル&ギター)が佐藤征史(ベース)を紹介した時に、すでにロックシーンでは重鎮的なイメージだっただけに、まだ佐藤の年齢が20代だったということに観客は驚いていたのだが、そんなくるりが結成25周年を迎えたということに自分も年齢を重ねてきたということを実感せざるを得ない。この日の東京ガーデンシアターでのワンマンはそんなくるりの結成25周年記念ライブである。
検温と消毒を経て、かなり長い入場列に並んでからガーデンシアターの中に入ると、アリーナはもちろん椅子が並んでいるが、フルキャパの客席は1番上の階層までぎっしりと人が入っていて、すでに何回も来ているこの会場が本当にたくさんの人が収容できることを実感するし、それでも当日券が出ているというのは何人入れるんだろうかという感じになる。そのたくさんの人の圧によるものか、会場はなんだかやけに暑く感じる。
開演時間の17時30分に諸注意を含めたアナウンスが流れて、そのまま会場が暗転すると、ステージ背面には立体感を感じさせるような、どこか神社の参道を思わせるような演出が出現し、SEもなしにステージには岸田と佐藤、さらに近年のくるりのライブではおなじみの石若駿(ドラム)と女性コーラス2名の5人のみが登場するのだが、岸田と佐藤は白のセットアップという、実に厳かかつ見慣れない出で立ち。
佐藤はウッドベースを構えると、岸田がギターを弾きながら歌い始めたのは、実に素朴なサウンドによる「ランチ」。この曲から!?と驚くとともに、やはりこのライブが普段のライブとは全く違う特別なものになるということがわかるが、観客はこの段階では全員が自身の席に座った状態で構えるように集中して見ているという感じだ。
するとライブメンバーの中では最も古参メンバーである松本大樹(ギター)もステージに登場して、壮大なイントロとブルージーな岸田の歌とギターによる「虹」という初期中の初期の曲が続いたことによって、後に岸田も
「バンドの歴史を辿るような順番に演奏している」
と言った通りのセトリの組み方になっていることがわかるのだが、アウトロでの岸田の唸りをあげるようにブルージーかつロックンロールなギターソロは25年というキャリアを迎えてもまだまだバンドにも自身にも失われていないものが燃えたぎっているということが伝わってくる。
そんな25年間を一夜にして時空旅行するようなライブであるが、くるりは当然ながらわかりやすいシングル曲を連発するようなバンドではないということは活動を見てきた人はわかっていることであるが、それは2ndアルバム「図鑑」から演奏されたのがパンクさすら感じる「青い空」でもなければ、岸田の絶唱が響く「街」でもなく、近年おなじみのライブメンバーである野崎泰弘(キーボード)とグロッケンなどのパーカッションを演奏するメンバーが加わっての「窓」という選曲であることからも明らかである。今では絶対生まれないだろうなというくらいの節回しの岸田の歌唱は貴重であるが、再現ライブ以外で近年聴いたことあっただろうかというくらいにレア曲である。
そんなおなじみのライブメンバー以外にもステージにはたくさんの楽器が並べられており、ここでサックスなどを吹くホーン隊、野崎に加えてのキーボードという、ステージ上にはフルメンバーの11人が居並び(見えない位置にマニピュレーターもいたので総勢12人)、その大所帯で演奏されたのは「図鑑」収録のインスト曲であり、かつてパシフィコ横浜でオーケストラを招いて演奏された(「ワルツを踊れ」の追加公演的なライブだった)「惑星づくり」なのだが、そのメンバーたちの豊かな音が重なり合うことによって、輪郭は残しながらも全く違うように、なんならプログレ大曲に感じるくらいにアレンジされているのだが、それは近年の「大阪万博」にも連なるものであり、くるりの過去と現在が一瞬にして繋がっていくような感覚にもなる。
ここでステージには輪が連なるような装置も登場し、全員揃っていたメンバーから減って通常のくるりのライブにコーラスがいる、というくらいの編成に。どうやらこの日のライブはそうして曲によってメンバーが入れ替わり立ち替わりして演奏されていくということがわかるのだが、野崎のキーボードが美しいメロディを奏でたことによって「ばらの花」が演奏され、当時のロックシーンの変革の作品の一つとなった「TEAM ROCK」期に突入したことがわかる。今聴いても全く色褪せないメロディに女性コーラスが重なると、音源のフルカワミキのコーラスではなくても曲の持ち味であるメロディの美しさがフルに発揮されていく。アウトロでは佐藤のコーラスまでも重なっていくのだが、自分がくるりを本格的に聴き始めた時期の曲であり、「何て良い曲なんだろうか」と初めて聴いた時から今に至るまでに何度となく思わされてきた曲をこうして記念碑的なライブで聴けるのはやはり感慨深い。妻夫木聡と柴咲コウの主演ドラマの劇中で重要な役割を果たす曲として使われていたな、などそれぞれの人によってそれぞれの思い入れがある曲だろうし、それはきっとどの曲でもそうだろう。くるりはそうした曲を作り続けてきたバンドである。
野崎が居なくなり、パーカッションがティンパニなどを演奏するという新たなアレンジで演奏された「ワンダーフォーゲル」もまた、たくさんの人の出会いと別れを彩ってきた曲だと思うが、この編成で聴くのは実に久しぶり(去年のツアーやフジロックでも演奏されていなかった)なだけに、石若の正確無比かつ強靭なドラムのビートが引っ張っているということがよくわかる。そのドラムのスタイルはかつてライブに参加していたBOBOのことを思い出させたりするのだが、この曲を座って聴いているなんて耐えられん!とばかりにこの曲で徐々に(本当にそんな感じだった)立ち上がる人が現れ始める。するとコーラスのメンバーはこの曲のライブではお決まりの光景だった、サビで腕を左右に振るというアクションを見せ、それが客席に広がることでまた立ち上がる人が増えていく。正直、いつ立ち上がるんだろうかと思うくらいに、自分はライブは立って見たいタイプなので(その方が音に合わせて自由に楽しめるから)、この曲を立ち上がって楽しむことができて良かったなと思った。それは今までのライブでこの曲を聴いてきた時のように、思う存分サビで腕を振ることができたから。
するとアルバムとしては「THE WORLD IS MINE」期に突入し、その象徴とも言えるエレクトロサウンドが流れて演奏されたのは「ワールズエンド・スーパーノヴァ」で、やはり踊るには立ち上がらないと、と言わんばかりにさらに多くの人がイントロが鳴った瞬間に立ち上がると、これまでに数え切れないくらいにこの曲を演奏してきたであろう松本も立ち上がった人たちを見てどこか笑顔でギターを弾いているし、コーラスメンバーも歌う部分以外では踊るように体を動かしている。そうしたくなってしまう曲でありサウンドというのは紛れもなく日本のロックとダンスミュージックの融合の先鞭的なものだったと今でも思う。COUNTDOWN JAPAN 05/06のEARTH STAGEの年越しの瞬間がこの曲だったということも今でも鮮明に覚えているくらいに、長い音楽人生のあらゆる場面をくるりの音楽とともに過ごしてきたんだなと思う。
「ワールズエンド・スーパーノヴァ」のダンスフロアを思わせるような薄暗い照明から一気に明るくなるのは、岸田がボーカルにエフェクトをかけて機械的な声で歌い始める、かつて日本武道館で聴いたりしたのを今でも鮮明に覚えている「水中モーター」で、サビでは佐藤の変わらぬ若々しさを感じさせる歌唱が聴けるとともに、この曲においてもコーラスの2人は大きな役割を果たしているというか、この2人がいなかったらどうなっているんだろうというくらいにただ声を重ねるだけではなく、2人が歌わない部分のボーカルまでも担っている。
「併殺打好きベンチウォーマー
リーリーリリーリーリーリリー」
というフレーズは最新作で「野球」という自身の偏愛をそのまま曲にするくらいにリアル野球狂の詩を作った岸田ならではのものだなぁとリリースから20年も経つ今になっても思う。
「くるりにしてはヒットした曲を演奏している(笑)」
と、普段からそうした意識のもとに敢えてヒット曲を入れないセトリを組んでいるということがわかる岸田の挨拶も含めたMCを挟みながら、イントロから一気にサウンドが骨太なロックへと変化するのは「アンテナ」収録の「Morning Paper」で、ここからはギター、ベース、ドラムというロックバンドのベーシックな楽器の音が中心になっていくのだが、こうして「THE WORLD IS MINE」のダンスミュージックとロックの融合の後にこうしたサウンドになるというくるりの歴史の変遷も今になって振り返ると実に面白い。内的要因としてはこの時期はクリストファー・マグワイア(ドラム)の一時的な加入(そしてすぐ脱退)もあったとはいえ、ロックバンドのサウンドへの揺り戻しが起こっていたという。
その「アンテナ」の先行シングルとしてリリースされ、今もくるりを代表するヒット曲である「ロックンロール」ではイントロが鳴った瞬間に一斉に観客が立ち上がっていく。それは今でもこの曲の力が全く失われていないことの証明でもあり、動画撮影スタッフもライブカメラマンも待ってましたと言わんばかりに立ち上がって腕を挙げる観客の姿を背後から撮影しているのが実に微笑ましい。パーカッション奏者がこの曲ではタンバリンを振るというのがかつて在籍していたファンファンのこの曲での役割を彷彿とさせる中、なかなか難しい世の中になってしまったが、また近い未来に野外フェスの晴れ渡る空の色の下でこの曲が演奏されるのをたくさんの人と一緒に聴きたいと思う。
で、時系列的には次はブリティッシュロックへと接近した「NIKKI」になるのだが、この時期の曲で選ばれたのはミュージックステーションなどの音楽番組でも披露されてオリコン4位というバンド史上最高位を記録した「Baby I Love You」…ではなくてそのカップリング曲であり「NIKKI」には未収録の「The Veranda」というあたりが一筋縄ではいかないというか素直じゃないというか実にくるりらしいというか。とはいえ岸田がアコギを弾きながら歌うことによってこの時期のくるりのメロディの美しさを堪能できるという意味では、隠れた名曲にしておくには実にもったいない曲とも言える。(後にカップリングアルバム「僕の住んでいた街」にも収録されたが)
佐藤のブギ的な跳ねるようなベースラインのイントロの音が体というよりも心を飛び跳ねさせてくれるのは「NIKKI」の先行シングルである、実に久しぶりにライブで聴いた「BIRTHDAY」であるが、鉄道オタクがいるバンドということが世に知られたことで、ある意味バンドを象徴する曲とも言える「赤い電車」とかでもなくこの曲が演奏されるというのがやっぱりくるりらしいなぁと思っていたら、この曲が終わった段階で岸田がメンバーを称えるような仕草を取ると、全員がステージを去っていく。まさかまだこれで終わりなわけがないだろうと思っていたら、ここで換気も含めた休憩タイムに。つまりそれはここまででまだライブの半分、くるりのバンドとしての歴史もまだ半分しか振り返っていないという、このライブが実に長く濃厚なものになるということを予感させるものでもあった。
その休憩中にたくさんの人がトイレに行ったりしてからの第二部では最初からほぼフルメンバーが揃う。というのもこの第二部はアルバムで言うと「ワルツを踊れ」というクラシックとロックの融合を試みた作品であり、実際にそのツアーもそれまでよりもライブでの編成は大世帯になっていただけに、パーカッションやホーン、コーラスという面々がどの曲でも必要になってくる。それがたおやかなサウンドとメロディによる「ジュビリー」という第二部の始まりからもよくわかる。
そんな「ワルツを踊れ」からのもう1曲の選曲はアルバムの中では最もロックなサウンドの「アナーキー・イン・ザ・ムジーク」であり、間奏では岸田と松本がガンガンギターを弾きまくるというクラシックを取り入れてもロックバンドであり続けたくるりの姿を見せてくれるのであるが、かつて在籍した吉田省念がチェロを弾いたり、ファンファンがトランペットで主旋律を担ったりしてきた、その時代時代の編成に合わせた形でアレンジされてきた歴史を持つ「ブレーメン」が演奏されなかったというのもまた意外であったが、岸田が
「来てる人それぞれの25回転があると思うので、自分だったらこうするな、みたいに考えながら楽しんでもらえたら」
と言っていたように、自分なら間違いなくこのアルバムからなら「ブレーメン」を選ぶな、と思うがあまりにそれは分かりやすすぎるだろうか。
一部では演奏に参加しないメンバーは袖に引っ込んだりしていたのだが、この第二部では演奏しないメンバーもその場に座って自分の出番を待つという形に変わっているのは目まぐるしく1曲1曲で編成と参加するメンバーが変化していくということでもあるが、アルバムの時系列としては「魂のゆくえ」になるのだが、その期間から演奏されたのは先行シングルの「さよならリグレット」とそのカップリングに収録されていた「pray」という2曲。とりわけ「pray」はリリース時から「これカップリングなの!?」と言われていたくらいの名曲であり、昨年のツアーやフジロックのサウンドチェックでも演奏されていただけに、今にしてバンド内再評価が起きている感もある。正直この時期はブルース色が濃くなり、ファンの中でもかなり賛否両論あった(というかこの辺りで脱落していった人も結構いた)だけに、この2曲はその時期の中でもこうしたメロディが際立つ名曲が確かに存在していたということを今になって示してくれている。
さらに続く「言葉にならない笑顔を見せてくれよ」期からは「魔法のじゅうたん」という、同名曲が近年SNSでバズってヒットしているだけに、くるりの先見性を感じさせる曲であるが(松任谷由実とのコラボ曲「シャツを洗えば」と両A面シングルとしてリリースされた)、それはむしろそれ以前のツアータイトルなどにも「はぐれメタル」などのワードを使っていた岸田のドラクエ愛によるものだろうと思われる。この時期の曲はこれだけだったが、フジファブリックの山内総一郎がライブにギタリストとして参加していたのもこの時期だったな、と今やそうしたプレイヤーが参加する隙が全くない編成で演奏されているのを見て少ししみじみしていた。
そんなブルース色が濃くなっていた時期を超え、「坩堝の電圧」で新たなメンバーたちが加わって(ライブ見る前に辞めたメンバーもいたけど)、再びロックバンドとしてのサウンドに向き合った時期からは、岸田がステップを踏むようにしてギターを弾き、コーラスメンバーもさらに激しくステップを踏みながら踊るような姿を見せてくれる「everybody feel the same」が演奏されると、曲が進んでホーン隊のサウンドが吹き荒れたりしながらバンドのグルーヴが練り上げられていき、それに呼応するように観客が1人また1人と立ち上がっていく。
それは最初から全員が立ち上がって見るという形のライブではなかったからこそ、目の前で鳴っている音に反応して衝動的に立ってしまうというような、ある意味ではロックバンドのライブにおけるモッシュやダイブが予定調和的なものではなく、その音に反応して起きるということを今の時勢で見れたと思えるようなものだったし、そこにこそくるりのライブを観に来るのをやめられない理由があった。こうして衝動を突き動かしてくれるようなバンドであり続けた25年間だったからだ。そう思えるくらいにこの日のこの曲は感動してしまうような光景を描き出していたし、コーラスメンバーがいることでこの日は普段よりもコーラスが圧倒的に少なかった松本と野崎も最後のタイトルフレーズの連呼にはコーラスを重ねる。まさに「everybody feel the same」、メンバー全員が同じことを感じている、ということを示すかのように。
そんな演奏を終えると岸田は
「2012年の冬」
というフレーズを持つこの曲がもう10年も前の曲であるということに触れ、この曲の持っている意味が今になってようやくわかってきたということを告げるが、聴き手の解釈を狭めてしまうかもしれないという理由でその詳細は語らないのが岸田らしい。しかし岸田はこの時にずっと羽生結弦のことばかり考えていたらしく、最近の岸田が北京オリンピックに夢中であることを感じさせる。
そんなMCを挟みながら、ステージ背面には岩の壁のような装置が登場すると、リリース時にタイトルフレーズのコーラスが当時まだ新進気鋭の関取であった「豪栄道」に空耳してしまうと一部で話題になった「o.A.o」からは照明の色が変わりながらその背面には当たることによって、緑の照明なら森の中、赤の照明なら炎の中にいるかのような視覚効果をもたらしてくれる。決してド派手かつわかりやすい映像を使うことがないというのは演奏する姿や音を第一義にしているからだろうけれど、そうした自分たちのライブに最も見合う形での演出を取り入れているというあたりはさすが25年のキャリアを持つバンドである。
時系列はさらに進み、非常にあらゆる方面から評価が高かった「THE PIER」の時期になるともう最近のような気もするし、実際に「loveless」は今でもライブでよく演奏されているからこそそう思うのだが、このアルバムもリリースは2014年なのでもう8年も前であるということに今更驚いてしまう。「There is (always light)」のあらゆる音を動員してポップミュージックに仕立て上げるという姿は今のくるりのものと言ってもいいくらいに、この辺りから今に至るまでは音楽性をガラッと切り替えたり新しい要素を取り入れるというよりはシームレスに繋がっているような感じであるし、それくらいに今も瑞々しく感じるメロディだ。正直、「THE PIER」がめちゃくちゃ評価されていたことには「そんなにか?」とも思っていたが、それは自分がそれ以前のアルバムに好きなものがたくさんあったからだろうなということも今になるとわかる。
そして岸田がギターを置いてハンドマイクになると、くるり健在どころか、デビューから20年経っても改めて「すごいぞくるり」と思わせるに至った大名曲「琥珀色の街、上海蟹の朝」が放たれ、この曲の心地良さを体でしっかり味わおうというようにたくさんの人が再び席から立ち上がる。その心地良さだけではなくて極上の美しいメロディが備わっているからこそ、この曲が新しいくるりの代表曲的な存在になったのだろうし、いわゆるシティポップ的な音楽にトドメを刺すというか、こんな曲出されたら敵うわけないじゃないかくらいの名曲である。コーラスメンバーが指をピースというか蟹の足のようにして腕を上げると、それが客席にも徐々に広がっていき、それがこの上なく幸せな空気に感じられる。
同じく岸田がハンドマイクで歌うのは、人気アニメのタイアップとしてそれまでのファン以外にもさらなる広がりをもたらした「ふたつの世界」であり、そのアニメに合わせたフレーズも歌詞には登場するのだが、あまりライブでは歌い慣れていない曲だからか、岸田は思い切り目前の歌詞が表示されているであろう端末を見ながら歌っていた。しかしながらいろんな音楽の要素を取り入れながらもアウトプットが素直なポップソングに感じるというのはやはり今のくるりに通じる要素と言える。
オープニング以来に佐藤がウッドベースを演奏するのはアルバムとしては前作にあたる「ソングライン」収録の「How Can I Do」と、完全に近年のくるりというか、この記念ライブが佐藤が口にしていた当初の予定通りに昨年開催することができていたならば、アルバムとしては最新作に当たる時期である。
ということはくるりの長い歴史を辿る旅ももう終着点まで来ているということであり、岸田が最後の曲であることを告げると、アルバムタイトル曲でもある「ソングライン」をこのメンバーそれぞれの演奏と持ち味を活かした長尺アレンジで演奏する。それはきっとこの日にしか見れないものであり、ただ過去の曲を音源通りに演奏するのではなくて、今の解釈で今できる最大限の形で演奏するというくるりなりのライブバンドとしての矜持が、やはり音源以上に激しく唸るような岸田と松本のギターのサウンドから滲み出ていた。そしてそれは求められるものというよりも、常に自分たちが今1番やりたいことをやってきたバンドであるということも。
アンコールでは先に岸田と佐藤のメンバー2人が登場すると、佐藤は大きめのバッグを持っている。ということは、かつてのツアーではおなじみであった物販紹介が行われるのだが、明らかに佐藤が紹介する商品の詳細を把握できておらず、岸田に
「お前社長やろ!(笑)」
と突っ込まれながらもなんとか全商品を紹介する。
その物販紹介の終わりを合図にメンバーたちも合流するのだが、このアンコールではコーラスメンバーは不在で、楽器を演奏するメンバーだけで「心のなかの悪魔」を演奏する。この曲は2020年にリリースされた、未発表曲などを纏めたアルバム「thaw」に収録された新曲であり、本編で演奏された曲たちのさらにその先のくるりの位置を示すようなもの。つまりはより最新に近い曲になってきているのだが、岸田は最後に
「いつまでやるかわからんけど…いや、まぁやるでしょう。また何十周年とか何百周年の時にはこういうライブをやると思うので、お祝いしに来てください」
と言った。近年はかつてよりもリリースのスパンが長くなってきているし、ロッキンオンジャパンの岸田の連載ではこれまでに何度となく自身にもバンドにも存続の危機があったことが綴られている。それでも25年という四半世紀の長きに渡って続いてきたバンドだからこそ、その言葉の持つ意味が強く重いものに感じるし、同世代のバンドたちが辞めたり休止したり再結成する中でも、ほとんど止まることなく進んできたバンドが続いてきたことの素晴らしさと、これからも続いていくことの素晴らしさも感じさせてくれる。
そんなライブの最後に演奏されるのはてっきり「東京」だと思っていた。東京での記念ライブの最後にメジャーデビュー曲として「東京」というタイトルの曲を演奏することほど相応しくわかりやすいことはないだろうと思っていたから。
しかし実際に演奏されたのは昨年リリースの最新アルバムにして、25周年のさらに先を示したような「潮風のアリア」だった。その1番新しい曲で周年ライブを締めるというあたりにくるりらしさを感じられたし、歌詞に「有明」というこの会場のある地名が含まれているこの曲を歌ったという意識もあったのかもしれないが、ある意味で「東京」じゃなくても良かったかもしれないと思ったのは、「東京」をこのタイミングで聴いていたらきっと自分は泣いてしまっていただろうから。最後にコーラスメンバーやマニピュレーターという総勢12名で横一列に並んで観客に頭を下げる姿を見て、そう思ったりしていた。
くるりはよくネタにされるくらいにメンバーが入れ替わりまくってきたバンドだ。正式メンバーはまだしも、どの期間にどの人が参加していたかということを完璧に覚えている人はそうそういないだろうし、なんならメンバー2人も忘れていることもあるかもしれない。
そんな編成とともに音楽性もアルバムごとに変わってきた。そうしたスタンスだっただけに、「この時期までは好きだった」という人もたくさんいるし、音楽性が変わるとともにファンの入れ替わりもあったと思う。
そうした変わったことばかりのくるりの中において、この日2人だけが衣装を揃えていたことが象徴的なように、岸田の隣には佐藤が、佐藤の隣には岸田がいるということだけはずっと変わらなかった。ファンファンが卒業して以降に新しい正式メンバーが加入しないのも、もうこの2人の25年に渡って築き上げてきた絆のようなもの(MCでの緩い距離感はずっと変わらないけれど)に割って入れるような人間がもういないということも意味しているように思う。
それと同時に、たくさんのメンバーやファンが入れ替わっても、変わり続けるくるりの姿をずっと見続けてきたファンもたくさんいるということも変わることのないものであることがわかった、25周年ライブだった。また30周年やさらにその先の記念ライブでも、思い切り泣いたり笑ったりしようぜ。
1.ランチ
2.虹
3.窓
4.惑星づくり
5.ばらの花
6.ワンダーフォーゲル
7.ワールズエンド・スーパーノヴァ
8.水中モーター
9.Morning Paper
10.ロックンロール
11.The Veranda
12.BIRTHDAY
13.ジュビリー
14.アナーキー・イン・ザ・ムジーク
15.さよならリグレット
16.pray
17.魔法のじゅうたん
18.everybody feel the same
19.o.A.o
20.loveless
21.There is (always light)
22.琥珀色の街、上海蟹の朝
23.ふたつの世界
24.How Can I Do
25.ソングライン
encore
26.心のなかの悪魔
27.潮風のアリア
検温と消毒を経て、かなり長い入場列に並んでからガーデンシアターの中に入ると、アリーナはもちろん椅子が並んでいるが、フルキャパの客席は1番上の階層までぎっしりと人が入っていて、すでに何回も来ているこの会場が本当にたくさんの人が収容できることを実感するし、それでも当日券が出ているというのは何人入れるんだろうかという感じになる。そのたくさんの人の圧によるものか、会場はなんだかやけに暑く感じる。
開演時間の17時30分に諸注意を含めたアナウンスが流れて、そのまま会場が暗転すると、ステージ背面には立体感を感じさせるような、どこか神社の参道を思わせるような演出が出現し、SEもなしにステージには岸田と佐藤、さらに近年のくるりのライブではおなじみの石若駿(ドラム)と女性コーラス2名の5人のみが登場するのだが、岸田と佐藤は白のセットアップという、実に厳かかつ見慣れない出で立ち。
佐藤はウッドベースを構えると、岸田がギターを弾きながら歌い始めたのは、実に素朴なサウンドによる「ランチ」。この曲から!?と驚くとともに、やはりこのライブが普段のライブとは全く違う特別なものになるということがわかるが、観客はこの段階では全員が自身の席に座った状態で構えるように集中して見ているという感じだ。
するとライブメンバーの中では最も古参メンバーである松本大樹(ギター)もステージに登場して、壮大なイントロとブルージーな岸田の歌とギターによる「虹」という初期中の初期の曲が続いたことによって、後に岸田も
「バンドの歴史を辿るような順番に演奏している」
と言った通りのセトリの組み方になっていることがわかるのだが、アウトロでの岸田の唸りをあげるようにブルージーかつロックンロールなギターソロは25年というキャリアを迎えてもまだまだバンドにも自身にも失われていないものが燃えたぎっているということが伝わってくる。
そんな25年間を一夜にして時空旅行するようなライブであるが、くるりは当然ながらわかりやすいシングル曲を連発するようなバンドではないということは活動を見てきた人はわかっていることであるが、それは2ndアルバム「図鑑」から演奏されたのがパンクさすら感じる「青い空」でもなければ、岸田の絶唱が響く「街」でもなく、近年おなじみのライブメンバーである野崎泰弘(キーボード)とグロッケンなどのパーカッションを演奏するメンバーが加わっての「窓」という選曲であることからも明らかである。今では絶対生まれないだろうなというくらいの節回しの岸田の歌唱は貴重であるが、再現ライブ以外で近年聴いたことあっただろうかというくらいにレア曲である。
そんなおなじみのライブメンバー以外にもステージにはたくさんの楽器が並べられており、ここでサックスなどを吹くホーン隊、野崎に加えてのキーボードという、ステージ上にはフルメンバーの11人が居並び(見えない位置にマニピュレーターもいたので総勢12人)、その大所帯で演奏されたのは「図鑑」収録のインスト曲であり、かつてパシフィコ横浜でオーケストラを招いて演奏された(「ワルツを踊れ」の追加公演的なライブだった)「惑星づくり」なのだが、そのメンバーたちの豊かな音が重なり合うことによって、輪郭は残しながらも全く違うように、なんならプログレ大曲に感じるくらいにアレンジされているのだが、それは近年の「大阪万博」にも連なるものであり、くるりの過去と現在が一瞬にして繋がっていくような感覚にもなる。
ここでステージには輪が連なるような装置も登場し、全員揃っていたメンバーから減って通常のくるりのライブにコーラスがいる、というくらいの編成に。どうやらこの日のライブはそうして曲によってメンバーが入れ替わり立ち替わりして演奏されていくということがわかるのだが、野崎のキーボードが美しいメロディを奏でたことによって「ばらの花」が演奏され、当時のロックシーンの変革の作品の一つとなった「TEAM ROCK」期に突入したことがわかる。今聴いても全く色褪せないメロディに女性コーラスが重なると、音源のフルカワミキのコーラスではなくても曲の持ち味であるメロディの美しさがフルに発揮されていく。アウトロでは佐藤のコーラスまでも重なっていくのだが、自分がくるりを本格的に聴き始めた時期の曲であり、「何て良い曲なんだろうか」と初めて聴いた時から今に至るまでに何度となく思わされてきた曲をこうして記念碑的なライブで聴けるのはやはり感慨深い。妻夫木聡と柴咲コウの主演ドラマの劇中で重要な役割を果たす曲として使われていたな、などそれぞれの人によってそれぞれの思い入れがある曲だろうし、それはきっとどの曲でもそうだろう。くるりはそうした曲を作り続けてきたバンドである。
野崎が居なくなり、パーカッションがティンパニなどを演奏するという新たなアレンジで演奏された「ワンダーフォーゲル」もまた、たくさんの人の出会いと別れを彩ってきた曲だと思うが、この編成で聴くのは実に久しぶり(去年のツアーやフジロックでも演奏されていなかった)なだけに、石若の正確無比かつ強靭なドラムのビートが引っ張っているということがよくわかる。そのドラムのスタイルはかつてライブに参加していたBOBOのことを思い出させたりするのだが、この曲を座って聴いているなんて耐えられん!とばかりにこの曲で徐々に(本当にそんな感じだった)立ち上がる人が現れ始める。するとコーラスのメンバーはこの曲のライブではお決まりの光景だった、サビで腕を左右に振るというアクションを見せ、それが客席に広がることでまた立ち上がる人が増えていく。正直、いつ立ち上がるんだろうかと思うくらいに、自分はライブは立って見たいタイプなので(その方が音に合わせて自由に楽しめるから)、この曲を立ち上がって楽しむことができて良かったなと思った。それは今までのライブでこの曲を聴いてきた時のように、思う存分サビで腕を振ることができたから。
するとアルバムとしては「THE WORLD IS MINE」期に突入し、その象徴とも言えるエレクトロサウンドが流れて演奏されたのは「ワールズエンド・スーパーノヴァ」で、やはり踊るには立ち上がらないと、と言わんばかりにさらに多くの人がイントロが鳴った瞬間に立ち上がると、これまでに数え切れないくらいにこの曲を演奏してきたであろう松本も立ち上がった人たちを見てどこか笑顔でギターを弾いているし、コーラスメンバーも歌う部分以外では踊るように体を動かしている。そうしたくなってしまう曲でありサウンドというのは紛れもなく日本のロックとダンスミュージックの融合の先鞭的なものだったと今でも思う。COUNTDOWN JAPAN 05/06のEARTH STAGEの年越しの瞬間がこの曲だったということも今でも鮮明に覚えているくらいに、長い音楽人生のあらゆる場面をくるりの音楽とともに過ごしてきたんだなと思う。
「ワールズエンド・スーパーノヴァ」のダンスフロアを思わせるような薄暗い照明から一気に明るくなるのは、岸田がボーカルにエフェクトをかけて機械的な声で歌い始める、かつて日本武道館で聴いたりしたのを今でも鮮明に覚えている「水中モーター」で、サビでは佐藤の変わらぬ若々しさを感じさせる歌唱が聴けるとともに、この曲においてもコーラスの2人は大きな役割を果たしているというか、この2人がいなかったらどうなっているんだろうというくらいにただ声を重ねるだけではなく、2人が歌わない部分のボーカルまでも担っている。
「併殺打好きベンチウォーマー
リーリーリリーリーリーリリー」
というフレーズは最新作で「野球」という自身の偏愛をそのまま曲にするくらいにリアル野球狂の詩を作った岸田ならではのものだなぁとリリースから20年も経つ今になっても思う。
「くるりにしてはヒットした曲を演奏している(笑)」
と、普段からそうした意識のもとに敢えてヒット曲を入れないセトリを組んでいるということがわかる岸田の挨拶も含めたMCを挟みながら、イントロから一気にサウンドが骨太なロックへと変化するのは「アンテナ」収録の「Morning Paper」で、ここからはギター、ベース、ドラムというロックバンドのベーシックな楽器の音が中心になっていくのだが、こうして「THE WORLD IS MINE」のダンスミュージックとロックの融合の後にこうしたサウンドになるというくるりの歴史の変遷も今になって振り返ると実に面白い。内的要因としてはこの時期はクリストファー・マグワイア(ドラム)の一時的な加入(そしてすぐ脱退)もあったとはいえ、ロックバンドのサウンドへの揺り戻しが起こっていたという。
その「アンテナ」の先行シングルとしてリリースされ、今もくるりを代表するヒット曲である「ロックンロール」ではイントロが鳴った瞬間に一斉に観客が立ち上がっていく。それは今でもこの曲の力が全く失われていないことの証明でもあり、動画撮影スタッフもライブカメラマンも待ってましたと言わんばかりに立ち上がって腕を挙げる観客の姿を背後から撮影しているのが実に微笑ましい。パーカッション奏者がこの曲ではタンバリンを振るというのがかつて在籍していたファンファンのこの曲での役割を彷彿とさせる中、なかなか難しい世の中になってしまったが、また近い未来に野外フェスの晴れ渡る空の色の下でこの曲が演奏されるのをたくさんの人と一緒に聴きたいと思う。
で、時系列的には次はブリティッシュロックへと接近した「NIKKI」になるのだが、この時期の曲で選ばれたのはミュージックステーションなどの音楽番組でも披露されてオリコン4位というバンド史上最高位を記録した「Baby I Love You」…ではなくてそのカップリング曲であり「NIKKI」には未収録の「The Veranda」というあたりが一筋縄ではいかないというか素直じゃないというか実にくるりらしいというか。とはいえ岸田がアコギを弾きながら歌うことによってこの時期のくるりのメロディの美しさを堪能できるという意味では、隠れた名曲にしておくには実にもったいない曲とも言える。(後にカップリングアルバム「僕の住んでいた街」にも収録されたが)
佐藤のブギ的な跳ねるようなベースラインのイントロの音が体というよりも心を飛び跳ねさせてくれるのは「NIKKI」の先行シングルである、実に久しぶりにライブで聴いた「BIRTHDAY」であるが、鉄道オタクがいるバンドということが世に知られたことで、ある意味バンドを象徴する曲とも言える「赤い電車」とかでもなくこの曲が演奏されるというのがやっぱりくるりらしいなぁと思っていたら、この曲が終わった段階で岸田がメンバーを称えるような仕草を取ると、全員がステージを去っていく。まさかまだこれで終わりなわけがないだろうと思っていたら、ここで換気も含めた休憩タイムに。つまりそれはここまででまだライブの半分、くるりのバンドとしての歴史もまだ半分しか振り返っていないという、このライブが実に長く濃厚なものになるということを予感させるものでもあった。
その休憩中にたくさんの人がトイレに行ったりしてからの第二部では最初からほぼフルメンバーが揃う。というのもこの第二部はアルバムで言うと「ワルツを踊れ」というクラシックとロックの融合を試みた作品であり、実際にそのツアーもそれまでよりもライブでの編成は大世帯になっていただけに、パーカッションやホーン、コーラスという面々がどの曲でも必要になってくる。それがたおやかなサウンドとメロディによる「ジュビリー」という第二部の始まりからもよくわかる。
そんな「ワルツを踊れ」からのもう1曲の選曲はアルバムの中では最もロックなサウンドの「アナーキー・イン・ザ・ムジーク」であり、間奏では岸田と松本がガンガンギターを弾きまくるというクラシックを取り入れてもロックバンドであり続けたくるりの姿を見せてくれるのであるが、かつて在籍した吉田省念がチェロを弾いたり、ファンファンがトランペットで主旋律を担ったりしてきた、その時代時代の編成に合わせた形でアレンジされてきた歴史を持つ「ブレーメン」が演奏されなかったというのもまた意外であったが、岸田が
「来てる人それぞれの25回転があると思うので、自分だったらこうするな、みたいに考えながら楽しんでもらえたら」
と言っていたように、自分なら間違いなくこのアルバムからなら「ブレーメン」を選ぶな、と思うがあまりにそれは分かりやすすぎるだろうか。
一部では演奏に参加しないメンバーは袖に引っ込んだりしていたのだが、この第二部では演奏しないメンバーもその場に座って自分の出番を待つという形に変わっているのは目まぐるしく1曲1曲で編成と参加するメンバーが変化していくということでもあるが、アルバムの時系列としては「魂のゆくえ」になるのだが、その期間から演奏されたのは先行シングルの「さよならリグレット」とそのカップリングに収録されていた「pray」という2曲。とりわけ「pray」はリリース時から「これカップリングなの!?」と言われていたくらいの名曲であり、昨年のツアーやフジロックのサウンドチェックでも演奏されていただけに、今にしてバンド内再評価が起きている感もある。正直この時期はブルース色が濃くなり、ファンの中でもかなり賛否両論あった(というかこの辺りで脱落していった人も結構いた)だけに、この2曲はその時期の中でもこうしたメロディが際立つ名曲が確かに存在していたということを今になって示してくれている。
さらに続く「言葉にならない笑顔を見せてくれよ」期からは「魔法のじゅうたん」という、同名曲が近年SNSでバズってヒットしているだけに、くるりの先見性を感じさせる曲であるが(松任谷由実とのコラボ曲「シャツを洗えば」と両A面シングルとしてリリースされた)、それはむしろそれ以前のツアータイトルなどにも「はぐれメタル」などのワードを使っていた岸田のドラクエ愛によるものだろうと思われる。この時期の曲はこれだけだったが、フジファブリックの山内総一郎がライブにギタリストとして参加していたのもこの時期だったな、と今やそうしたプレイヤーが参加する隙が全くない編成で演奏されているのを見て少ししみじみしていた。
そんなブルース色が濃くなっていた時期を超え、「坩堝の電圧」で新たなメンバーたちが加わって(ライブ見る前に辞めたメンバーもいたけど)、再びロックバンドとしてのサウンドに向き合った時期からは、岸田がステップを踏むようにしてギターを弾き、コーラスメンバーもさらに激しくステップを踏みながら踊るような姿を見せてくれる「everybody feel the same」が演奏されると、曲が進んでホーン隊のサウンドが吹き荒れたりしながらバンドのグルーヴが練り上げられていき、それに呼応するように観客が1人また1人と立ち上がっていく。
それは最初から全員が立ち上がって見るという形のライブではなかったからこそ、目の前で鳴っている音に反応して衝動的に立ってしまうというような、ある意味ではロックバンドのライブにおけるモッシュやダイブが予定調和的なものではなく、その音に反応して起きるということを今の時勢で見れたと思えるようなものだったし、そこにこそくるりのライブを観に来るのをやめられない理由があった。こうして衝動を突き動かしてくれるようなバンドであり続けた25年間だったからだ。そう思えるくらいにこの日のこの曲は感動してしまうような光景を描き出していたし、コーラスメンバーがいることでこの日は普段よりもコーラスが圧倒的に少なかった松本と野崎も最後のタイトルフレーズの連呼にはコーラスを重ねる。まさに「everybody feel the same」、メンバー全員が同じことを感じている、ということを示すかのように。
そんな演奏を終えると岸田は
「2012年の冬」
というフレーズを持つこの曲がもう10年も前の曲であるということに触れ、この曲の持っている意味が今になってようやくわかってきたということを告げるが、聴き手の解釈を狭めてしまうかもしれないという理由でその詳細は語らないのが岸田らしい。しかし岸田はこの時にずっと羽生結弦のことばかり考えていたらしく、最近の岸田が北京オリンピックに夢中であることを感じさせる。
そんなMCを挟みながら、ステージ背面には岩の壁のような装置が登場すると、リリース時にタイトルフレーズのコーラスが当時まだ新進気鋭の関取であった「豪栄道」に空耳してしまうと一部で話題になった「o.A.o」からは照明の色が変わりながらその背面には当たることによって、緑の照明なら森の中、赤の照明なら炎の中にいるかのような視覚効果をもたらしてくれる。決してド派手かつわかりやすい映像を使うことがないというのは演奏する姿や音を第一義にしているからだろうけれど、そうした自分たちのライブに最も見合う形での演出を取り入れているというあたりはさすが25年のキャリアを持つバンドである。
時系列はさらに進み、非常にあらゆる方面から評価が高かった「THE PIER」の時期になるともう最近のような気もするし、実際に「loveless」は今でもライブでよく演奏されているからこそそう思うのだが、このアルバムもリリースは2014年なのでもう8年も前であるということに今更驚いてしまう。「There is (always light)」のあらゆる音を動員してポップミュージックに仕立て上げるという姿は今のくるりのものと言ってもいいくらいに、この辺りから今に至るまでは音楽性をガラッと切り替えたり新しい要素を取り入れるというよりはシームレスに繋がっているような感じであるし、それくらいに今も瑞々しく感じるメロディだ。正直、「THE PIER」がめちゃくちゃ評価されていたことには「そんなにか?」とも思っていたが、それは自分がそれ以前のアルバムに好きなものがたくさんあったからだろうなということも今になるとわかる。
そして岸田がギターを置いてハンドマイクになると、くるり健在どころか、デビューから20年経っても改めて「すごいぞくるり」と思わせるに至った大名曲「琥珀色の街、上海蟹の朝」が放たれ、この曲の心地良さを体でしっかり味わおうというようにたくさんの人が再び席から立ち上がる。その心地良さだけではなくて極上の美しいメロディが備わっているからこそ、この曲が新しいくるりの代表曲的な存在になったのだろうし、いわゆるシティポップ的な音楽にトドメを刺すというか、こんな曲出されたら敵うわけないじゃないかくらいの名曲である。コーラスメンバーが指をピースというか蟹の足のようにして腕を上げると、それが客席にも徐々に広がっていき、それがこの上なく幸せな空気に感じられる。
同じく岸田がハンドマイクで歌うのは、人気アニメのタイアップとしてそれまでのファン以外にもさらなる広がりをもたらした「ふたつの世界」であり、そのアニメに合わせたフレーズも歌詞には登場するのだが、あまりライブでは歌い慣れていない曲だからか、岸田は思い切り目前の歌詞が表示されているであろう端末を見ながら歌っていた。しかしながらいろんな音楽の要素を取り入れながらもアウトプットが素直なポップソングに感じるというのはやはり今のくるりに通じる要素と言える。
オープニング以来に佐藤がウッドベースを演奏するのはアルバムとしては前作にあたる「ソングライン」収録の「How Can I Do」と、完全に近年のくるりというか、この記念ライブが佐藤が口にしていた当初の予定通りに昨年開催することができていたならば、アルバムとしては最新作に当たる時期である。
ということはくるりの長い歴史を辿る旅ももう終着点まで来ているということであり、岸田が最後の曲であることを告げると、アルバムタイトル曲でもある「ソングライン」をこのメンバーそれぞれの演奏と持ち味を活かした長尺アレンジで演奏する。それはきっとこの日にしか見れないものであり、ただ過去の曲を音源通りに演奏するのではなくて、今の解釈で今できる最大限の形で演奏するというくるりなりのライブバンドとしての矜持が、やはり音源以上に激しく唸るような岸田と松本のギターのサウンドから滲み出ていた。そしてそれは求められるものというよりも、常に自分たちが今1番やりたいことをやってきたバンドであるということも。
アンコールでは先に岸田と佐藤のメンバー2人が登場すると、佐藤は大きめのバッグを持っている。ということは、かつてのツアーではおなじみであった物販紹介が行われるのだが、明らかに佐藤が紹介する商品の詳細を把握できておらず、岸田に
「お前社長やろ!(笑)」
と突っ込まれながらもなんとか全商品を紹介する。
その物販紹介の終わりを合図にメンバーたちも合流するのだが、このアンコールではコーラスメンバーは不在で、楽器を演奏するメンバーだけで「心のなかの悪魔」を演奏する。この曲は2020年にリリースされた、未発表曲などを纏めたアルバム「thaw」に収録された新曲であり、本編で演奏された曲たちのさらにその先のくるりの位置を示すようなもの。つまりはより最新に近い曲になってきているのだが、岸田は最後に
「いつまでやるかわからんけど…いや、まぁやるでしょう。また何十周年とか何百周年の時にはこういうライブをやると思うので、お祝いしに来てください」
と言った。近年はかつてよりもリリースのスパンが長くなってきているし、ロッキンオンジャパンの岸田の連載ではこれまでに何度となく自身にもバンドにも存続の危機があったことが綴られている。それでも25年という四半世紀の長きに渡って続いてきたバンドだからこそ、その言葉の持つ意味が強く重いものに感じるし、同世代のバンドたちが辞めたり休止したり再結成する中でも、ほとんど止まることなく進んできたバンドが続いてきたことの素晴らしさと、これからも続いていくことの素晴らしさも感じさせてくれる。
そんなライブの最後に演奏されるのはてっきり「東京」だと思っていた。東京での記念ライブの最後にメジャーデビュー曲として「東京」というタイトルの曲を演奏することほど相応しくわかりやすいことはないだろうと思っていたから。
しかし実際に演奏されたのは昨年リリースの最新アルバムにして、25周年のさらに先を示したような「潮風のアリア」だった。その1番新しい曲で周年ライブを締めるというあたりにくるりらしさを感じられたし、歌詞に「有明」というこの会場のある地名が含まれているこの曲を歌ったという意識もあったのかもしれないが、ある意味で「東京」じゃなくても良かったかもしれないと思ったのは、「東京」をこのタイミングで聴いていたらきっと自分は泣いてしまっていただろうから。最後にコーラスメンバーやマニピュレーターという総勢12名で横一列に並んで観客に頭を下げる姿を見て、そう思ったりしていた。
くるりはよくネタにされるくらいにメンバーが入れ替わりまくってきたバンドだ。正式メンバーはまだしも、どの期間にどの人が参加していたかということを完璧に覚えている人はそうそういないだろうし、なんならメンバー2人も忘れていることもあるかもしれない。
そんな編成とともに音楽性もアルバムごとに変わってきた。そうしたスタンスだっただけに、「この時期までは好きだった」という人もたくさんいるし、音楽性が変わるとともにファンの入れ替わりもあったと思う。
そうした変わったことばかりのくるりの中において、この日2人だけが衣装を揃えていたことが象徴的なように、岸田の隣には佐藤が、佐藤の隣には岸田がいるということだけはずっと変わらなかった。ファンファンが卒業して以降に新しい正式メンバーが加入しないのも、もうこの2人の25年に渡って築き上げてきた絆のようなもの(MCでの緩い距離感はずっと変わらないけれど)に割って入れるような人間がもういないということも意味しているように思う。
それと同時に、たくさんのメンバーやファンが入れ替わっても、変わり続けるくるりの姿をずっと見続けてきたファンもたくさんいるということも変わることのないものであることがわかった、25周年ライブだった。また30周年やさらにその先の記念ライブでも、思い切り泣いたり笑ったりしようぜ。
1.ランチ
2.虹
3.窓
4.惑星づくり
5.ばらの花
6.ワンダーフォーゲル
7.ワールズエンド・スーパーノヴァ
8.水中モーター
9.Morning Paper
10.ロックンロール
11.The Veranda
12.BIRTHDAY
13.ジュビリー
14.アナーキー・イン・ザ・ムジーク
15.さよならリグレット
16.pray
17.魔法のじゅうたん
18.everybody feel the same
19.o.A.o
20.loveless
21.There is (always light)
22.琥珀色の街、上海蟹の朝
23.ふたつの世界
24.How Can I Do
25.ソングライン
encore
26.心のなかの悪魔
27.潮風のアリア
東京初期衝動 「えんど・おぶ・ざ・わーるど」レコ発 東名阪性獣集合ツアー @恵比寿LIQUIDROOM 2/12 ホーム
ビバラコーリング! 出演:日食なつこ / 黒子首 / Hakubi @渋谷CLUB QUATTRO 2/10